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ラバウル日記

旧帝国陸軍の官僚制としぶとく闘いつづけた一予備役軍医の二千枚に及ぶ日記文学の傑作。──降伏時、総司令官から出された責任逃れの「極秘通達」に憤り、英訳して豪州軍に提出。裏切り者と指弾されながらも、同僚を死刑より救う。

  • 725頁 A5判上製
  • 4-88344-047-8
  • 定価:本体価格5800円+税
  • 1999/12/25発行
水俣病事件と法 富樫貞夫 石風社 水俣 水俣病 公害 法律 証言 裁判 チッソ 熊本 熊本大学
booktitle
水俣病事件と法
zeikomi
¥0円
水俣病事件と法

水俣病事件における企業・行政の犯罪に対して、安全性の考えに基づく新たな過失論で裁判理論を構築。工業化社会の帰結である未曾有の公害事件の法的責任を糾す。──水俣病事件と共に生きてきた一法律学者の二十五年におよぶ渾身の証言集。

書評

徹底した被害者の視点

原田正純
熊本大学医学部助教授

「最初の水俣訪問でもっとも深い印象を与えられたのは、植物人間の状態で入院中の松永久美子さんと、同じように重篤な胎児性患者である上村智子さんの無言の姿であった。二人の無残な生きざまに接して、はじめて水俣病の重い現実を見たという思いがした」
 最近出版された『水俣病事件と法』の中で、富樫貞夫さんは水俣病との出会いをこう述べている。それがその後の彼の行動を決定づけた。ここにも出会いを大切に、見たことによって責任を背負った学者がいる。
 四大公害裁判の中で水俣病事件ほど多種多様な裁判をしたものはない。損害賠償請求訴訟だけでも第一次、第二次、第三次と続き、さらに福岡、大阪、京都、東京地裁と地域的な拡がりをもみせた。原告は二千人を超えた。ほかに棄却取り消し、不作為違法確認、待たせ賃などの訴訟、水俣湾ヘドロ仮処分、救済仮処分など行政に対する訴訟や請求があり、さらにわが国初の公訴棄却となった川本事件や暴圧裁判など水俣病被害者が起訴された事件、チッソの元幹部が被告となった刑事事件など驚くほど多くの事件が法廷に持ち込まれた。
『水俣病事件と法』はその時々の裁判の争点や判決について富樫さんが加えた解説と批判の論文集である。最初の論文が一九六九年十一月、最新のものが九五年十月に書かれているから、実に二十六年間の考察の集積ということになる。
 論文ではあるが、患者支援の機関誌や新聞、一般の雑誌に掲載されたものが主であるので難解さはない。それでいて質は高い。これを読むと富樫さんが寄り添うように被害者の側に立ち、冷静だが熱情をもった眼差しで被害者を見つめているのを感じる。そして明確に被害者の側に立ってみると、司法が必ずしも被害者の側に立っているとは限らないことが見えてくる。
 そうした司法の判断に対し富樫さんは「裁判所に課せられた任務はこれまでの事件の経過、認定に必要な基礎的データが欠落した事情、されには疫学的条件を含めた医学的知見などを総合的に判断して原告らが救済の対象とすべき水俣病の被害者であるかどうかを裁判所の責任において認定することである。しかし、大阪地裁は実にあっさりとこうした任務を放棄してしまった」、「本件の特質を考え合わせつつ、法の趣旨を探究し、慎重に利益考量を行うという姿勢が微塵もない。これはまさに官僚法学的思考の典型といってもよい。このような法解釈はおよそ説得力を持ち得ない」と厳しい調子で批判を加えていく。
 水俣病に関しては医学をはじめあらゆる学問がその狭い概念だけでは捉えきれないところがあった。この本からも既存の法概念の枠組みから抜け出そうとする試みが読み取れる。その典型が第一次訴訟の時に論理構成された「安全性の考え方」である。既存の法概念からではなく原子物理学者、武谷三男氏の放射線の安全性に対する考え方からヒントを得て組み立てられたものだ。
「どんな微量の放射能でも有害は有害だが、それをどこまで我慢するかというのが許容量という概念だということ。それは自然科学的概念ではなく、むしろ社会的ないし社会科学的概念である。有害の証明はないというがむしろ有害と証明された時はもう手遅れである。したがって、無害と証明されない限り安全ではない」「既成の法論理をわれわれの観点からどうとらえ返していくかということが問題になる」「この考え方は安全性が問題になるあらゆる場合に適用されるべきだ」……。現在問題になっているエイズ薬害なども、ここでいう安全無視の最も悲劇的な典型例であろう。誤りは繰り返されたのである。
 認定をめぐっては、医学に対しても厳しい目を向ける。例えば「認定制度に関する医師は患者に対して大変疑い深い態度をもって臨んでおられます。認定申請をする患者のなかには嘘をつく者がいるといわんばかりの態度です」「先生は感覚障害というのは自覚的なものだから患者が感覚が鈍いといえばそれが嘘だと見抜かない限りそのまま信用するしかないし、ここに問題があるといわれます。そのため、感覚障害だけの所見で水俣病だと認定するのは問題だと考えておられるのではないでしょうか。先生をはじめとして水俣病認定に関わる医師たちは、なぜこれほどまでに患者を疑ってかかられるのでしょうか。私にはどうしても分かりません」(T教授への公開書簡より)
この本の特徴は徹底して現場の被害者の視点に立って法律を捉えていること、そして、ほとんどの水俣病に関する裁判の中身が実にコンパクトにわかりやすくまとめられていて事典的機能を持っていることである。この一冊で水俣病に関わる法的な問題点はわかるといっても過言ではない。
 水俣病が発見されて四十年目の今年、国の責任も、ニセ患者よばわりされた被害者たちを水俣病と認めるかどうかも曖昧なまま決着がはかられようとしている。私たちは医学や法律が果してきた功罪をこの機会に検証しなければならないと考えている。いいタイミングの出版である。

