俳句で綴る「在日」の哀歓

俳人(自著を語る) 姜琪東
1997/11/06「東京新聞」「自著を語る」

 在日韓国人が俳句という最も日本的な表現様式で己の生きざまを鮮烈に詠む。そのねじれの中に、その慟哭の中に、人間が存在する──『身世打鈴』の新聞広告のコピーである。「そのねじれ」とは、韓国人でありながら日本固有の文芸である俳句をつくることに対する私自身の複雑な心情をさしているのである。
「趣味は?」と訊かれて「俳句です」と答えると、たいていの人が驚いたような顔で私を見返す。口にこそ出しては言わないが「在日韓国人のあなたが、どうして?」という表情である。
 俳句を作るようになって二十六年。この間「よりによって、なぜ俳句なのか」という目に見えない詰問に取り囲まれてきた。先の広告文ではないが「最も日本的な表現様式である」俳句に深入りすることは、韓国人の魂を奪われることであり、民族的アイデンティティーを喪失することではないか、という自虐の念がいつも頭の片隅に潜在していた。

  ビール酌むにつぽん人の貌をして
  燕帰る在日われは銭湯へ
  草笛や韓の歌とは気づかれず

韓国人(朝鮮人)でありながら日本に生まれ、祖国の文化圏からへだたったまま■異国日本■の文化にどっぷり浸かって生きているのが〈在日〉なのである。日本のテレビを見、日本の新聞・雑誌を読み、年がら年中日本語の中で暮らしていて、それでも日本に同化しないで韓国人の矜持をたもちつづけることは、伝染病の病室に閉じこめられて感染するなと言われるようなものである。
 在日韓国人・朝鮮人社会では、日本に同化することをいさぎよしとしない風潮が根強く残っている。もしも在日の若い女性が日本の振り袖でも着ようものなら、一世の年寄りたちは「哀号!(アイゴウ)」と声を上げて嘆き、親のしつけが悪いと言ってののしることになるだろう。韓国人にとって日本への同化は屈服なのである。

  帰化せよと妻泣く夜の青葉木菟(あおばづく)
  帰化せぬと母の一徹火蛾狂ふ
  冬怒濤帰化は屈服と父の言

「なぜ俳句なのか」という設問にそろそろ結論を出さなければならない。在日をテーマとして書くとき、なぜ俳句でなければならないのか。私自身上手に説明できない。なぜ山に登るのかと問われるのと同じである。だが、詠むことで救われ励まされる私があり、俳句を通して新しい自分を発見することがあるのである。
 風土の中で人間性がつちかわれていくとき、その国の文化や慣習に感化されていくことは当然のなりゆきであろう。私が日本の俳句という詩形に巡り合ったこともまた同様である。そのことを日本社会への同化と非難するなら、私はその言葉を甘受する覚悟である。そもそも自分の思考形態が日本語で始まったことが、宿命の始まりなのである。

  迎火や路地の奥より身世打鈴  
  寒燈下母の哭くとき朝鮮語
  鳳仙花はじけて遠き父母のくに

 身世打鈴とは身の上話という意味である。韓国人は唄うように泣きながら、辛いことや悲しいことを延々と語る。泣き語ることで胸のうちを晴らすのである。
「本書はいわゆる■句集■ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人の自叙伝であり、パンチョッパリ(半日本人)と呼ばれる男の精いっぱいの抗いの記である」とあとがきに書いた。私が、俳句で在日の姿を綴るということは、俳句という名の短刀(どす)を逆手にとって日本人の胸元に突きつけることなのである。

  宿命や吾に国籍蚊に羽音
  韓の名は意地の砦よ冬銀河
  「恨(ハン)」と「怨(オン)」玄界灘に雪が降る