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文芸(小説・エッセイ)既刊
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インド ノープロブレム 石風社 ひのもと 由利子 旅 一人旅 
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インド やっぱりノープロブレムへの旅
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インド やっぱりノープロブレムへの旅

インドはひとを超えた存在のあることを、なにげなくかろやかに見せてくれた。ブッダ、サドゥ、マザーテレサ、ダライラマ……深々とした宗教の培養器インドへの内なる旅エッセイ

  • 四六判並製270頁
  • 4-88344-112-1
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2004/08/30発行
インド ノープロブレム 旅 一人旅 ひのもと 由利子 石風社 印度 エッセイ
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インド ノープロブレムへの旅
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インド ノープロブレムへの旅

ひとはなぜインドに惹かれるのか、ひとはなぜインドにはまるのか──。おんな一人、インドのちょっと奥まで旅してきました。

  • 四六判並製272頁
  • 4-88344-106-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2004/04/24発行
生命の風物語 シルクロードをめぐる12の短篇 甲斐大策 シャリマール 灼熱 太陽 屈辱 報復 復讐 エロス 流転 無常 画 シルクロード アフガン アフガニスタン 甲斐 大策 中上 健次 小説 生命 ペシャワール エロス 死 神 泥
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生命の風物語
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生命の風物語

中上健次氏絶賛!


苛烈なアフガニスタンの大地に生きる人々、生と死、神と人が灼熱に融和する世界を描き切る神話的短編小説集。「読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか」(中上健次氏)

書評

物語を読む歓び

樋口伸子
詩人

 暑い夏に熱い本を読み、知らずに負った火傷の跡が秋風の頃になってひりひりとする。
 画家として知られる甲斐大策氏が、シルクロードをめぐる本を出した。『生命の風物語』『シャリマール』という愛の物語集。いずれにも、本来〈物語〉が持つべき活力(マナ)が溢れている。生命だけでなく、死にさえも。
 舞台はアフガニスタンを中心とするイスラム圏。根強く残る内外の紛争に加えて、その風土は苛酷なまでに熱く乾き、人々の営みは私達の日常から大きく隔たっている。
「ドゥシュマンダール」という一篇は、パシュトゥン部族社会の掟の一つである報復を背景にする。ある夏の宿場町で妻をからかわれた夫が手斧を二人の男に叩き込んだ。
 白い埃に覆われた並木の街道筋、驟雨前のよどんだ空気と不穏な空模様の変化、苛立った心理が招いた一瞬の惨劇まで、駒落としの画面を見るようだ。血しぶきのあと、「泥色の街は完全に雨脚の中に煙ってしまった」。簡潔で引き締まった文体に魅了される。
 この事件は、以後三十年の間に双方から十八人ずつの死者を出して決着したかに見えたが、さらに二十年経ち、別の事件を機に報復が蒸し返され、五人の若者たちの仇討ちの物語が始まる。非情な事件にもかかわらず、清涼感が流れるのは著者の繊細な眼差しが背後の民族性や風土、義や掟に拠る心の揺らぎにまでいき渡っているからだろう。とまれ、このようなドゥシュマンダール(仇討ち)の話が一九七〇年代末のことと聞けば血が逆流する。
 さて、風は坩堝の中に渦巻くだけでなく、地を掃き、谷から谷へたゆたい流れる。「パシャイ」は寄るべなき心に添う風のような話である。厳しいヒンドゥクシ山脈の谷々にパシャイと呼ばれる男達がいる。蚊のようなという意味で、「妻も子もなく、盗まず乞わず、五、六人の群れとなってパシャイ達は谷から街道、間道から尾根筋へと漂って歩く」。
 山岳事故で自分の名前さえ忘れたジャミールは、叔父に誘われ初めて下界に降りた。十日目、叔父は少年にたっぷり食わせ、必要最小の物を身につけてやると、カーブル河の対岸を見ながら怒鳴るようにいって去った。「お前はパシャイになったのだ。パシャイ達に会ったら従いて行くんだ。神のお恵みを!」
 少年は雪を被った山に向かって歩いた。子供達にはやされ犬に吠えられ、怯えながらもパシャイと呼ばれると心が安らぎ、自分でもそうだと信じた。四日目の夜明け、五人の男達が太陽とともにゆっくり丘の上に現われ、横に並んでしゃがんだ。近くに寄ると皆がジャミールに微笑んだ。男達は金髪と肩衣をなびかせ滑るように丘を下り始め、少年も後に従った。悲哀を超越して輝く光景である。
 この短編に限らず、境遇の転変や厳しい出自のせいで小さな社会からずり落ちていく人々が出てくる。それを悲惨と言い不幸と見るのは私たちの脆弱な精神であり、彼らはむしろ自ら下降することで、解き放たれた魂の安堵を得ようとしている感がある。私の好きな「髭婆」、寒山拾得のの拾得を彷彿とさせる「大地を掃く男」など揺れ止まぬ陽炎のような余韻を残している。
 運命や死に対する彼らの恬淡さともみえるものを、諦観という私達の感覚に置き換えることはできない。愛や悲しみ、幸も不幸も私達の湿り気を帯びた感度で測るのは危険だ。一切が脱水され天火に乾かされ砂よりも細かな粒子となり、漂彷と風の舞い去っていく。
そのほか、騎馬民族らしい勇猛果敢な男達やはかない女達を描いたこの巻を〈熱風・千夜一夜物語〉と呼ぶなら『シャリマール』は、白銀の月光にふさわしい愛の物語集である。
 戦火の街での清清しい少年「ナフディ・ジャンの恋」を別にすれば、いずれも禁欲と官能と聖性の境で神秘的に冴え渡る。
 癩に怯えながらの超俗の愛を描いた「花園」の終章は息を呑むほどに美しい。一度も肌を重ねることなく成就する逃避行の果て水中に崩れ落ちる女を、すでに同じ病に侵された男は救うこともできない。水辺に漂う花々と仰向けに浮かぶ女はまさに数々の〈水底の女〉の一人であり、ラファエル前派の絵画〈オフェーリア〉に勝イメージを与える。
 無駄のない文で風景がくっきりと浮かぶのは、画家である著者の眼の確かさによるものか。そうして、富貴であれ貧者であれ、漂う品格は彼の地の民に寄せる思いの深さに負う。氏はシルクロード各地を歴訪して滞在、回教徒でもある。読み返したくなるのは、この二巻が単なる異国趣味に彩られた現代の奇譚集ではないからだ。アフガンの聖戦士(ムジャヒディン)にも似た氏の風格の奥にあるものを想う時、その精神の膂力(りょりょく)に感嘆せざるをえない。
 本を閉じ一夜明ければ、私達の世界は底の浅い豊かさの中で卑小な優劣の差と意地や見栄、薄っぺらな自尊と気落ちに満ちている。目覚めてもどる場所がそこだとは、よく解っている。だからこそ、幾夜もこの本に手がのびる。これを、物語を読む歓びといわずに何といえようか。