被害者たちの闘いの軌跡

最首 悟
恵泉女学園大講師

「法」とは、物ごとを処理するときの「ルール」である。「ルール」は必要だ。このことはみんなわかっている。でも、そもそも「ルール」なるものを初めてつくったり、「ルール」を追加するときはどうするんだろう。その状態を想像したり、考えようとすると、だんだん頭が痛くなってくる。

■そんなバカなことが…
 それで、もっと簡単に、すでに決まっている「ルール」をあてはめる形で、ある物ごとの是非を判断する場合を考える。五十人の人を選び、半分ずつイエスとノーのグループに分ける。議論開始の合図で論戦を闘わし、イエスの組が勝った。つまり言い負かしたわけである。「じゃあ、立場を入れ替えて」という合図で、第二ラウンドの論戦に入る。イエスの組がやはり勝った。これはわかる。人によらずイエスに普遍妥当性があり、ひるがえって諸「ルール」はやはり普遍妥当性があったのだということになる。ところが、第二ラウンドでノーの組が勝ったとなると、さあ、困る。最初イエスで次に一転してノーの立場で、いずれも相手を言い負かしたとなると、単に口がうまいだけが勝負の分かれ道ということにならないか。現実はどうやらこっちの方で、そして法の専門家は「口がうまい」からなれたのではないか、というかんぐりをぬぐい去ることができないのである。
「法」はいかようにも使われてしまう。そのような術にたけている者を三百代言という。そしてその本質からして、三百代言は新しい「法」を必要としないだろう。そしてさらに、三百代言をいっぱい長期にわたって雇えるのは、金と力がある「法人」なのだ。しかも裁判では、「法人」と、金も力もなく病人であったり障害者であったり
する「私人」は全く同格に争うんだそうだ。そんなバカなことがあるか。
 水俣病加害という問題には、現代社会がかかえる問題は全て入っていると言われる。
 とりわけ裁判は、一九六九年から二十七年間にわたって、下級審、上級審をそれぞれ一つと数えると、三十を超える訴訟が争われ「法」の諸問題はことごとく露呈したといったも過言ではない。しかも現在、関西訴訟の控訴審がはじまったばかりという進行形であることも忘れてはならないことである。

■公訴棄却は政治的判断
 富樫貞夫氏(熊本大学教授)による『水俣病事件と法』(石風社)は、まさにそのような諸問題を、緊迫したスタイルで、そしてわかりやすく伝えてくれる。大著になってしまうことも納得される。結論からいうと「そんなバカなことがあるか」という私達の素朴な実感は、その通りだと諾(うべ)なわれる野である。そして、「バカなこと」が暴かれ、是正されるのは、ひとえに苦しむ人々の闘いによるということが、圧倒的に迫ってくる。
 典型例を挙げる。水俣病裁判では、日本の司法上、空前のことが二つ生じた。一つは胎児を人間と認めたこと、一つは公訴棄却がなされたことである。後者について述べる。チッソの回答を求めて、水俣病患者がチッソ東京本社前に一年半にわたって座り込んだ。その過程でリーダー格の川本輝夫さんが傷害罪で起訴されたのである。一審は有罪だったが、二審は公訴棄却の判決が出た。そもそも検察が川本さんを起訴したことそのものがいけないということである。
 そして最高裁は、本の一ページに納まるくらいの判決文で、起訴は妥当としながら、検察側の上告を退けた。つまり二審の公訴棄却を支持したのである。そんなバカな。まるっきり論理が通っていない。
 富樫さんはこの判決に対して、「法的判断というより政治的判断」と言いきる。川本さんは勝った。しかしそれは「弱々しい理屈」を並べた最高裁決定を手にしたからでなく、警察・検察の意図を「はね返し、逆に国家もまた加害者であることをあきらかにしえた」という意味で勝利なのだ、と富樫さんは説く。
 そこにいたるまで、水俣病の被害者たちはどれほどの闘いを強いられたのであろうか。

■いぜん責任認めない国
 今、ここに、「川本輝夫、この土気色にやつれ果てた人間をとらえて罰するだけでことがすむものでございましょうか」という最高裁長官にあてた昭和五十二年(一九七七年)七月十五日付の、石牟礼道子他一同の嘆願書がある。「国というものは奈辺にありや」という血を吐くような叫びがひびく。たしかに法の番人がゆらいだこともあった。しかし、そこに加害者としての姿を現わした国は、水俣病について、あいかわらず責任を認めていないのである。
 国が責任を認めざるをえないような「法」を私たちは生み出せていないのだ。そのことを私たちは苦く受け止める。しかし「法」や「法造り」は圧倒的に「法人」や「金持ち」に味方しているのだ。そのことをはっきり見据えて、私たちは行動しなければならないと思う。富樫さんの本を読んで、八分の苦汁と二分の活力剤を共に飲むようである。まことに若い人たちに薦めたい本である。

