書評

尼僧のいる風景

尼僧のいる風景 内なる中国の旅 羽床正範 石風社 水墨画 中国 西安 尼寺 尼
A5判並製174頁
定価:本体価格1800円+税
1990/06/30発行
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尼僧のいる風景
zeikomi
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内なる中国の旅

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尼僧のいる風景
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西安美術学院に留学していた著者は、中国人学生とともに旅に出る。彼等は漂うように安宿や寺を泊まり歩き、ある時峩眉山の尼寺雷音寺に投宿する。──天安門を遥かに離れて、中国の内なる世界と著者の内面が渾融し、読む者は不思議の世界に誘われる。

書評

帆掛一輪車の記憶

松浦豊敏
「暗河の会」会員

M君
『尼僧のいる風景』をお送りいただき、大変有難うございました。いい文章で書かれた本の感想が拙い文章だったら全くのお笑いにしかなりません。『尼僧のいる風景』はそんな気持ちを起させる本です。お礼が遅れた言い訳です。

 もう四十数年も前、私は中国山西省南部の田舎で、帆を掛けた一輪車を見たことがあります。帆掛一輪車は、黄土地帯の轍の跡を、少しばかりの袋のような荷物を積んで、車軸をがたつかせながら私たちの前を通り過ぎてゆきました。仕事のことで一緒に田舎回りをしていた先輩格の同僚が、すかさず、中国人はあんなふうに少しでも力を吝(おし)もうとするのだと説明してくれました。成程、と思いながらも先輩の穿ったような説明で、眼前の光景がすべて納得できたわけではありませんでした。
 齟齬の感じは、他にもいろいろと異を立てられる、そんな時限のものではなくて、報告と報告されるものとの間のちょっとした、それでいてなかなか越えられそうにない隙間、そんな感じだったような気がしています。
 近くは天安門のことがありました。新聞にはセンセーショナルな大きな活字が躍っていました。悲しむべき事件にショックを受けながら、それでもいま一つ、帆掛一輪車の時と同じような齟齬感に、気持ちがざらついてくるのがどうしようもありませんでした。
 送っていただいた『尼僧のいる風景』を読みながら、私はそんなことを思い出していたのです。たぶん、様式の違いなどというものではありません。著者の、しなわかで人の心にしみ入るような感性が、読む者に安堵感を与えるのです。それでその安堵感が、四十数年も前の、帆掛一輪車を前にしての隙間の感じを思い出させたのだろうと思います。
『尼僧のいる風景』は、サブタイトルにもあるように、中国の西安美術学院へ留学した著者の「内なる中国の旅」です。ハイライトはやはり後半の「峩眉山 雷音寺」一連にあると思いました。著者と同行者一名、散々な手違いを繰返しながら、やっと成都に近い雷音寺に辿り着いて何日か宿泊することになります。この間の、寺の尼僧達にしてみれば、殆ど日常茶飯の何ごとでもないことを綴ったものです。それでいてふと熱くなるような読後感は何なのでしょうか。
私は著者については何の知識もありません。しかし文章からすると、繊細で非常に抑制の利いた人柄のように思えます。著者は寺の若い尼僧に思わず年齢を尋ねてしまいます。そして自分の出過ぎた質問にうろたえてしまうのです。
 更には同じような抑制の利いた文章が本文の随所に光っています。「仏事」では、老師が土間にひれ伏して祈りをする場面があります。一個の布のかたまりのようだと記しています。己を全く空しくした祈りの姿に感動しているのです。老師はおそくに出家したと言いながら、まだ三十代の尼僧です。
 本には出家前の老師の生活や出家の動機については何もふれられていません。しかし読む者は、それらの祈りの場面の数行だけで、老師の過去も現在も、はては未来まで、すべてを理解出来たような気分になります。伝達と伝達されるものの間に一分の隙もないのです。真実というものだろうと思います。
『尼僧のいる風景』には、他にも現在の中国にとっては不都合な多くの社会事象が紹介されています。しかしそれらの報告も、決して意図的に書かれたものではないという安心感から、いずれもスムーズに納得出来るのです。

 好人不当兵(ハオレンブタンピン)。二年経ったら帰って来なさいよ。そう言って兵隊に行く私を送ってくれた人達がいました。この本に出てくる、雪の高台に立って、いつまでも目送(ムースン)していた法王寺の老人の姿が重なってきます。
 戦争のことは、またいずれかの機会にお話ししたいと思います。酷暑の折から御自愛下さい。

懐かしさ漂う深い静寂

吉田優子
「暗河」同人

 数年前、羽床正範氏の水墨画絵本を読んでその不思議な雰囲気に引き込まれたことがある。仕事に追われて余裕がなくなると、むしょうにその絵本の世界に触れたくなり、幾度か読み返したものだった。日常の時間から、深い静寂を湛えた空間へすっと入れる隙間がその童話には有った。
『尼僧のいる風景』にも同じような雰囲気が流れていた。
 この本には、一九八八年、当時四十八歳の作者が西安美術学院留学中、友人の中国人学生と旅して回ったときの事が語られている。二人は山あいにひっそりと在る古寺を捜して泊まり歩いた。──内なる中国の旅──という副題がつけられているが、作者自身の心の内に長い間抱き続けてきた奥深い中国へのイメージを捜し求め、出逢う旅でもあったように思える。
 旅の道すがら逢った老人、ひたすら歩き続けているような尼僧たち、山道、古寺などが作者とのかかわりを通して淡々と描き出され、読んだ後も印象に残っている。
 この本の中にも幾つか墨で描かれたお寺のデッサンがある。それぞれの絵は正面に一つずつ小さな入口を持っている。そこからお寺内部の仄暗い世界が一部のぞき、むかしむかしから在り続けてきたような時がひんやりと匂ってくる。
 旅人である作者は、その入口を越えて内部の世界に入っていった。そこには尼僧たちの居るお寺があった。明るく澄んだ文体が、尼僧たちの静かな生活、手作りの食べ物、濃い闇、仏事などを描き出し、読む者の想像をふくらませる。わたしらの周囲には決して見れない世界であるのに、遙かなむかし、どこかで知っているような深い懐かしさに包まれる。読手によって異なるだろうが、わたしには、幼年時代住んだことのある茅葺の大きな家屋の空気がぽっかり浮かび上がってきた。

目次紹介- 抜粋 -

嵩山・法王寺
 洛陽で正月 少林寺の山々 霧の中へ 尼僧との別れ ほか
峩眉山・雷音寺
 西安の旧正月 虎伏寺 ミシンを踏む尼僧 老師 仏事 チベットの老人 最後の食事 雲南への旅立ち ほか
西安美術学院のことなど

羽床正範

はゆか・まさのり

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羽床正範
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はゆか・まさのり

1939年京城に生まれる。1964年九州大学中国哲学史科を卒業。古賀井郷氏より書を学ぶ。
1977年台北の故宮博物院に留学。故宮博物院副院長江兆申氏及び中国文化大学余偉教授より水墨画を学ぶ。北九州大学文学部教授。
水墨画絵本に『あみになったことりたち』『おとうさんの帽子』『おとうさんのひこうき』『竜になる』『象さんがんばれ』(共著)『みんなであまやどり』『おとうさんの豆だぬき』『ぼくおうちにかえりたい』『こんなにかわいくなりました』などがある