「眩暈」に陥るが如き魅力

中上健次
作家

 アフガニスタンのカブール、カンダハル、さらに昔から蓮の花の都とされたパキスタンのペシャワール、この近辺に近代国家が定めた国境を国境と認めないように幾多の遊牧の部族が住んでいる。宗派は色々あるが、何れも敬虔なイスラム教徒であり、敵には勇猛果敢な聖戦士(ムジャヒディン)である。当然のことながら友情厚く誇り高い。農耕定住の日本から旅すれば、ことごとくが違い、たちまち眩暈(げんうん)に陥る。
 甲斐大策『千夜一夜物語』の趣のある短編小説集は、この眩暈の魅力を伝えて余りある。無駄のない文体が遊牧の若者の武器を持つ肉体に似て、力がみなぎり、古代と中世、現代が混交した部族に生きる若者を現出させる。若者の昂り。屈辱。肉体。歓喜。エロス。これらどれをとってみても、日本の近代、現代小説から失せたものである。農耕定住の日本の若者は「心理」「気分」しかないのである。
 読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか。乾いた土を乾いた土として描くこと、太陽を太陽として描くことは生半可な経験や修練でできるものではない。だがこの乾いた土がある。太陽がある。ペシャワールのものとものがぶつかって立ち上がる音があり、匂いがあり、何よりも今、この今、生きている聖戦士でもある、若者らが在る。
 この短編集の第2巻目を、さらに長編小説集を続けて読みたい、と衝動にかられる1冊である。

  • 270頁 四六判上製
  • 4-88344-038-9
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1999/03発行
井上岩夫 豊田伸治 石風社 著作集 エッセイ 拾遺 石牟礼道子 詩 
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井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺
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井上岩夫著作集[3]エッセイ他拾遺

著作集完結!


戦後へ続く酔中夢。批評と諧謔が人間の実相を抉り出す。戦中と戦後を隔つクレバスの闇底で、人という業に対峙し、軍隊という夢魔を撃つ詩精神の実弾。「胸底の洞(うろ)に處女のごとき含羞が隠れていて、生きることは業であるということを、これほどしんしんと悟らせる人も少ない。」(石牟礼道子・作家)。全3巻完結。

書評

〈戦争〉文学的に昇華──完結して

豊田伸治
編集・出版人(予備校講師)

 井上岩夫を最初に知ったのは、熊本大学中退後京都に帰り、数年たったころだったかと思う。熊本の批評家渡辺京二さんから、大発見なので、ぜひ読んでみるように、という旨の手紙をいただいたのだった。薦められて読んだ「カキサウルスの鬚」と「衛門」は衝撃だった。このような〈戦争文学〉は初めてだった。私がそのジャンルにそれほど詳しいわけではない、という点を差し引いても、その二作は私の前に鮮烈な驚きとして表れた。勿論、それぞれ扱う情景も構図も異なっている。しかしどちらも、従来の、悲惨さを強調するものでも、知的高みから批判的精神で描くものでもなかった。全く違った視線で描かれていた。
 それはどのような視線かを簡潔に言うのは難しい。氏の作品はどれも入り組んだ構造をしていて、容易には正体を見せない謎めいた相貌をしているからだ。その謎を解きほぐし、受けた感銘の中身を確かめるというのも、井上作品の楽しみである。
 その二作品を読んですぐ、詩集『荒天用意』を注文した。この浩瀚(こうかん)な詩集も謎めいた相貌をしていた。以来、出版されるか、熊本の雑誌『暗河』に発表される作品すべてと付き合うことになった。
「井上作品の魅力を一言で言うと?」と質問されることがよくある。一言では無理なので、取材されるといつもその辺りが曖昧になる。だから、その質問への返答の代わりに(ならないかも知れないが)、私なりの謎解きを試してみよう。できるだけ短い詩で。
 〈たてがみがかき分けていく/水晶空間(4文字傍点)/逸る四肢は馬腹に抱いて/反った雁列を跳び越える/ぴったり/半馬身おくれてついている/濡れたシャッター(8文字傍点)//瞼は/つねに置き去られる廐舎である/眼球のそら高く駈けぬけるたてがみを/えいごうと名づけてくしけずる/白内障(そこひ)の馬丁が立っている〉
「まばたき」というタイトルが付いている。ここから、筆者が付した傍点部分が何の比喩かは明らかだろう。時が駈けぬける瞬間が描かれている。それも「逸(はや)る四肢は馬腹に抱いて」いるのだから、本当に瞬きの間のことだ。それでも現実は「半馬身おくれ」でないと捉えることができない。ただ見ていても眼は現実を十分には認識できない。残りの半馬身は「水晶空間」の隙間をすり抜けてyく。ところが、全貌が見えている者がいる。「白内障の馬丁」だ。しかもただ見えているのではなく、その本質に触れている。「たてがみ」を「くしけず」っているのだから。
 この作品に限るなら、ここまでで読んだ感触が残る。他の作品もイメージしながら、もう少し先まで行ってみよう。
 病む者、欠落を抱えた者、いらなくなった者、最後尾の者にだけ投影される現実がある。この世界の至る所に隙間があるからだ。日常生活の中にも、人間関係の中にも、その見えない隙間、存在をよろめかす隙間が、クレバスのように待ち構えている。氏は〈戦争〉でそれを見た。踏み込んでしまったと言ってもよい。人はそれぞれ戦争からつらい体験や消し難い苦悩を持ち帰っただろう。しかし、そういうものは、いかに痛烈であろうと、文学としては成立しない。氏が抱え込んだものが存在基盤の隙間だったからこそ、社会的戦後は終わったと白書が宣言しても、内面的戦後はまだ始まってもいない、と呟かずにはいられなかった。先の詩の視点の低さに注目してほしい。馬は「そら高く」「雁列を跳び越え」ても、視線は低い所から出ている。その足元の、サツマの土俗を引きつれて、〈戦争〉が文学的に昇華された時、戦争体験などない私のような世代にも訴えかける作品に結実したのである。
 井上氏は戦後文学の正当な位置を占めるべき作家である。あまりにも時間がかかったが、この著作集が再評価、あるいは新発見の引き金になればと思う。それが地元鹿児島で起こればなおうれしい。