法と政治の無自覚を糾す

宇井 純
沖縄大教授(公害論)

 世界の第一線に立っているインドの環境運動家でエンジニアでもあるアニル・アガルワルから一本の手紙を受け取って、私は返事に困ってしまった。「今日本から水俣病の和解による解決が進められていると聞くが、発見以来四十年近くもなぜ解決しないのか教えてほしい。われわれもボパールのユニオンカーバイト工場のガス爆発という困難を抱えているために参考にしたいのである」
 この、何とも説明のむずかしい問題を解く緒を与えてくれるのが、最近出版された富樫貞夫著『水俣病事件と法』である。富樫氏は水俣病患者の運動とともに歩んできた水俣病研究会の中心メンバーの一人として、法学者の立場から、時にはその立場をこえて一市民として、節目の折々に水俣病をいかに考えるべきかを鋭く指摘してきた。市民としての発言も、常に法学者としての論争に参加できる水準であることがその特徴である。水俣病をめぐる市民運動の中で、氏が常に運動と法学の世界の橋渡しを果たしてきたことは、水俣病の運動に関係した者には周知の事実だが、こうして二十五年の業績が一つの本にまとめられてみると、その重みには打たれるものがある。
 チッソ水俣工場の過失責任を第一次訴訟で立証するためには、武谷三男著『安全性の考え方』から導き出された工場の注意義務を、つきつめて考えた富樫氏の提案があって初めて、前途に光が見えてきたのであった。そしてだれの証言でそれを立証するか、この困難もまた「工場の全体がわかるのは工場長しか居ない」という氏の一言から解かれていった。この事実は本書にはさらりと間接的に書かれていて、行間から読みとるしかない。
 水俣病の歴史をこの本を前にして振り返ってみると、つくづく政治に振り回された四十年であると痛感させられる。初期の因果関係をめぐる論争も、そのあとずっとつづく認定制度も、たくさんの裁判の経過も、専門家と自称し、政治とは関係ないと主張する医師たちや、裁判官たちが、実はなまぐさい力関係の政治の世界で一定の役割を果たしてきた事実のあらわれであった。その事実を、豊富な実例とその精密な分析によって本書は繰り返し明らかにする。
 特に裁判の政治性が鮮明に表れるのは水俣病の行政責任をいかに判断するかの場面である。国の行政責任を認めた熊本第三次訴訟の第一審と、国には全く責任がないとする新潟第一審、関西第一審の対照的な判決をくらべてみると、同じ歴史を対象としてこれほど正反対の判決ができるものかと驚くほかはない。
 一九六〇年代の日本国には、公害問題を直視し、それと取り組む姿勢など、全くなかったのである。そのことを調べようとしなければ、そこに責任があることなど認められるはずがない。環境庁の担当者が、この時期の水俣病を調べていた私のところへ調べに来たことは一度もないし、今夏調べることがあって私が訪れた特殊疾病対策室でも、室長は在席しながらあいさつすらしなかったほど、日本の官僚は自分の仕事についてさえ怠慢なのである。このような組織が、自分の責任を自覚することなど、あり得ないではないか。裁判官がそのことに気づかないとすれば、それは明白な政治的姿勢である。
 認定制度と水俣病像論のからみ合った現状についても、
本書はそこに作用した政治的圧力による認定基準の動揺を詳しくたどっている。認定制度が最初から補償と結びついていたことが、認定審査会を補償処理の道具とし、患者をモノとして取り扱う状況をもたらした。この手詰まりから抜け出すために和解が求められているが、それは病像も責任も放り出すものとして批判的である。
 水俣病ほど裁判の多い公害はほかにない。ほかに打つ手のなかった被害者が最後に司法に期待をかけたからであったが、現在の司法の水準、その背後にある日本社会の人権思想の水準は、残念ながらこれまで期待にこたえたとは言えない。その重みを教える本として、法律家だけでなくジャーナリストにも読んでもらいたいと感ずる。

  • 483頁 A5判上製
  • 4-88344-008-7
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 1995/11/30発行
丸腰のボランティア

異文化の中で、病院をつくり井戸を掘り、畑を耕し用水路を建設する。中村医師とともに汗を流す日本人ワーカーたちが綴る、パキスタン、アフガニスタンからの現場からの報告。──国境や国家の越え方にもいろいろある。グローバリズムに抗して……

