句集『身世打鈴』は、十七文字の中に凝縮された「在日」韓国人・朝鮮人の世界である。或いは、「在日」と「日本人」のはざまを生きる人間の情念が率直に告白されている精神世界だともいえるだろう。
 姜琪東氏のこの句から私は、氏が日本人の従来の俳句とはおのずと異なる境域に立っているのを感じたが、それは「身世打鈴」という、おおかたの日本人にはエキゾチックに響くかも知れないタイトルのせいでは勿論ない。この言葉にこめられた「恨」とか「怨」の感情領域が、日本語を活性化し異化しながら、その世界をおしひろげようとしているからに外ならない。こうした日本語は祝福されるべきものであろう。なぜならば、言語とは歴史の中で規範をこえ異域をひろげていく自己要求をもつものだから。まさにその意味でこの句集は、「在日」の生命力をバネにし、新境地に迫っているともいえる。
  河豚の座の毒も食らはむパンチョッパリ
 この一句には注記があり、
 「”パンチョッパリ“と嘲笑ふ者あり、それもよし。我は半日本人なり」とある。
 在日二世の、開き直った心境を披瀝したものであろう。「半日本人」であれば「半朝鮮人」でもあるわけだ が、こういう引き裂かれた人間の感覚を誰が笑いえようか。筆者もまた「在日百年」の歴史の落し子以外の何物でもない存在である。
  燕帰る在日われは銭湯へ
 この一句は、どう読みこまれるべきなのだろう。 徊趣味とか余裕派というたぐいのものではあるまい。これは、「在日」として生きる心を謳ったマニフェストなのだ。「銭湯へ」とは、平常心の表白であり、筆者が辿りついた心懐とみなされよう。「燕帰る」とはたんなる季語とはいえぬ政治的寓意をしのばせているものとも解される、鋭い季語だ。しかし、この句の本旨は、現実逃避におもむいてはいない。現実をありのままに受容し、あわてずうろたえず、むしろ楽しんでいこうとする自然体の心がにじんでいる。その澄んだ境地から「軽み」と「ユーモア」が感得できる質の高い作品となった。
 この句集は、個人史であるが同時に家族の形成と変容を詠みこんでいる。
  四十路より韓の名名のり盆支度
  帰化せよと妻泣く夜の青葉木莵
  帰化せぬと母の一徹火蛾狂ふ
  冬怒涛帰化は屈服と父の言
  韓の名はわが代までぞ魂祭
  孫生れなば 耶と名づけむ花木槿
 幾つかの句を任意にひろってみれば、この家族の肖像は「在日」の実態と深く結びつく。日本人を妻にもつ夫の両親は堅固な民族心の持主であり、わが子らは混血の新たな人生を持つ。家族三代にまたがる「血」と「地」の葛藤。「泣く妻」と「火蛾狂う」母と「屈服」せぬ父と子らのあいだで三竦みになる「夫」。「夫」は、わが子に添い寝しながら「帰化」すべきかどうか迷う。
 その「夫」にとって、「韓の名は意地の砦」であり、齢四十にして克ちとった人生の旗なのである。
 余談めくが、姜琪東氏は「四十路」までは「大山」という日本姓を使っていた。十数年前に私と会った時、青年時代は夜鳴きそばの屋台を引いていたと語った。その屋号は「大統領」であったとか。夜な夜なチャルメラを吹くこの無名の大山青年は、将来「大統領」になる夢を見ていたのだろうか。まさか、そんなことではないだろう。一国をたばねる大統領ほどの気概をもち、人生のあかしをもとめて生きてきた姿がほうふつとしてくる。その日本とは、根生いの地であるが、「指紋」を強制する「灼け地」であり、「永住」は許されても「韓の悪口」が「他国者」意識をかき立たせる「怨の国」なのだ。
 するどく醒めた感性が、強制送還される在日朝鮮人青年を救いたいと想うときに生まれる一句、
  血のやうな夕焼けの湾船来るな
 光州事件の虐殺(句の注記には「暴動」となっているが)に対しては、
  荒縄で柩縛りぬ梅雨に入る
 このような民族の血のたぎりもまたこの句集の一翼を占めている。
 けれども、「在日」のわが家とか「在日」そのものを問う心がこの句集の核心であることはまぎれもない。
  鳥帰るかなた韓国父祖の国
  チョゴリ着て羞ぢらふ妻や冬薔薇
  韓の歌妻に教へて磯涼み
  萌ゆるより踏まれて巷の草の芽よ
 日本というまほろばに生きる「在日」の多くは、日本人との新たな血縁の中で、抱擁家族としての知恵と愛をはぐくんでいる。この無限抱擁こそが人間の創造につうじ、「怨」と「恨」を愛の世界に誘うものなのだとこの歌人はいっているようだ。
 この句集は、従来の「身世打鈴」ではない。歴史の負の遺産を逆手にとって、明るみの世界に踏み込もうとする「在日」の心優しい男の試みとなっている。