  • A5判上製函入670頁
  • 978-4-88344-165-5
  • 定価:本体価格7000円+税
  • 2008/06/30発行
井上岩夫 詩人 鹿児島 小説 カキサウルス 石風社 豊田伸治 全集 宮内勝典
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井上岩夫著作集[2]小説集
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井上岩夫著作集[2]小説集

兵士にとっての「戦争」を、自意識の劇の過剰のなかに描き切る。──ひとりの詩人が、現実への深い拒絶と孤絶の果てに、知の狙撃兵となって「世界」を再創造する。「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。…小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起ち上ってくる気がしたのだ。」(宮内勝典・作家)

書評

「生き返った恐竜」に会う

宮内勝典
作家

 井上岩夫という詩人がいた。九州一円では知られているけれど、いわゆる中央詩壇とは無縁のまま、権威に対してひっそりと背を向けて生きつづけた詩人だった。古本屋、看板かき、印刷屋などを営みながら、市井の片隅にあって反時代的な姿勢をつらぬいた。

 作家・島尾敏雄は、彼についてこう記している。
 「目が鋭く光ってすべてに拒否的な気配が漂っていました。(中略)しかし彼の目の底では静かなやさしさが、表現の方法を見つけ得ずにはにかんでいることを隠せないのです。(中略)孤島の岩の上の俊寛のような彼の悲しげな目。しかし私の胸の中に焼きついているのは無口な彼の在りようです。薩摩の風土にまみれてその穴からじっと世界を伺っている目」
 まったくその通りで、これ以上つけ加えるべき言葉は何もいらない。ただ親子ほど歳のちがう者から見た印象だけを補足しようと思う。出会ったのは二十年ほど前、鹿児島市・天文館通り裏の居酒屋だった。世の中は明るく繁栄しているのに、戦時中の不発弾のようなものがそこにごろりと存在して、過去をそんなに簡単に忘れていいものかねと言わんばかりに、目を光らせている気配だった。しかも、生半可なインテリを毛嫌いしつつ、市井の片隅にひそんでいる狷介な初老の男……。
 初対面のその日、私たちはつかみかからんばかりの激しい口論となった。彼にとって私はチンピラの駆け出しであり、私のほうは屈強な父親世代に初めて全力で挑めるような高ぶりを感じていた。その出会い頭の喧嘩の後、私たちは知己となった。

 彼の小説はぶっきらぼうで、ごつごつとして読みづらかった。だが戦中派の父たちの胸の奥底にどんな思いが秘められているのか、ついに納得できた。そして私は、こう記した。
 「『カキサウルスの鬚』を読み、私は愕然とした。揺るぎない存在感にショックを受け、青ざめた。上っ面だけのっぺり小綺麗になった土地や時代の、その地層の最深部から、風化することを拒む一つの意思が恐竜のように起(た)ち上がってくる気がしたのだった」
 決して、お世辞ではなかった。不発弾にひそむ、まだ湿っていない火薬をじかに舌で味わってしまったような狼狽を感じたのだ。そして私は『カキサウルスの鬚』の作者・井上岩夫を恐竜になぞらえて、心ひそかに「イワオサウルス」と名づけた。頑固親父め、と呟きたくなる困惑と、深い畏れを込めて。
 最後に会ったのは一九八二年、早世した息子の墓参りに帰郷したときだった。まったくの偶然だが、彼は、私の息子の墓がある鹿児島市の唐湊に住んでいた。
 桜島の噴煙が見える墓地の道を、妻と私は茫然としながら下り、竹林のような仮住まいを訪ねたのだった。そこは伴侶を失ったあとの彼の隠れ家であり、仕事場でもあった。いかにも隠者の住まいらしく、殺風景で何もなかった。ただ机の上に草稿が積まれていた。その日、彼は無口だが、たとえようもなく優しかった。黒々と光る目が、子を失ったばかりの若い夫婦を慈しんでいた。それでも私は、恐竜「イワオサウルス」がまぎれもなくそこに居ると感じて正座していた。

 その後、私はアメリカに移り住み、再会する機会もないまま年月が過ぎていった。訃報に接したとき、彼の仕事が埋もれてしまうのではないかと、歯ぎしりするような無念な思いがあった。
 だが、それは杞憂だった。没後五年たって、福岡市の石風社から『井上岩夫著作集』が刊行され始めたのだ。函入り大判で、五百ページを超える大著だった。壮挙だと思った。けれど出版不況の時代だから、第一巻だけで終わってしまうのではないかと危ぶんでいた。ところが二年後の今年、ついに第二巻の「小説集」が出た。私を身ぶるいさせた『カキサウルスの鬚』も収録されている。
 恐竜「イワオサウルス」は二〇〇〇年に生き返ってきたのだ。私は嬉しくてたまらず、二冊の本を重ね、その上に夏蜜柑を供えた。

