涙、涙の「冒険譚」

地域生活圏研究所所長 中谷健太郎
2007/02/18「西日本新聞」

 大正三年(一九一四)、三月下旬にカナダのバンクーバーを出港したアメリカ汽船コロラド号の、波おだやかな船上からこの物語は始まる。「グッモーニン、バロン。本日も仔牛のステーキになさいますか?」
「バロン」と呼ばれる、(背広のボタンが今にも弾けそうな…)「油屋熊八郎」と、(首筋から肩、肩から腰にかけて…小さな顔の中に、大きな涼しい目、先がツンと上を向いた鼻、笑うと白く健康な歯がこぼれる)少女「華乃」の、波瀾万丈の物語だ。
 時は日本近代の夜明け、年号は明治・大正・昭和に渉る。海を隔てた中国大陸に向き合って、登場人物たちの「江戸の名残の心意気」が九州・別府に炸裂する、と言いたいけれど、歴史の仕掛け舞台はちょっと甘い。炸裂するのは熱血「熊八郎」と元芸者「辰子」、それに、なんと言っても凛々「華乃」と逞しい漁師「襄一」の大恋愛物語である。それがなんとも劇画調でわかりやすく、私はあちこちのページで涙ぽろぽろだった。
 むろん当時の別府温泉が舞台である。目抜きの「流川通り」を埋立てて、その突端に「桟橋」を構築し、町の内外に乗り合いの「観光バス」を走らせ、地獄見物他の「遊覧ルート」を創設する。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」。どれもが黎明期の別府に展開された実話の「冒険譚」である。しかしそれでもやっぱり、これは「夢物語」なのだ。登場人物は「そっくりさん」たち、懐かしい「教養小説」、そう、「主人公の人格形成、発展を中心として書かれた小説」(広辞苑)、もっと、えげつなく言えば「読んで賢くなる小説」である。
 涙の隙間に立ち止まって私はちょっとだけ賢くなった。二十八歳で由布院に帰り、自分で「旅館経営」を始めた頃の、眩しいばかりの「夢」と「緊張感」、日々の「苦労」と、返ってくる確かな「喜び」を、まざまざと思い出した。七十二歳の今、もう一度あの「煌めきに満ちた冒険の日々」に向き合ってみようと思い始めている。