書評

「世界」に向き合う日本人

与名原恵
ノンフィクションライター

「私でも何かの役に立つでしょうか」。
 現地ボランティアを希望する女性は、中村哲医師に尋ねたという。彼は、こう答えた。「いえ、役に立ちません」。そして言葉を続け、日本で身に付けた技術は現地では役に立たない。当初はじゃまになるくらいだ。けれども半年、一年とたつうちに現地の様子もわかり、何が必要かもわかってくるだろう。
 一九八四年からパキスタン・ペシャワールで診察を始めた中村医師のねばり強い活動とその成果は、よく知られるとおりだ。そして、この二十二年間でパキスタン、アフガニスタンへ五十人に及ぶ人びとが現地ボランティア・ワーカーとして赴いている。本書は、彼ら本人による活動報告をまとめたものだ。
 医療、農業、水源確保、用水路建設、植樹など、さまざまな分野で力を尽くしたいと現地で活動しているが、多くの苦難に直面する。あまりに過酷な現実、宗教、風習の違い。複雑な人間関係。そして、内戦、米国のアフガン攻撃、大地震……。
 夏は四〇度を超える現場だ。日本でやってきた方法論が一番正しいわけではない。不合理に思えても、そこには歴史と伝統に裏付けられた理由もある。そのなかで、彼らは悩み、苦しみ、自分ができることを見つけ出してゆく。悲しみも怒りもさらけだし、そして喜びの瞬間をかみしめる。「丸腰」ゆえに、人や土地を受け入れ、「命を預ける」関係を育んでゆくのだ。とりわけ、九〇年から現在まで看護師として働く女性の報告は、この時間の重さと深い意義を語っている。
 彼らの体験を通して、知ることが多くある。たとえば、国連やNGO(非政府組織)の活動の問題点。さらに、私たちが日本で得ている情報がいかにかたよったものなのか。目が開かれる思いだ。
「美しい国」をかかげる日本。けれども他国に対して「閉じて」いくのではないかという恐れを感じている。本書によって「世界」に向き合う態度を学んだ。

海外でやっていいことダメなこと

大谷猛夫
中学校教師

「自衛隊を海外に出すこと」が国際貢献だと考えているのが、自民党・公明党の連立内閣です。小泉前首相は憲法前文の中から「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という一文を前後の脈絡なしに引用して、自衛隊を海外に出動させたがっていました。これを引き継いだ安倍内閣も同様です。
 日本国民が、海外で困っている人のところへ出かけていって援助する、というのは武装した軍隊がでかけていくことではありません。『丸腰のボランティア』の本では国際貢献という言葉はまったく使われていませんが、私たちができることは何なのか、してはいけないことは何なのかがはっきり示されています。
 二十年以上パキスタン辺境州でアフガニスタン・パキスタンの戦火にあわれた人たちの医療と生活の支援をしてきた中村哲さんを中心とする「ペシャワール会」のボランティアの人たちの思いが、この本では淡々と述べられています。医療関係の人はもちろん、農業や井戸掘り技術を持った人たちができることをしていく、というこれだけのことです。しかも日本の尺度ではなく、現地の物差しで「私たち協力者がしなければならなのは何も特別なことではなく、今まで地元の人たちがしてきた良いことはそのまま続けて、改善したらもっと良くなるようなことは改善して地元の人たちと一緒に仕事をしていく」という精神です。
 アフガニスタンの人が言います。「井戸の掘り方を教えてくれた。完成するまで手伝ってくれた。完成したら、道具まで置いていくという。後は我々でできる。学んだことは他の村人や子どもたちに教えていける」と。
 ペシャワール会は日本の国際ボランティアの草分け的存在です。この他にもベトナムのストリートチルドレン救済やフィリピンの人たちとフェアトレードに取り組む人たちもいます。現地の人の自立を助けています。

新しい自分の誕生記録

下嶋哲朗
ノンフィクション作家

 即、冒険に出られる。若いとはこの勢いをいう。今時の若者は、何年かすればかならず失うその勢いを行使しない。かわりに既成の社会や価値観に浸かり、ケータイ、ゲーム、テレビ等々カタカナ語の小道具の小さな世界に背を丸めて没我する。そこに実感はないから覇気がない。たとえ若者であっても未知の自分への挑戦を恐れ、自らを革新しない者は、早老人である。小道具に入れ込む無数の老いた若者を見るたびに「もったいない」と思う。
 そもそも冒険とはなんだろう。家を出、既成社会の構成員たるをやめ、庇護されるを拒否して現場に飛び込む勇気である。既成の小さな自分を捨て、新しく大きな自分を自ら生み出そうとの行動である。それは小道具を捨て現場へ出なければならないのだ。現場において「我」の存在を実感するとき、必然自らの精神を取り囲む狭小な垣根はたちまち朽ち果てる。新しい自分が広がり行くを実感する。存在する自信の獲得である。こうして勢いよく成長する「我」を実感する爽快な心地よさの体験が冒険なのだから、深い悩みこそあれそこには失敗とか後悔などは絶対にない。仮に脱落したとしても、それは己の限界を悟ったのである。迷わずほかの道を進めばいい。「我」の冒険は「我」だけができる唯一のものであるゆえに貴重なのだ。「すべて現場から学んだ」と副題を付けた本書に登場する数十名の若者たちが、この事実を熱く教えてくれる。
 医師・中村哲さんの設立による「ペシャワール会」はつとに知られるが、その活動を支える多数の日本人ボランティア、──若者たちの生の声はあまり知られていない。本書はその若者たち、異文化の中で病院を作り、医療に携わり、井戸を掘り、畑を耕し、用水路を建設した若者たち自らによる記録だが、意図せずして新しい自分の誕生記録となった。
 「会」の現地代表中村さんがパキスタン・ペシャワールで診療を始めたのは一九八四年。戦争、内戦、干魃が起こり人々は被災し死傷したり難民となった。医療器具もそろわない困難なところで日本人二〇名が働いている。日本で医者をしていれば金儲けもでき安楽な生活は保障されている。なのに命も危ない国へ「なぜ行くのか」と自問し「青春をなげうって行くんだね」と悲壮視する友人や家族たち日本人に「青春を求めに行くのだ」と内心思う。現場においては「日本の知識と常識を覆され」て我は何をする人か、我は何ものなりかと悩む悩みが自己探求を深めて、逃避への誘惑に打ち勝つ。そこから新しい自分が生まれ出る。「会」は集団活動である。しかし、日本を含む各国からのNGOが押し寄せては、サッと引いていくなか「あなたたちは絶対に逃げない。私達はあなた達日本人だけは信じることができるんです」と人々にいわせる信頼は、新しい自分の誕生によって生じたものだ。その代償は金銭などではない。「日本から八千キロも離れた小さな渓谷で、我々のことを心から信じてくれる人々がいます」との日本では体験し得なかった信頼される喜びである。
 アフガニスタンは一九七九年のソビエトの侵攻以来いまだに戦火が絶えない。そればかりか、二〇〇〇年からは大干魃に見舞われ人口の半分以上が被災し数百万人が飢餓線上にある。完全武装した民兵に護衛されて作業を続けている外国の企業などは、襲撃と拉致と殺害が繰り返されたが、非武装・丸腰の日本の若者たちが襲われたことは一度もないという。それが「日本人への信頼につながり、軍事によらない日本人の『安全保障』となる」、結びの言葉である。若者たちは現場において日本の平和を鍛えてもいる。

