ぼくが住んでいる西日暮里は、山手線で最後に駅ができた場所というコトもあり、「駅前商店街」が存在しない。改札を出ると、道灌山通りという殺風景な大通りが広がっているだけである。
 道灌山通りの商店がこれまたイタくて、肉屋や魚屋、そば屋や寿司屋はひとつもないのに、花屋が三軒に靴屋が二軒(しかも向かいだ)あるというアンバランスぶり。あまりに寂しい街並みなので、「スサミ・ストリート」と命名したほどだ。
 このスサミ・ストリートにもときどきラーメン屋だの居酒屋だのができるのだが、次から次へと潰れていく。開業プランナーだかなんだかに入れ知恵されて、書き文字風の看板や揃いの作務衣に大金を投じた結果、三ヶ月で撤退するのだからお気の毒である。
 こういった「いまどき」っぽい店では、客は店のセンス(おおむね陳腐)を共有することを押し付けられる。小さな店なのにあわよくばチェーン化をというあさましさにウンザリする。それに較べて、「気がつけば何のテコ入れもせずに二十年……」という風情の靴屋のなんとすがすがしいコトか。
 前置きが長くなった上に強引なつなげかたで恐縮だが、昨今云われている「世界遺産」はいわば新規出店みたいなもので、「いろんなものをパッケージにして売ってやろう」という欲がギラギラしている。しかし、藤田洋三『世間遺産放浪記』で紹介されている二百四十七の物件は、時代を経ていい具合に風化したものばかりなのである。
「世間遺産」とは、無名の庶民がさまざまな目的でつくった建造物だ。タマネギ小屋、トタンの納屋、イモ貯蔵庫など田んぼに立つ不思議なカタチの小屋をはじめ、石や木を積んだ垣や橋、煙突や水車、井戸、屋根や壁など、病院や銭湯のように、「モダニズム」の文脈で評価される建築もあるが、大半は記録されることなく消えていく。
 しかし、これらの物件のなんと魅力的なことか! 魚の鏝絵(漆喰のレリーフ)のある左官小屋、泥と電柱でつくられた橋、土管が材料の壁、マツボックリの小屋など、奇妙なカタチに満ちている。
 たとえば、福岡県の「炭カル小屋」は、カルシウムを乾燥させるために、何段にも板が渡されている。骨組みがそのまま巨大な小屋になっているのだ。大分県の「焚き木積み」は、ひとつひとつが小さな小屋みたいになっていてカワイイ。
 田んぼで見かける「稲わら干し」は、土地によって呼び方やカタチ(物干し台型、ピラミッド型、トーテム型)が変わってくる。本書には島根県温泉津町の「ヨズクハデ」が紹介されているが、すぐ近くのぼくの田舎とはちょっとカタチが違う。
 古くからのやり方を踏襲しつつも、その場その場の瞬間的なアイデアがふんだんに盛り込まれているのもイイ。パワーショベルのタイヤでつくった祠なんて、よく思いついたmのだ。
 福岡県にある工場の倉庫(?)の壁が鋲で補強されている写真も、やたらとインパクトがある。モダンアートの作品のようだが、実用性を求めた結果であり、意図して生まれたものではない。
 著者は、高度成長期につくられたサクランボのカタチをした巨大看板や、国鉄の車掌小屋(ピンクに塗られている)、瓦屋根のバス停などにも眼を向けている。世間遺産とはたんに懐かしいもの、レトロなもののコレクションではないのだ。
「過去の出来事を過去のこととしてとらえるのではなく、これまでとは違う未来へ足をふみだすための物語を探す旅。『手で感じ、足で思い、指先で考える』のが世間遺産の流儀」なのだという。
 建造物だけでなく、炭焼きや鍛冶屋など職人たちの仕事の風景、「ひょうたん様」「河童楽」など地方で行われる奇祭も、同じく「手の仕事」ということで載っている。
 かつて赤瀬川原平は、意図せずして芸術となっている物件を〈超芸術〉とし、当時無用物扱いされていた巨人軍選手にちなんで「トマソン」と名づけた。「世間遺産」がトマソンと違うのは、あくまでも実用性を追究した結果こうなった、という点だ。本人たちにとってはアタリマエのものが、意外なオモシロサを生み出している。オビにあるように「無意識過剰」の力である。
 たとえば、広島県の「左官の城」は、神楽を奉納する舞方の家の壁面に龍や仮面、神楽のポスターなどが増殖している。これはトマソンというよりは、ミニコミ『畸人研究』が紹介している「オレの家」に近い。世間一般の感覚から振り切れてしまった方々の独特のセンスが爆発している点では、職人と畸人さんは意外と近い存在なのかもしれない。
 本書はオールカラーで二千三百円と、地方出版社の本にしてはずいぶん頑張った値段になっている。お買い得と云えるが、残念なことに、製本が甘い。書評を書くために本を広げたら、真ん中のページが取れてしまった。これも一種の世間遺産? なんて、シャレにもならんぞ。