農村部の日本人は今日でも自分の家や村を小宇宙、その外側に拡がる山や海、さらにはそのなかに潜む霊や死を大宇宙と捉えている。そしてこの小宇宙と大宇宙とは同心円をなしていると信じている。本書によると興味深いことに、中世までのヨーロッパ人も同じような宇宙観を有していた。このような宇宙観の下では、時間は円環をなしていた。一年は春に始まり、夏、秋、冬を経てふたたび春に戻る。同じく人は死んで「あの世」に行ってからも輪廻転生によって「この世」に甦る。
 ところが中世になってキリスト教が次第に普及してくるとこうした普遍的な宇宙観、時間観は否定されるようになった。そこに賤民身分というものが成立するにいたったと著者は言う。
 大宇宙の要素である火とか水とか性などと関わる職業は本来は神聖な仕事であり、畏敬されこそすれ、賤視されることはありえなかった。彼らは小宇宙と大宇宙のいわば「間」に暮らしている人々だった。彼らが「賤民」となったのは、キリスト教が二つの宇宙の存在を否定したときから始まる。
 日本について同じ問題を論じた網野善彦氏の仕事とともに、本書は新しい見方を呈示してくれている。
 キリスト教はさらに直線的な時間観(救済史観)を導入した。歴史はアダムとエヴァに始まり、救世主イエス・キリストの登場を経て、ついには終焉(最後の審判)を迎えるのだ、と。しかしクリスチャンであるにもかかわらず、日本人と同じように今でも輪廻転生や円環的な時間を信じている西欧人はかなりいる。このように西欧人の心の深層に流れている古代的な宇宙観や時間観と、西欧人の建前をなすキリスト教的なそれとの間には明らかなずれがある。このずれを読むこと、それが「ヨーロッパを読む」ことなのだ。
 その他、死者の見方、ボスやデューラーの絵の解釈、交響曲の成立、娼婦論など話題は多岐にわたっている。
 今年、これほど興奮して読んだ本、教えられることの多かった本はない。