真の「国際援助」とは

多田茂治
ノンフィクション作家

 心のこもった真の「国際援助」とはどういうものか、本書を読めばよくわかる。
 福岡出身の医師中村哲氏のパキスタン・アフガニスタンの僻地医療活動を支えるペシャワール会が発足したのは一九八三年。翌年、中村医師はパキスタン北西部の拠点ペシャワールに着任。カイバル峠を越えればアフガンだ。この一帯はハンセン病の多発地帯であり、結核、白血病、マラリア、腸チフス、寄生虫などの患者も多かった。貧困地帯でもある。
 本書は、中村医師の活動に共鳴してペシャワールに馳せ参じた日本の若者たち(約五十名)の活動記録である。九八年にはペシャワールにPMS(ペシャワール会メディカル・サービス)基地病院が開設されて本格的な医療活動が始まるが、二〇〇〇年にはアフガンの乏しい「命の水」の水源確保事業も開始。寒暖の差が激しいなかでの井戸掘り(すでに一四〇〇本以上)、灌漑用水路工事、植樹、試験農場開設、野菜栽培と仕事は増える一方。現地スタッフも増えるが、なにしろ異文化(イスラム)と鼻つき合わせての日常なので、驚き、とまどい、怒り、ときには「参った!」の連続だが、中村先生作のウルドゥー語のテキストには「お互いが理解し合うには時間がかかる。ゆっくりゆっくり……」
 そんな日々を重ねて、みんな大きくなってゆく。〇一年十月、アメリカのアフガン空爆が始まると、中村医師は「私はこの狂気に断固反対する。PMSは決して撤退しない」と激怒し、また一つ仕事を増やした。難民キャンプへの食糧支援。みんな生き生きと大忙しだった。
 題名の「丸腰」がよく効いている。アメリカべったりの小泉政権はイラく戦争が始まるや、いちはやく自衛隊をサマワに派遣して日章旗を揚げさせたが、重装備の隊員はもっぱら砦の中にこもっていて、何程の事も成し得なかった。
 ペシャワール会の丸腰のボランティアたちは現地住民のなかに溶け込み、厚い信頼を得て、大きな仕事をいまも続けている。丸腰の熱意のほうが武力よりも強い。

  • 400頁四六判並製
  • 978-4-88344-139-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2006/09/20発行
MAGIC CANDY DROP  マジック キャンディ ドロップ 英語版 岩元綾 いわもとあや 松田幸久 石風社 英語
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MAGIC CANDY DROP
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¥0円
MAGIC CANDY DROP

日本で初めて4年生大学を卒業したダウン症の岩元綾さんが、自分の夢とともに子どもたちに贈る冒険絵本。車椅子にのったケンちゃんが、アリの国で大冒険。「女王さまをまもらなきゃ!」

  • 四六判上製25頁カラー
  • 978-4-88344-068-9
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 1999/10/30発行
中村 哲 ペシャワール アフガン アフガニスタン 国際化 らい ハンセン病 NGO 北西辺境州 イスラム 石風社 辺境で診る辺境から見る 中村哲
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辺境で診る辺境から見る
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¥0円
辺境で診る辺境から見る

「ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである」(芹沢俊介氏「信濃毎日新聞」)
戦乱の中、診療所をつくり、千の井戸を掘り、緑の大地を拓く医師アフガニスタン・パキスタンで19年。時代の本流を尻目に黙々と歩む一医師の果敢な思考と実践の軌跡。戦乱の中、診療所をつくり千の井戸を掘り用水を拓く。時代の本流を尻目に、黙々と歩む一医師の、その果敢な思考と実践の軌跡のエッセンス。

