旅の名手が〝民衆の味〟探索

島田美術館館長 島田真祐
1998/12/06「熊本日日新聞」

 甲斐さんは筋金入りの旅人である。筋金は異郷体験の豊富さや年季のせいだけではない。おそらくは氏の骨髄のどこかに潜む移動民の遺伝子のざわめきと、対象世界にかかわる関心の並外れた深度による。氏には、もともと異郷として感受していないふしさえある。
「気づくと、北緯三十度線と四十度線にはさまれる帯の中を東へ西へ歩いていた。三十四度線あたりには、カーブル、ペシャワール、西安、洛陽、北九州、奈良が、いま少し北寄りにはサマルカンド、カシュガル、玉門、北京、大連、山形が並ぶ。意図したわけではないのに、それ等の土地にいた(いた=・・)」と、氏は書く。その天性ともいえる漂泊癖と精神は、大連に生まれて幼少年期を送り、中国大陸の風土と民衆を独特の筆法で描きつづけた画家の父の存在、大学でながく安藤更生先生門下として東洋美術史を学んだことなどと、もちろん無縁ではない。が、以後の三十余年におよぶアフガニスタンとの自覚的なかかわりが、その骨格に分の厚い血肉を通わせたのにちがいない。その辺については、すでに中上健次氏や五木寛之氏らの絶賛を浴びた小説集やエッセー集がある。
 さて、『餃子ロード』。甲斐さんのアジアへの通い路のあちこちに湯気を立てている餃子がある。広い大陸の東西南北、もちろん形も味も鮮烈微妙に異なるが、肉や野菜の餡を小麦粉でのばした皮で包み、蒸すか焼くか揚げるかする基本は変わらない。この、極めて民衆的で魅力的な食物は、どこで始まり、どのように食され、どういう経路で広がってきたのか。その探索行は、著者自身「たかが小さな餃子ではあるが、そこにはアジア世界民族興亡の物語が包まれる」と語るように、壮大な叙事世界を広げていくことになる。
 何より文章がいい。優れた描写力は、現場の事物や雰囲気をほうふつさせるだけでなく、それらの背後にある無告の民族史をも浮かび上がらせる。旅の名手と表現の達者が幸運にも重なったものだ。