生気に満ちた人間描く

前山光則
作家

 鹿児島市に住んで詩人・作家として活躍していた井上岩夫氏が亡くなって、七年経つ。早いものである。
 この著作集第二巻には長短編合わせて九編の小説が収められている。そのうち、「ごはんさんで」「衛門」「カキサウルスの鬚」「下痢と兵隊」「雁八界隈」は以前読んだことがある作品だが、以前も今回再読しても一番印象に残るのは「カキサウルスの鬚」である。
 大隅一人と小松松造という二人の男が物語の中心で、二人は互いに「カズトサア」「マッチャ」と呼び合う幼馴染み・親友だ。しかも、共に戦争で受けた心の傷や故郷での濃密な人間関係を引きずって日を送る。特にカズトサア大隅一人は、抱え込んでいる心の荷物が重すぎるがゆえに「カキサウルス」とか「デバマネキ」というグロテスクなものを幻視してしまうのだ。終いには、大隅一人は鹿児島での「荷物」の一切を振り捨てるようにして東京へ出て行く。良い歳した男が、である。人間たちはこんなにも深く心を通わせ、しかしながらすれ違い、一人一人生きるしかないものなのか、と溜め息が出てしまった。
 せまい町内での人間関係を描いた「葱」、軍馬に執着する男の話「さくら」、「餅菓子みたいなおばさん」が登場する「少佐の妻」、算数が天才的に得意な少年と言葉が喋れない母親とを物語った「四枚の銅貨」、この四編には初めて接した。それぞれ名品である。
 井上岩夫氏の小説には正直者、頑固者、ずる賢い奴、可愛い人、みっともない連中、等々、さまざまな人物たちが出てくるが、皆、人間としての輪郭をしっかり持ち、生気に満ちている。「報復から逃げおおせる為なら郷里も妻子も捨てる程の小心者である男に、鶴嘴を斜に振りかぶらせたのは何だったのか。わからんと言っても、わかると言っても嘘になる「(「カキサウルスの鬚」)、──「わからん」と「わかる」の間に身を屈(かが)め、人間に対する興味・関心を根強く持ち続けたからこそ、こうした読み応えある作品群を残し得たのではなかろうか。

鬼才の密度濃い「前衛」

渡辺京二
評論家

 歳月を重ねるにつれて、光芒を放つであろう小説集一巻がここに在る。
 著者は七年前に物故された鹿児島在住の詩人であるが、詩において、極度に凝縮された喩の切れ味と、時代を透視する思想的含蓄の深さによって、戦後詩史の一ページを飾るにたる業績を残されたばかりでない。氏は戦後どの作家も書くことがなかったような、高度に知的でしかもくるめくように豊醇な一群の小説の書き手でもあった。
 そのすべては鹿児島や熊本の雑誌に発表されたので、いまだ知られざる作家にとどまってはいるが、この一巻を読む者は、井上氏が戦後文学の中でも、ひときわ光彩を放つ一鬼才だったことをうべなわずにはおれぬだろう。
 氏の代表作は、かつて弓立社から一本として刊行された『カキサウルスの鬚』と『衛門』だろう。前者は七〇年代初頭の鹿児島を舞台として、悪夢のような戦争体験と屈折した土俗的情念をないまぜた力作であり、後者は日中戦争中の時代の暗鬱な照り返しを背景とする、近親相姦的恋愛の物語である。
 つまり氏の小説には、戦争と軍隊という日本人の巨大な経験が夢魔のようにのしかかっており、その意味では戦後文学的といっていよいし、そのような経験の処理のしかたが知的な屈折を極めている点では、昭和十年代の自意識の文学に系譜づけることもできる。
 しかし、氏の作品が戦後文学の主流をなす知識人文学にとどまるものでないのは、そのすべての隅々から、ムラの土俗のむせ返るような濃密な相貌が立ち現れることによって明かだろう。このようにムラの土俗が知的な格闘を通して思想的象徴にまで高められたのは、まさに氏のみがなしえた壮観であった。
 さらに氏の小説は仕掛けと謎にみちている点でも、まさに前衛的である。氏の小説においては、事実も筋も主題も幾重も目くらましをかけられていて、読者は密度の濃い言葉に酔わされながら、絶えず知的挑戦を受けることになる。すなわち小説読みにとって、この一巻は生涯幾度とは出会えぬ一壷の美酒なのである。

  • A5判上製函入517頁
  • 4-88344-065-6
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 2000/06/30発行
井上岩夫 詩集 鹿児島 詩人 石風社 豊田伸治 島尾敏雄 全集 1 
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井上岩夫著作集[1]全詩集
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井上岩夫著作集[1]全詩集

「ああまだこの世に詩人が生き残っていた」島尾敏雄(作家)


戦争と土俗とモダニズムを引き連れて孤高の詩精神が甦る。苦いユーモアとともに、世界の核心に垂鉛を降ろす。──「私の前にはまぎれもない詩人・井上岩夫が居た。ああまだこの世に詩人が生き残っていた、という強烈な衝撃を私は受けたのだった。」(島尾敏雄・作家)

書評

人は「そのた」でしかない

廣瀬晋也
鹿児島大学教授

 井上岩夫の「荒天用意」(一九七四年)は、「あとがき」によれば、著者三十年にわたる詩業のなかから選んだ新旧の作品で構成した詩集である。序詩以下、長短七十七編の詩が収録されている。この中に、「そのた」(一九七二年)と題する一編がある。
〈そのた/そのほかではない そのた/備考でもない 備忘でもない/いちばん右はしの/あろうがなかろうがどうでもよい そのた/空白のままがよいところにもあるそのた/(中略)/そのた そこに在っても所詮/在らされている そのた/どのような項目にも属さず あらゆる項目を包括する/自在な隷属の残忍なよび名/人々とひとびとの間を埋め/野次馬とヤジウマの断れ目をつなぐ/等身大のただの空間/空間の中のただのチェックマーク〉
 押さえたつぶやきから伝わってくるものは、独自性などとは無縁の、なにものでもない「そのた」であることへの怒りといらだちだが、それだけではない。永井龍男の小説「一個」の主人公が思い起こされる。定年退職を間近にひかえた彼は、自分は代替可能の「一個」にすぎないという意識にとらわれ、将来への不安から錯乱に陥る。これに対して、井上の「そのた」には、「そのた」であることをひきうける者の覚悟がうかがえる。この「そのほかではない そのた」だと語る人物が不敵な面構えをしていることは確かである。
 人が「そのた」であり、「そのた」でしかないという思いを、井上はその長い軍隊生活からひきずっているのであろう。「荒天用意」には、「戦争」「照門は見た」「止まるな丸田」など、戦地の体験に基づく作品がある。井上と同年、一九一七(大正六)年生まれの島尾敏雄は、詩集末尾に「井上岩夫さんの詩集に添って」という一文を寄せている。島尾は「『後列の後尾にしか並んではいけない』『そのた』としての不動の位置が、彼の詩にたじろぎのない強さを与え」たと評する。
 井上は同詩集中「声」(一九六四年)においても、人が戦後社会を生きるなかで置き忘れてしまったことを問い、執着や断念や失意が交錯する日常を冷徹に見つめ、耐える。
〈はげしい雑踏の流れの中で/ふと くびすをかえす男がある/釘をうってしまった棺桶の蓋を/もう一度明けねばならない女がある/何度も確かめた空家の戸をどやしつけ/そのまま佇ちつくす男がある/聞きそびれたものは何なのか/撃ち落した山鳩のまだあたたかい胸に/耳をあてがう老いた猟人がある〉
 井上岩夫は復員後、鹿児島市で印刷工房を経営するかたわら、相次いで詩誌を創刊し、また「南日詩壇」の選者をつとめるなど、鹿児島詩壇の中核にあって詩活動をつづけた。