書評

アフガン復興への現実的展望

芹沢俊介
評論家

 パキスタン北部の山岳地帯にある町ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである。
 著者はペシャワール会の医者として、二十年にわたり現地で、ハンセン病コントロール計画をはじめとする医療活動に従事する一方、大旱魃にみまわれたアフガニスタンに数多くの井戸を掘ってきた。現地の人たちとともに、農民が土地を失って難民となる事態を防ごうとして懸命の努力を傾けてきた。
 素朴な疑問が浮かんでこよう。なぜパキスタンの町がアフガン復興の拠点となるのだろうか。著者は書いている。浮浪者、物乞い、泥棒、そして三百万人のアフガン難民たちを、ペシャワールは苦もなく受け入れると。著者はそうした姿に、著者のいう「平和・相互扶助の精神」を見たのだ。それこそが真の人類共通の文化遺産であると思ったに違いない。
 あの悪名高かったタリバン政権に関しても、現地の生活者の視点に立つとまったく違う像が描き出される。著者の目には、タリバンによる治安回復は驚くべきで、人々はおおむねこれを歓迎していたと映った。アフガニスタンの広大な国土の九割が、兵力わずか二万人のタリバン政権で支配され続けたのは、決して圧制のためではなく、世界でもっとも保守的なイスラム社会の住民たちの期待に応えたからだ、と著者は述べる。
 このような著者の目を通して見るとき、正義の米国対悪のタリバンという構図は虚偽であり、タリバン後の自由なアフガンという見通しもまるで根拠のない、非現実的なものだということがわかる。実際、タリバン政権崩壊後、治安は乱れ、貧しい人々の生活はいっそう悪化している。復興支援という名の西欧風の押し付けも完全に行き詰まっている。
 そうした現実をかたわらに、長期的展望に立つ著者はめげる気配もない。誇り高いアフガン気質は農村にこそ生きているという現実感覚を踏まえ、年間二〇万人を診察するという医療活動や、井戸掘りなど水源確保を目的とした作業地の拡大に尽くしている。農村復興の要がそこにあるというのだ。読後、人間愛についてつくづく考えこんでしまった。

魂の叫び……珠玉の文章

白垣詔男
西日本新聞編集局

 一九八四年からパキスタン、その後アフガニスタンでも難民らの診療を続けている福岡市出身の医師中村哲さんの初の時事評論と随筆集。「人間にとって一番大切な権利は生存権」と言い切る中村さんの「魂の叫び」が並ぶ。物質文明の中で生活する日本人が読むと心洗われ「人間とは何か」を考えさせてくれる魅力的な一冊だ。
 時事評論は、中村さんが本格的にアフガニスタンにかかわり始めた八九年から昨年秋まで、西日本新聞はじめ日本の新聞や、中村さんを支える非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)会報に発表した中から厳選した。
 この間、アフガニスタンでは、軍事介入していた旧ソ連軍の撤退(八九年)、内戦(八九─九四年)、イスラム神学生の武装集団タリバン政権登場(九四年)、米国の空爆でタリバン政権崩壊(二〇〇一年十二月)、暫定政権発足(同)とめまぐるしい動きがあった。
 しかし、中村さんと現地病院、診療所スタッフらは、「幾多の戦乱と権力の変遷、現われては消える海外援助活動とは無縁に、患者や現地スタッフたちと泣き笑いを共にし、現地活動を継続してきた」。
 中村さんが現地代表を務める「ペシャワール会」の事業は、医療に加え飲料水確保、さらに農業土木工事まで広げる。すべて、現地の人々の命を守るためである。
 これらの資金は、同会が募集した「アフガンいのちの基金」(十億近く集まった)と急激に増えたペシャワール会会員の会費だった。同会は、米空爆が始まると会員が急増、八千人を超えた。
 本書には、二十年近く両国で医療活動など、現地の人々の立場で活動してきた中村さんの「珠玉の言葉」が並ぶ。それらは、光が当たるときだけ、にぎにぎしく動き回る大半のNGOの活動家らとは違う、大地に根ざし活動を継続してきた者だけが語り得る重たい響きを持つ。それは、湾岸戦争、米空爆などイスラム社会で「敵」を増やしている日本政府の愚行を、食い止める努力にもなっている。
 巻末には〇〇年七月から八月にかけて西日本新聞文化面に五十回連載した随筆「新ガリバー旅行記」を収録している。

  • 251頁四六判上製
  • 978-4-88344-095-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2003/05/20発行
ペシャワールにて 中村哲 ペシャワール イスラム らい ハンセン病 石風社 中村 国際化 アジア パキスタン 難民 NGO
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ペシャワールにて
zeikomi
¥0円
ペシャワールにて

数百万のアフガン難民が流入するパキスタン・ペシャワールの地で、1984年以来現地スタッフと共にらい(ハンセン病)患者と難民の診療に従事する日本人医師が、高度消費社会に生きる羅針盤を失った私たち日本人に向けて放った、痛烈なメッセージ

