心のこもった真の「国際援助」とはどういうものか、本書を読めばよくわかる。
 福岡出身の医師中村哲氏のパキスタン・アフガニスタンの僻地医療活動を支えるペシャワール会が発足したのは一九八三年。翌年、中村医師はパキスタン北西部の拠点ペシャワールに着任。カイバル峠を越えればアフガンだ。この一帯はハンセン病の多発地帯であり、結核、白血病、マラリア、腸チフス、寄生虫などの患者も多かった。貧困地帯でもある。
 本書は、中村医師の活動に共鳴してペシャワールに馳せ参じた日本の若者たち(約五十名)の活動記録である。九八年にはペシャワールにPMS(ペシャワール会メディカル・サービス)基地病院が開設されて本格的な医療活動が始まるが、二〇〇〇年にはアフガンの乏しい「命の水」の水源確保事業も開始。寒暖の差が激しいなかでの井戸掘り(すでに一四〇〇本以上)、灌漑用水路工事、植樹、試験農場開設、野菜栽培と仕事は増える一方。現地スタッフも増えるが、なにしろ異文化(イスラム)と鼻つき合わせての日常なので、驚き、とまどい、怒り、ときには「参った!」の連続だが、中村先生作のウルドゥー語のテキストには「お互いが理解し合うには時間がかかる。ゆっくりゆっくり……」
 そんな日々を重ねて、みんな大きくなってゆく。〇一年十月、アメリカのアフガン空爆が始まると、中村医師は「私はこの狂気に断固反対する。PMSは決して撤退しない」と激怒し、また一つ仕事を増やした。難民キャンプへの食糧支援。みんな生き生きと大忙しだった。
 題名の「丸腰」がよく効いている。アメリカべったりの小泉政権はイラく戦争が始まるや、いちはやく自衛隊をサマワに派遣して日章旗を揚げさせたが、重装備の隊員はもっぱら砦の中にこもっていて、何程の事も成し得なかった。
 ペシャワール会の丸腰のボランティアたちは現地住民のなかに溶け込み、厚い信頼を得て、大きな仕事をいまも続けている。丸腰の熱意のほうが武力よりも強い。