透きとおった抒情の絶唱

岡田哲也
詩人

 作家井上岩夫といっても、知る人は少ないだろう。彼は一九一七年、鹿児島県の片田舎に生まれ、応召されて大陸に渡り、捕虜となり、帰還して来た。その後、鹿児島市でガリ版による印刷所を始め、そのかたわら詩を書き、さらに小説を書き、一九九三年亡くなった。詩集に「荒天用意」や「しょぼくれ熊襲」などがあり、小説に「カキサウルスの鬚」や「車椅子の旅」などがある。
 鹿児島県の北部、出水市に住むわたしは、年に一、二度彼と会うことがあった。酔えば誰にでも突っ掛かってゆく彼と焼酎を飲みながら、私も生意気なのだが、やるせなくまたやりきれなくなることが幾度かあった。田舎わたらいをしながら、いたずらに〈中央〉にこびず、〈地方〉をあなどらず、師にもつかず師ともならぬ人の生き方とはこんなものか、と思う時もあった。
 しかし、奥様に先立たれたあと、晩年はひっそりとしたものだった。見るにしのびなかった。
 その井上岩夫の著作集全三巻のうち、詩集を収めた第一巻が刊行された。版元もだが、ここまでこぎつけた編集者の豊田伸治氏の情熱と執念に、ただ脱帽のほかない。なつかしさに駆られて読みながら、わたしはいつしか素直に、その作品を味わっていた。戦後間もない頃の作品に、「作品2」というのがある。
「こんこんと眠るのはかなしい。屈辱は死にまで垂れている。不逞くされて、白眼をむいて/ごうごうと眠るのもかなしい。生は脚光によごれ/死は苦役によごれている。」
 戦争によって彼が見たものは、化けの皮がはがされた時代であり人間であり、そして自分自身であった。
 彼の詩は、その化けの皮をはがす行為そのものであり、彼の小説は、はがされたあとの自分をしゅうねく注視しつづける行為であった。
 戦後、彼の人生は、脚光に汚れた生よりも、苦役によごれた死よりも、シャバの苦労とインキと焼酎にまみれた人生だった。ただそのなかから上澄みのようにしみあがってくる透きとおった抒情があった。酔っぱらったら、「かなわないな」と思わせるところがあったが、次のような作品にも、遙かに「かなわないな」と思わせるところがあった。
「海がふと黙りこむ/臆病なヤドカリが/こっそり殻を脱ぎかえているのです//地球の足どりがふと鈍る/いちじくの葉っぱのカタツムリが/むきをかえているのです//雨はいつだってふっています/カタツムリの葉っぱに ヤドカリの海に/ひっそり やさしく 降っています/だが人々の心にまでは届かない/そこは遠すぎる砂漠なのです」(雨)
 説明も解釈も不用な絶唱だと思う。月並みな言葉だが、良いものは良い。いつ読んでも、その時その時の味わいがある。
 あるいは彼は、作品「岩」のなかで「君は荒海をみたことがあるか/あの底知れぬ静謐に対峙したことがあるか/アラナミでもドトウでもない/あれは ふと絶句したり吃ったりする(中略)きれぎれの痛む記憶を渚にうちあげる/あれは 許し続ける怒りの本質だ」と書く。
 井上岩夫は、なにを許し続けたのだろうか。そして、なにに怒り続けたのだろうか。
 おそらく、ひんむいた時代や自分の化けの皮に裏うちされていたものが、許し続ける怒りの本質であったのだろう。
 島尾敏雄と交友があった彼は、同年ということも手伝ってか、特攻隊長としての彼と、その他大勢の一兵卒としての自分を、面白おかしく語ることがあった。「島尾さんは高貴、俺は卑小」、そんなことを口走ったが、むろん誰も信じていなかった。戦後の社会も、またぞろ顔や看板や毛並みがもてはやされるようになって来たが、彼はそういう後ろだてがない所で、良く頑張ったと私は思っている。
 だから、井上岩夫の現代的意義などと言われても、困るのだ。私は好きですが、あなたも読んでみませんか、ということにつきる。

