書評

木喰さん

木喰 弥勒 祐徳 石風社 絵本 江戸 飢饉 上人
A4変型上製36頁
978-4-88344-159-4
定価:本体価格1400円+税
2008/03/01発行
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木喰さん
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書評

生まれ変わりではないか

井口幸久
西日本新聞記者

 木喰(もくじき)は江戸時代の僧。二十二歳で仏門に入り、四十五歳で木食戒(かい)を授けられた。木食戒は、凡人には信じ難いほど厳しい。肉食を絶ち、火を通したものを食べてはならず、米、麦など五穀を食べてもいけない。着物は一枚、横になって寝ることも許されない。山岳を回り、仏を刻み、梵字(ぼんじ)を学び……。
 九十三歳で亡くなるまで、木喰は諸国を回って千体の仏像を刻んだと言われる。その後、仏たちは忘れられ、子供の遊び道具となり、盗まれたものもある。民芸運動の柳宗悦が再評価し、今日、円空と並び称され親しまれている。
 弥勒祐徳さん=宮崎県西都市在住=は一九一九年生まれ。中国大陸での戦火が拡大し、不況は深刻だった。赤貧洗う暮らしの中で中学に進学したが、授業料が滞り、登校停止を言い渡される。それを両親に言い出せぬ弥勒少年は、日向国分寺で時間をつぶした。そこには最大の木喰仏、五智如来が鎮座していた。消失した日向国分寺の再建のため、木喰は十年間この地に留まり、多くの仏像を残している。
「彫刻のまねごとですな。木の枝を拾うては、小刀で刻んじょりました」
 戦後、中学校の美術教師となった。一貫して絵を描き続け今日に至る。定年退職してからは木喰の辿った道を歩き木喰仏を描いた。その数は数千枚に上る。
「木喰仏は何度描いても同じものが描けませんな。つまり、生きちょるということですな」
 直線的な円空仏に対して木喰仏は丸い姿。円は角が立たず序列も生じず、すべての人を包むのだと弥勒さんは見る。昨年まで自宅で寝たきりの妻を介護しながら精力的に絵を描いた。そのひた向きな生き方に対して西都市は市民栄誉賞を贈っている。行政が個人の生き方を表彰するというのは異例中の異例。人々がいかに彼を愛しているかが、知れようというものだ。
「自分は復活する」と木喰は予言した。弥勒さんは八十九歳にして初の絵本である。数十枚の油彩で綴った木喰の生涯を眺めると、弥勒さんその人が木喰の生まれ変わりではないか──。そんな気持ちにさせられる。

目次紹介- 抜粋 -

絵本
付録・木喰さん略年譜、木喰さんの足跡

弥勒祐徳

みろく・すけのり

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弥勒祐徳
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みろく・すけのり

画家。1919年宮崎県西都市に生まれる。1938年西都市立寒川小学校代用教員となる。1940年、応召。中国東北部、南方戦線に従軍。1944年招集会場。、三納青年学校助教諭となり、以後59歳まで宮崎県内各地の中学校で図工科の教員として教壇にたち。 1955年、宮崎県美展に初入選。1960年、宮崎県美展で知事賞受賞。1976年には文部大臣賞、さらに宮日総合美術展で県知事賞を受け、無審査となる。1978年には北海道にスケッチ旅行、長年の主題の一つである「木喰仏」を訪ねる。 1989年文部省の地域文化功労賞、2003年西都市民栄誉賞、2008年西日本文化賞を受賞。2005-07年には宮崎県美展で特選、大賞、特選を連続して受賞。 現在も西都市に在住。個展回数は400回を超える。 著書に『絵に生きる』(私家版)を初め『西都風土記』『曼陀羅の記』『神楽を描く』『木喰は生きている』(以上、鉱脈社)絵本『木喰さん』『語れぬ妻へ──八十八歳の画家が描いた在宅介護の千八百日』『絵が動く』(石風社)など。 また評伝に『小伝・弥勒先生』(井口幸久、西日本新聞社)『民俗画家弥勒祐徳』(福富健男、江南書房)がある。