みずかみかずよ全詩集『いのち』に思う

作家 森崎和江
1996/03/29「朝日新聞」

 第5回丸山豊記念現代詩賞は、みずかみかずよ全詩集『いのち』に贈られる。現在、詩を対象とした賞は全国に数多い。しかし、それぞれ故人の詩集や、全詩集、訳詩集を対象からはずしているのだが、丸山豊記念現代詩賞にはそのような規定はない。
 みずかみかずよさんは一九八八年に亡くなっておられる。『いのち』は、かずよさんが生涯書き続けた詩作品の集成で、夫の水上平吉氏によって編まれた大冊である。選考委員のひとりとして私は、この全詩集が受賞詩集として決定したことを、心からうれしく思っている。そして、同時代を生きたものとして、詩人みずかみ数よさんの生涯かけての精進に、深くお礼を申し上げたい。
 かずよさんの詩作品にはこれまでも折にふれて接してきた。けれども、面識を私は持たない。経歴によれば三五年に八幡市で生まれておられる。そして終生、北九州市で過ごされたご様子である。私は戦後、福岡県内の筑後、筑豊、筑前で暮らしてきた。が、わが心身ひとつさえ、持てあまし、たえまなく心は放浪を続けていて、とうとうお会いする折を持たなかった。
 それでも、こうして全詩集に接していると、その心の軌跡は手にとるように伝わる。そして、没後の今、この詩精神がどのように切実に待たれていたかを、痛切に思わせられるのである。
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 一読いただければ、今日を生きる老若男女のだれの心にも届く大切なものがあることを、感じとってもらえると思う。戦後五十年、繁栄を求め、平和を願いつつ私たちは努力してきた。目を見張るほど一般の生活は向上し安定してきた。敗戦直後、筑後に引き揚げ者として身を寄せた私には、戦後の姿は心に焼きついていて、あの空虚をその後の歳月でよくぞここまで、と思うほどである。
 そして、昨今、ふとこの繁栄の、その影に気がついているのだ。それは思いがけない形でやってきた。大人の私たちの背を、刺すような鋭さで。私たちが、明日を築いてくれる人々として何よりも大切に思っている、少年、少女。子どもたち。まだ幼稚園へも通わぬ幼い魂。その叫び声!
 子どもの心も身体も自然をより求めているのに、大人はそのことにあまり気がついていない。伝えるには未熟な言葉の内側に、せいいっぱいの悲痛をこめて、朝夕子らのまなざしがうったえかける。その視線に、私は、どうこたえているのか。それは子どもどうしのいじめなどへと押しこめてすませられる問題ではないのである。
 詩を書くということは、言葉の発生基盤に深くかかわることを、私は戦後久しく続いた私自身の心身不調によって、肝に銘ずるように知らせられた。私はかつての植民地朝鮮で生まれ育った。子どものころから、詩や絵を楽しんでいた。つまり、朝鮮の風土や自然や人びとのしぐさや生活の様子などにしみとおっている歴史と文化とが、たまたまその大地と青空の間に生み放された心と体に、これがお前の生の時空なのだよと、輝きを放っていたのだ。そこには、風が吹き、光が射し、木が繁り、多くのいのちが互いに生きていた。人間だけではないのである。言葉もまだ持たぬころから、人の魂は、生の環境としての世界を感じとるのである。
 そのことに対する私個人の、他国侵食の痛みのはねかえりについては、これは今日までの彷徨に反映しているわけだが、しかし、五十年後の今、戦後を生きてきたひとりとして、私もまた、幼いいのちたちをしっかりと受けとめてきたのか、と自問するのである。
 詩とは、世界を受けとめる力であり、見えない明日への祈りである。それは言葉の技術ではなく、言葉の魂である。心を耕し耕し、土や水や風や時間を耕し耕し、ようやく、したたってくる明日への祈り。あるいは、エロス。いのちのみなもとなのだ。
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 みずかみかずよさんは童話作家でもある。その作品はみな、自分を捨てず、他者を受けとめる努力の果てに見えてくるものを求める。それは生誕した瞬間、身に映じた宇宙の姿なのかもしれないのだが、悲しいかな、人間は人間の限界を背負って生きるしかない。そのことに対して、まことに誠実で勇気ある詩人である。
  胃を きりとられて/あまり/かるくなったので
  季節の かわりめの/風に ふかれると/とばされそうです
  点滴の ビニールのくだで/しっかり/つながれてはいますが
  いま/とばされたなら/わたしは紙風船
  その手に/うけてくれますか
  自由に/とばせてくれますか
「窓の外へ」という詩である。