洞の底の含羞 『井上岩夫著作集』刊行に寄せて

石牟礼道子
作家

 亡くなった鹿児島の井上岩夫氏の、分厚い詩集が世に出た。
『井上岩夫著作集1・全詩集』である。あと二巻が用意されていると聞く。
 いわゆる出版人ではない青年が京都で学習塾と営みながら、井上さんの詩にほれこみ、友人たちを尋ね、散逸していた詩稿を探し出して編集し、装幀も立派な本に仕上げた。
 出版までのいきさつを多少は知って、待っていた一人としては、今どき珍しい壮挙ではあるまいかと思う。
「九州一円では知られた詩人」だったが、「文学の世界もそれなりの根拠を持って東京を中心に動いてい」る中で「井上さんが一部の目の見える人たちを除いて『無名』だったのはある程度という保留付き」であり、死後ではあるが「新人」として世に問いたいのだと、資力をなげうってこの挙を成した、豊田伸治さんの編集後記にある。
 読み進むうちに背筋が伸びてくるのは、詩人とこの編者の、今どき希な古典的な矜持にうたれるからであろう。それに何より読者として心性の高いこの詩的事業に参画するよろこびを与えられる。
 生前、井上さんは、自分の没後こういう奇特な青年があらわれて、全集を編んでくれるとは、思われなかったのではないか。霊あらば羞かみ哭きをなさるのではあるまいか。
 自ら蟇左衛門と名乗っておられたにしては痩身であった。あたりはばからぬ狷介さを発揮しつつ、あと一杯、焼酎が足りないと書く人でもあった。胸底の洞(うろ)に處女のごとき含羞が隠れていて、生きることは業であるということを、これほどしんしんと悟らせる人も少ない。自分のことを詩人はこんなふうにいう。
  足の先の凶暴な靴
  の中からまた徐々に逼いのぼって帰る俺。
 素足の足の裏が知っている人間の現在について、わたしも記憶が戻ることがあるけれども、靴について、この人のように考えたことはなかった。
  あそこに
  やくざな靴が待っていて
  客を拾った
  歩きだした
  それがジンルイの疲労の
  はじまりだった
 それゆえこの靴は戦場にも行かされた。
 軍靴の中から戦後、「徐々に逼いのぼって帰る俺」の夢枕に、陸軍二等兵丸田四郎という「大飯くらい」が出てくる。要領の悪い二等兵が、戦場においていかに悲惨であるか。薩摩の旗印を俗に十の字というけれども、別名マルニギュウノジというこの兵隊の死を描き出して、「止まるな丸田」と題した長い一篇は、詩人の無念さを私たちも共有させられる。
  お前の軍靴が償った不毛の距離
  あの日落伍した俺の辿り残した道程に
  俺はたおやかな白い野菊を植えた
  蛍を放った
  雪を舞わせた
  三十五年!
  お前の死が償った中支江蘇省のまっかな落日の下に
  再び軍服を着た牛追いをお前は見ただろう
 それにして、消費物資並みにだぶついている文学とやらもセールで売られている。一行の詩語をかくとくするのに、この詩人が払っている人生の対価が、いかなる埋蔵量の中から掘り出されているのか、わたしたちは、ちらりとぐらいはおしはかることができる。
 たぶん焼酎も足りて機嫌のよい時、詩人の手つきも、あのこまやかなきりぎりすの「さわりひげ」に似てくるのだなと想像することもできる。次のような美しい一聯から、それを教えられる。
  草のやかたのきりぎりす
  露から生まれた時の天敵
  すり合わす翅で月を回して
  のこぎりの手でのこぎりの足で
  黒い鞠を回している
 ちなみにこのきりぎりすは、父父父父父、と鳴いているのだそうだ。父という字だけで三行もあるこの一聯を読みながら、わたしは生命の連続性を探ってゆくには、妣というのが糸口になるのかと考えていたのを少し補足した。こんなふうに音声化されたかぼそい虫の声は、やはり、妣に対応しているのかと思い出し、悪かったなあと立ち止ったのである。
 御魂あれば焼酎を献じて申し上げたい。
 蟇左衛門とは、自意識も過剰すぎると存じますが。

井上岩夫著作集を編集して──その詩を読み解く

豊田伸治
「井上岩夫著作集」編者

 どうして京都に住む私が、生前それほど交際があったわけでもない井上岩夫さんの「著作集」を出されたのですか、という趣旨のことを何度も聞かれます。埒があかないと『惚れた作家への情熱・傾倒』などという常套句が登場します。否定するわけではないのですが、何か面映ゆい気がします。そもそも傾倒する作家は大抵本になります。困難でも手に入るし、少なくとも図書館で読めるのに、井上さんだけがその全貌を見ることが出来ない、という事実に駆り立てられた、という側面はありました。それにしても、どうして私が駆り立てられたのかということになると、話は元に戻ってしまうことになるわけですが。井上さんの作品は纏まった形で残す価値があるし、誰もしないなら自分がするしかない、と自分で自分に言い聞かせたわけで、いわば道楽のようなものです。
■難解の裏にあるもの
 第一巻が「全詩集」なので、ここでは詩について書きます。平易だと言う人もいますが、難解だと言う人の方が多いようです。勿論平易なのもあれば、意味を探るより言葉の流れに身をゆだねていれば、胸を打つものもあります。ただ井上さんは詩はリズムの心地よさだけで歌おうとはしません。選び抜いた語句の配列と、綿密に計算された比喩の組み合わせが難解に見せているのです。そこをうまく見付けるのが理解の第一歩です。紙幅の都合があるので、できるだけ短い詩で、試してみましょう。
〈たてがみがかき分けていく/水晶空間/逸る四肢は馬腹に抱いて/反った雁列を跳び越える/ぴったり/半馬身おくれてついている/濡れたシャッター//瞼は/つねに置き去られる厩舎である/眼球のそら高く駆けぬけるたてがみを/えいごうと名づけてくしけずる/白内障の馬丁が立っている〉
「まばたき」という詩です。傍点を(この転載では太字で表記)つけた部分はタイトルからも、最後の「瞼」という部分からも、何の比喩かは明らかです。そこを「かき分けていく」馬は、見える対象物ということになります。一瞬一瞬に見えているものは、「半馬身おくれて」つまり後ろ姿しか見えていない、と書いてあります。人はものの本質は半分しか、然も過ぎてしまったものしか見えない。だからといって、『眼あきは不便なものだ』などという塙保己一の逸話のようなことが書いてあるわけではありません。見えているのは白内障の馬丁なのです。井上さんの作品には、時にこういう病や障害を背負わされた人物が主人公として出てくるのですが、この詩でそこまで読みとる必要はありません。でもただ見えているのではなく、「たてがみをくしけず」っていることは見ておかなければなりません。病(この詩では眼)に犯されたもののみが捉える本質とでも言うのでしょうか。それが「えいごう」です。この詩でその内実まで入り込む必要もありません。
 まだすべてに触れているわけではありませんが、このぐらいでよいでしょう。難解とされる詩はこのように比喩が響き合っています。そのあたりを読みとれば、読んだ感触が残ります。
■底に漂う「悲」
 一つの詩作品には、それなりの世界に対する一つの切り口があります。井上さんの作品はその切り口から見える世界が深いのです。その底には「悲」が漂っています。悲壮でも悲観でもありません。悲歌とでも言えばいいのでしょうか。勿論それが表立って登場することはないのです。それは恥ずかしげに身をよじり、韜晦し、時には戯画となって、時には嗔(いか)りとなって表現されます。また時には小さきものへの哀歌となります。それは資質と、戦争体験と、「薩摩」という土地に暮らすことになるモダンな精神が、くぐらなければならなかったものを暗示しています。その全貌はやはり小説やエッセイが揃って明らかになるのですが、少しずつでもかいま見ることが出来るのが詩の強みなのでしょう。
 井上さんにとっての未知の読者に届くことを願いながら。京都にて。

