「丘を越えて」(作曲者古賀政男/歌手藤山一郎)で一世を風靡した詩人・島田芳文の初めての本格的評伝。遺族からの聞き取りや未発掘の新資料を駆使して「作品が内包するヒューマンな詩情の根源」に迫る。
 島田芳文は1898年福岡県豊前市に生まれ、大分県立中津中(旧制)から早大政経学部を卒業。早大在学中は、浅沼稲次郎、三宅正一、稲村隆一らと建設者同盟の主力メンバーとして活躍し、民衆詩派の系譜に連なる詩人会(機関誌『新詩人』)に所属した。その後、野口雨情に師事して民謡詩を書き、歌謡界に進出する。戦時下には、師の雨情に習って軍歌の作詞を拒絶し、意識的な沈黙を守った。
 民謡集『郵便船』(詩人会)、詩集『農土思慕』(抒情詩社)の初期作品は、比較的よく知られているが、秋田雨雀が「序文」を寄せた第一創作集『愛光』(私家版)や、1924年創刊の個人誌『濁流』などは、本書で得た新たな知見であった。
 著者は、これらの諸作品を大正・昭和初期の時代思潮のなかに位置づけ、島田の自己形成と文学的成熟の過程を鮮やかに描き出している。
 本書が紹介する妻光子(『女人芸術』同人、深町瑠美子のペンネームで詩集『闇を裂く』がある)からの聞き取りによれば、「丘を越えて」というタイトルは、賀川豊彦『死線を越えて』より着想されたという。
 著者は「『丘を越えて』の向日性こそ、同時代のどの流行歌にもない独自性であり、まさに一点の曇りもない『青春賛歌』」と評する。
 島田芳文は大正期の学生運動より生まれ出た詩人である。