書評

真の国際化は異質との接触

阿部謹也
一橋大学教授(当時)ドイツ中世史、西洋社会史

 私はまだペシャワールに行ったことがない。蒼穹に白い頂を屹立させたヒンヅークシの美しい山々も見たことがない。アラブのバザールも知らない。それなのに、パキスタン・アフガニスタンで医療活動を続けている福岡市出身の医師・中村哲氏著「増補版・ペシャワールにて」を読んでいると、あたかもペシャワールのJAMS(ジャパン・アフガン医療サービス)の病院で患者の膿みをとり、ときにバザールでカバブーを買っているような気にさせられる。
■現代世界の焦点
 どんなに小さな町でも村でも、それなりに世界の縮図ではある。しかしペシャワールは文字通り現代世界の焦点といってもよいだろう。ここには自分たちの文明の普遍性を標榜している欧米先進諸国が奉仕という形式のもとでその傲慢な素顔を見せているし、現代日本の旅行者や若者も現在の日本の病める姿をさらけ出している。旧ソ連やアメリカの露骨な干渉が何のために行われたのか、住民は日々肌身で感じとっている。国連難民高等弁務官という地位や国連という名が日本では海外協力の錦の御旗にされているが、その実態がどのようなものであるのか住民はつぶさに知っている。ここには明治以来百年日本人が自分の目にかけてきたサングラスあるいは鱗を払い落すすべてのものがある。
 ペシャワールに思いを馳せるとき、私はまた東京・福岡という回路を通して考えてしまう。私は中村氏が糾弾している東京に住んでいる。そして年に一度福岡に行くことを楽しみにして月日を送っているといっても過言ではないだろう。それが何故なのかこれまで余り考えたことはなかったが、中村氏が生まれ、ペシャワールの会がつくられる福岡を考えてみると、そこには何らかの関連があるような気もする。
 一昨年と昨年、私はドイツで国際学会に出席し、昨年は「日本の世間と西欧の社会について」講演をした。そのときマレーシア出身の学者が日本の世間という概念にたいへん関心を持ち、マレーシアでもその話をして欲しいといわれたことがあった。その前の年に私はこれまでの日本とヨーロッパ・アメリカという構図だけでなく、東南アジアそのほかのアジア諸地域を含めた歴史認識を形成してゆかなければならないと考え、明治維新に関する東南アジアの学者たちと日本の研究者たちとの大きな違いについて考えるべきだということを岩波書店の『よむ』という雑誌に書いたことがあった。
■自ら変える意志
 しかし、本書を読んでいるとこうした問題のすべてがペシャワールでは明瞭な形で現れているように思える。国際化という言葉が叫ばれて久しいが、かねてから私は国際化とは異質な文化(人と人の関係のあり方)の中に自分の文化(人と人の関係のあり方)と共通な基盤を発見し、そこから互いの文化の違いが生ずる経過を現在まで辿ってくる作業だといってきた。中村氏は文字通りそれを実践されている。国際化とは、異質な人々と接することによって自分が変わってゆくきっかけをつかむことでもある。自分を変えようという意志がないところには真の国際化はない。西欧のミッションや国連の事業がうまくゆかない理由の一つにはこの問題がある。
 最も重要なことは現地に長く滞在し、そこで何が求められているのかを把握することなのだが、このようなことをこれまでどれほど多くの人や公的機関がなおざりにしてきたことか。インテリを代表とする近代文明の担い手たちが、自分たちこそ知の最先端にいるという幻想にとりつかれてからこのような事態が始まったのである。それはヨーロッパでほぼ16世紀に始まり、日本ではこの百年の間の出来事である。
「ハンセン病」をめぐる偏見についての本書の指摘はまさにこの問題とかかわっている。中村氏は「ハンセン病」をめぐる偏見が近代化に応じて強くなり、科学的知識の普及に連れて差別も無慈悲なものになってゆくことを指摘している。
 パキスタン北西辺境州やアフガニスタンでは患者も共同体に一定の席を割り当てられているという。感染という科学的な概念が普及すると「うつる」というメカニズムが、精神的なものを媒介することなく人々の頭脳に定着し始め、差別が激しくなったという。
「近代化とは中世の牧歌的な迷信が別のもっともらしい科学的迷信におきかえられてゆく過程であるに過ぎない」と中村氏がいうとき、ルーマニアの亡きルネサンス研究者クリアーノのような現代の学問の最先端の人々がようやく気づき始めたことを中村氏はすでにペシャワールで自らの体験の中で確認していたのである。
■自分の外のこと
 現在日本でも外国人労働者に対する差別が激しくなっているが、このような状況の中ですら日本史家たちは「ハンセン病」に対する差別や「ハンセン病」の存在さえ日本の学生は知らなくなっていると嘆いているにすぎない。専門の学者ですらこのような状態であるから、日本では部落差別や外国人労働者に対する差別を自分の外の出来事として捉えようとする風潮が強い。私は部落差別の問題は被差別部落以外の人々の中に今も強く残っている世間意識がある限り、容易には解消しないと考えている。しかしこの世間意識に対する関心はほとんどゼロに等しい。
 日本のインテリは社会という言葉を容易に使うが、社会は個人を単位として成立している建て前になっており、自立した個人の存在を前提としている。しかし日本ではその程度の個人もいまだ十分には存在しておらず、今後も西欧的な個人が定着する見通しはほとんどないといってよいであろう。にもかかわらず西欧風個人を前提にしてすべての概念が立てられているところに問題がある。
 世間とはそれぞれの個人がもっている人間関係の絆であり、郷土や出身校、会社、などの中でそれぞれが独自に結んでいるものである。一人一人の世間は従ってそれぞれ異なっている。世間は個人以前に存在するものと考えられており、個人が世間を変えることが出来るとは誰も考えてはいないのである。しかし世間は個人にとっては実在であり、皆が世間を意識しながら暮らしているのである。その世間そのものは排他的で差別的な構造をもっており、私達の差別的な言動の根源に世間という枠がある。そして世間意識の存在に気づかないが故に私たち自身の差別的言動にも気づかないのである。
 本書は私たちをこのような世間意識から解放し、「ハンセン病を病むことだけが人間の平等の印でしかない」世界を見せてくれる。このような世界を見た人の言葉を私たちは信じなければならない。本書を読むことによって私たちがどのような絆で結ばれているのかをも自問することになるだろう。