文学に映した戦争

松下純一郎
熊本日日新聞文化生活部記者

 井上岩夫。鹿児島に生きた詩人、作家。だが、その存在を知る人は少ない。今回、熱心な一読者の手で出版された著作集からは、詩への熱い情熱と、孤独を恐れぬ凄絶な生きざまが、重く伝わってくる。その根底にあるのは、紛れもなく戦争体験だった。
     ○
 著作集第一巻は全詩集。第二詩集「素描」(一九五四年)はじめ、「荒天用意」(七四年)「しょぼくれ熊襲」(七九年)などを収めた。いずれも推敲を重ね、余分な語句を削り落とした作品群。「捨てるだけ捨ててみると、残りは十二篇になっていた」 (「しょぼくれ熊襲」あとがき)と、言葉への厳しさと自戒がのぞく。
 生前交友のあった同世代の作家島尾敏雄さんは、昭和三十年代初め、井上さんの経営していた印刷所で出会う。島尾さんは、その時の印象をこう記した。「私のまえにはまぎれもない詩人・井上岩夫が居た。ああまだこの世に詩人が生き残っていたという衝撃を私は受けたのだった……」(「荒天用意」跋)
     ○
〈戦争について語ることも、書くことも、今は空しい。殺し合いの現場に行きもしない人々によって、戦争はあらかた語られ尽くしたようだ。唯一つ、これだけをつけ加えておこう。どうしても読解できない緊急作命によって一つの部隊が行動に移ることがあるということを。//わたしは覚えている。あの後尾の一人が誰であったか。あたりまえのように装具を着け、砲をひき出し、前の男が歩くとおり次々に歩いて消えていった、あの行く先を誰も知らない、そして誰かが知っていると信じている、長い縦隊の後尾の一人が誰であったかを。〉(「荒天用意」)
 「後尾の一人」とは誰か。評論家渡辺京二さん(六二・熊本市)が読み解いている。
 渡辺さんは昭和五十年代初め、井上さんの作品に触れて心動かされ、自ら編集していた文芸誌「暗河」を紹介。以後、井上さんは同誌に発表し続けた。「『後尾の一人』とは何の個性的特徴も持たぬ一個の無名者なのです。(略)戦争とは、行き先も知らぬ縦隊の後尾にたしかにひとりの男が歩いていたということなのだよ、と作者はいっています。作者が戦場から持ち帰ったのは、こういう『一人の実在』に関する譲渡できぬ思い込みでした」(「土俗としての戦争──井上岩夫論」=『暗河』二四号)
 出水市に住む詩人岡田哲也さんは、三十年の世代差を超え、「本物の詩人として見ていた」と言う。岡田さんの言う詩人とは「徒党を組まず、一人でその世界に立ち向かう人」。あたかもドン・キホーテ。「鹿児島も地方文化人みたいな人が跋扈している。井上さんはそれを拒んだ。偉そうなことを言ってなんだい、という生き方」「戦争を体験したことで、化けの皮をはがした人間の生身を見てしまったんだと思う 、自分の姿も含めて。この目で見たぞ、この耳で確かめたぞ、と」(岡田さん)
     ○
 井上さんは優れた小説も残した。渡辺さんが最初に触れたのも小説「カキサウルスの鬚」だった。入り組んだ手法、洗練された文章。モダニズムを踏襲する一方で強烈に「鹿児島」のにおいをふりまいていた。「鹿児島特有の階層感情、そして土俗せいがほとばしっていた。南米文学にも通じる前衛性を感じた」という。
 井上さんはその後、二度目の応召(昭和十八年)の後の体験を基にした小説「下痢と兵隊」を「暗河」に発表した。部隊の同僚や部下たちのこと、ささいな会話、心理の葛藤などが二百二十枚につづられた。締めくくりはこうだ。「何だ、これだけのことか、何もなかったじゃないかと舌うちする人もあるだろう、凄惨な死闘や飢餓や意表を衝く作戦などが出て来なければ人々はもうセンソウに出会ったとは思わないだろうから。そんな戦記や小説に比べればこれは屁のようなものには違いないが、ゴミでしかなかった一人の兵隊にもまたゴミなりのセンソウがあったことを観て戴ければそれでいいのである」
「後尾の一人」がここにいる。
     ○
 井上さんの生涯の友は酒(しょうちゅう)だった。三男の巨器(なおき)さん(五〇・鹿児島市)は父の家業を継ぎ同居していたら、夜もおちおち寝ていられなかったという。「夜になるとふらりと出掛け、どこそこで見知らぬ客に声を掛けてはけんかしていたようだ。夜中の二時、三時、飲みつぶれているから迎えに来てほしいと店から電話があるんです。それも知らない店から」一時は父を嫌悪していた巨器さんだが、「誇り高かった」父を今は許せる、という。
 厳しさは鹿児島の文学仲間にも容赦なく向けられた。その裏に、作品を理解してくれないもどかしさや憤りが、突き上げていたとも見られる。
 今回、企画編集した豊田伸治さんは熊本大在学中に「暗河」に参加、その後井上さんを知った。会ったのは一度きり。「作品や資料を散逸させたくなかったし、全国的には無名の詩人だが、その優れた仕事をまとめることで現代日本文学の中での位置を問いたかった」。著作集はこの語、小説集、エッセー集と続く。
 地方に生きた詩人の戦後が、やっと明らかになっていく。

  • A5判上製函入 487頁
  • 4-88344-030-3
  • 定価:本体価格5000円+税
  • 1998/07/30発行
アメリカでお墓について考えた

子連れ留学で体験した肌ざわりのアメリカを、軽快なフットワークで描く快エッセイ。

  • 四六判並製215頁
  • 定価:本体価格1000円+税
  • 1988/07/20発行
アメリカで英語について考えた 宮地六美 石風社 英会話 アメリカ人 英語
booktitle
アメリカで英語について考えた
zeikomi
¥0円
アメリカで英語について考えた

これは英語の本ではない(でも勉強にはなる)。アメリカ人と日本人にとってちょっと考えてみた本デアル。ミヤチ教授の日米英語摩擦エッセイ。……この本を読んだら、あなたはナイーブという言葉が使えなくなる?!

