アフガンへ匂い立つ愛

島田美術館館長 島田真祐
2003/11/16西日本新聞

 本書の魅力を紹介するのに、月並みの讃や評ではいかにも心許ない。できうれば、むしろ集中の一話なりとそっくり掲載したいもの。もともと小篇小説は名手の仕事。それも、手先の利くだけの小才の凡手には成しがたい。まずは骨身を削って仕入れた大量の情報と精緻な知見、さらにそれらを正確に感取し、選択し、整合し、練り上げて凝縮する鋭敏にして円熟した感性と技法が必須なこと、言うまでもない。
 幸いにして作者は、すでに独自の画風で知られる画家であり、作家であり、それ以上に四十年近く中央アジアを中心に人類史の辺境を旅してきた練達の旅人。故中上健次をして「眩暈(げんうん)に陥るが如き」と評された『生命の風物語』を始め、『シャリマール』、『餃子ロード』、『神・泥・人』などの優れた物語、紀行、エッセイを持っておられる。つまり、小粒にして時に人を殺す毒ともなり、時に人を活かす滋味ともなる小篇佳品をものする諸条件を間違いなく備えた表現者といえよう。
 画家としての作者が長年にわたって『ペシャワール会報』の表紙絵に添えて連載されてきた文章の中から選ばれ、さらに磨きをかけられたものに、新作を加えた四十七篇、そのいずれからも、激烈にして豊饒、無惨にして悲しいまでに美しいアフガニスタンの風土と歴史が立ち上がり、そこに生き死にする人々への分の厚い愛情が匂い立つ。愛情という語が嫌らしければ、風物の変容も含めて底に流れる時間総体に対してにじり寄ろうとする理解と共感の真摯な態度とでも言えばよいか。そして、そのことこそ、残念なことに、読者である日本人の私共に等しく欠けている心性ではないだろうか。
「……全員がテレビを凝視していた。伯父は、両掌を天に向け、その手で顔を覆い、呟いていた。『バビリィの塔だ』。ブラウン管の中で、二つの巨塔が燃え、やがて崩れ去った……」(バビリィの塔)
 この描写の素材となる事件を私共は知っている。だが、その認識と理解の何という浅さ、軽さ。絶妙の挿絵と共に、輪郭も彫りも深い甲斐さんの文体が私共につきつけてくる刃の一つである。