  • 261頁四六判上製
  • 978-4-88344-050-4
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1992/03発行
伏流の思考 福元満治 私のアフガン・ノート 石風社 福元 満治 中村 哲 ペシャワール らい ハンセン NGO 国際化 グローバリズム アフガニスタン アフガン 石風社 伏流 思考
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伏流の思考
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伏流の思考

一編集者が、ひょんなことからNGOの責任者になって、考え続けた思考の軌跡。……人間の欲望が幻影となって、人間の存在を呪縛する世界に身を置きながら、アフガニスタンに関わり続けて二十数年。

書評

援助の独善、厳しく排す

松原新一
久留米大学教授・文芸評論家

 福岡市にペシャワール会というのがある。一九八三年九月、中村哲医師のパキスタン・アフガニスタンでの医療活動の支援を目的に結成された会である。そのペシャワール会の広報担当理事として中村医師の活動にねばり強く伴走してきた福元満治が、『伏流の思考──私のアフガン・ノート』という本を出した。その読後感を書きとめておきたい。
 福元満治は、ある時、現地でのボランティアを希望する看護婦さんと中村医師との会話の場に同席したことがある、という。「私でも何かの役に立つでしょうか」と問う看護婦さんに、中村医師は即座に「いえ、役に立ちません」といってのけた、という。この、一見冷徹ともいえる答え方に、福元満治は、長年ペシャワールという異文化の地で悪戦苦闘してきた「ひとりの人間の断固たる意志」を見た、と書く。
 中村医師はただ冷たく突き放したわけではなく、「半年か一年は寝てくらすつもりで来てください。そのうち現地の様子もおいおい見えてきて、何が必要かもわかって来ます」と言い添えるのを忘れてはいない。ただ、不幸な他者への慈善的善意に陥りがちな私どもの弱点をきびしくみすえることばとして、ここに取り出したのだが、「現地の立場に立つ」ということが、いかに困難な課題であるか。
 本書を読みながら、幾度も私の念頭に浮かんだのは、いったい他者の呼びかけに応えるとはどういうことか、という問いだった。福元満治は、中村医師はさまざまな国家や組織や個人が「援助」の美名のもとに、それぞれの利害や思惑や善意を現地の人びとに押しつけて混乱を引き起こす姿を、うんざりするほど見てきたはずだ、という。NGOなどが、お金を出してくれる「先進国」の方に顔を向けて、「識字教育」だの「女性解放」だの「人権問題」だのといった先進国好みのテーマを持ち込むのも、現地の必要という点からいえば本末転倒になりかねない、という。
 面白いのは、福元満治が中村医師に対して最初に抱いた感情は「嫉妬」だった、と告白している事実である。「中村医師のアフガニスタンの人々との関係のありかた、その深さに嫉妬したのである。ひとは、他者とこれほど深く関わりあうことができるのか」という思いだった、という。そういう悲しい感受のしかたに、おそらく六〇年代末のあの全共闘世代の一人としての福元満治の、心の傷がうずいているにちがいない。ここに本書の微妙な文学的性格もまた浮かび上がってくる道理である。

  • 272頁 四六判上製
  • 978-4-88344-104-4
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2009/10/20発行
フィリピンの小さな産院から
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フィリピンの小さな産院から
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フィリピンの小さな産院から

フィリピンの最貧困地域にクリニックを開いて13年。伝統的風習と近代化のはざまで悪戦苦闘しつつのてんやわんやの日々の記録。丸裸の人間が見え、本当の豊かさと、「本当に母子にとって良いお産とは」を問う、泣き笑いの奮闘記。

  • 四六判上製 287頁
  • 978-4-88344-226-3
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2013/04/01発行
博多に生きた藩医カバーol-01
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博多に生きた藩医
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博多に生きた藩医

日本で初めての翻訳解剖書を一子相伝で伝える博多医家の四百年


日本で初めての翻訳解剖書を一子相伝で伝える博多医家の四百年

  • 256頁(口絵カラー4頁×モノクロ4頁)
  • ISBN978-4-88344-243-0
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2014/06/30発行
ドクターサーブ

パキスタン・アフガニスタンでドクターサーブ(先生さま)と呼ばれる男がいる。1984年から医療活動を始め、現在数百の現地ワーカーを率い、年間患者数20万の診療体制を築いた日本人医師の15年を活写。──真実を、その善性を、中村は言葉で語らない。ただ、実行するだけである。(本文より)

  • 293頁 四六判並製
  • 4-88344-074-5
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2001/07/01発行
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