  • 四六判並製195頁
  • 定価:本体価格1000円+税
  • 1990/06/10発行
穴が開いちゃったりして

町田康氏「自分の師です」。


深く、自由に生きるために、世界の表皮を裏返し、全身全霊で世紀末を駆け抜けたカルトの怪人・隅田川乱一。「JAM」をはじめとするさまざまな雑誌に遺した、プロレス・ドラッグ・パンク・イスラム・神秘学にまつわるディープな知力が甦る。

書評

ダイナミズムとリズム 文章のなかに音楽がある

近田春夫
ミュージシャン

 隅田川乱一は、一九五一年生まれで、タコという日本ロック史上でも意味のあるバンドのメンバーであり、また、雑誌編集や文章にも独特の境地を見出した、なかなか他にいないタイプの男である。
 世代はまったく一緒で、していることに共通点がない訳でもない。しかし会ったことは一度もなかった。文章も、多分読んでいなかったと思う。
 何でそう思うかというと、この人の文章は魅力がある。だから読んだら忘れられない。読んでいたら覚えていると思うのだ。
 あるいは面白いと感じるだけの力がなかったか。いずれにせよ、この人の文章は、きっと雑誌のなかで読むより、こうして一冊の本になったものを読むのがふさわしい。ダイナミズム、そしてリズムを、より強く実感することが出来るからだ。
 格闘技、ドラッグ、宗教、そして音楽、更にその他もろもろ。守備範囲はひろい。しかし、観点はひとつだけである。読み進むほどにそのことに気付かされる。この観点がディープなのだ。そして、先にも書いた通り、ダイナミズムとリズムを持っている。本の推薦を書く町田康が《明るくてポップで、でも主張が明快で》というように、その文章は、硬質なものだけが持つしなやかさで、読み手の神経を覚醒させる。難解な内容があっても、この本は人をリラックスさせるのだ。
 つまり、文体ということか。文体に普通と違うバランスを感じる。文章のなかに音楽がある、と私は思った。だから読んでいると、自然と身をゆだねたくなる。
 この品格が実に得難いと思うのである。たとえばタイトルになった《穴が開いちゃったりして》の、バリ島の暑い夏の夜の描写。ここにただよう空気の濃密さである。いちいち質感がどこか上等なのだ。それで安心して身をゆだねられる。
 そういう意味でいうと、大きくスタイルはふたつに分けられる。筋道は通っているが話としてはねじれているものと、話も筋道の通ったものになっているもののふたつだ。この《穴が…》は前者である。町田康が好きな作品として挙げた《報道関係者に告ぐ/おまえらの報道の基準は何処にあるのだ》は後者だろう。そのどちらも奥の方でつながっている気がして、大きなうねりのなかにリアルというものが力強く何かを貫いているイメージが、いつしか湧いてきた。
 この本は、分野としては批評、評論に属すると思うが、とにかくこれだけはいえる。隅田川乱一は物書きである以前に音楽家だった。そして文章から察するに音も良い手触りだったのだろうなァと思ってしまう。
 読んでいたら、一ヶ所私の名前があった。春男になっていたのでちょっとガクっと来たが、ほぼ原文のまま載せているので、こういうこともある、と凡例としてあとに書いてあった。夫人によるあとがきも凛として良い。

70年代アングラカルチャーの世界

永江 朗
ライター

 かつて雑誌とは、私に「悪い」世界を教えてくれるものだった。黒々として危険な匂いがして、とても魅力的だった。『ヘヴン』(『ジャム』から改称)や『ウィークエンドスーパー』『ロック・マガジン』などがそうで、小ぎれいな大型書店では手に入らない。
 そこで健筆をふるっていたのが隅田川乱一(本名・美沢真之助、九八年、四十六歳で病没)だ。彼が四半世紀の間、さまざまな雑誌に書いたコラムと未発表原稿を集めたのが、この奇妙な表題の本である。
 本を開くと、たちまち七〇年代アングラカルチャーの世界に連れていかれる。扱われているのは大麻やドラッグの話であり、プロレスであり、パンクロック、現代文学、そしてオカルトや精神世界だ。彼がサブカルチャーを追究したのは、自由に生きるためだった。ストレートな熱気が伝わってくる。ああ、いまのポップ文化のほとんどは、すでに隅田川らによって先取りされていたのだなと思い、感動する。

  • 245頁 A5判上製
  • 4-88344-091-5
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2003/01/31発行
秋の川 河津武俊 石風社 小説 九州 日田 日田文学 文学界 山里 三毛猫とシャクナゲ 鳥の宿
booktitle
秋の川
zeikomi
¥0円
秋の川

九州の山里を舞台に描かれる秀麗な小説集。「秋の川」山奥の温泉旅館の女主人三代の哀歓を描く。「山里」老いた父母を引き取っての十年の悲喜交々。ほか。

書評

山里に舞い散る一葉の人生

佐藤倫

 山里で暮らすその親娘(おやこ)に出会ったのは三十年ほど前。河津さんが大分県日田市に内科医院を開業したばかりのころだった。車で往診に通い、言葉を交わすうちに短編「山里」の物語は立ち上がっていった。
 兄の急死に伴い、父と継母を山里の嫁ぎ先に引き取ることになった娘の回顧談が続く。ページをめくっていると、しおりのように現われるのが銀杏(いちょう)の風景。父は〈まるで金色堂のようだ。ここはまさに旅に疲れた旅人が、旅衣(たびごろも)を解く所だね〉〈銀杏は山里の晴れ着だね〉と、老いを重ね、娘夫婦に看取られる。
「高度成長期が終わり、山里は人口流出が進んでいた。往診すると、多くのお年寄りは薄暗い奥の部屋で独り伏せっていたが、あの老夫婦はすがすがしく生きていた」。遺族の了解を得て、山里に舞い散った一葉の人生を小説にまとめた。
 河津さんの父母は戦後しばらく、杖立温泉(熊本県)で保養所を営んでいた。そうした幼少、思春の記憶から、旅館を舞台にした女三代の物語へと熟成させたのが表題作「秋の川」。
〈美しく染まっていく紅葉は、退化現象ではない。(中略)散る間際に特別のホルモンを出して、自らの最期を意識的に美しく演出しているのだと〉。川霧が晴れ、モミジの落ち葉が燃えるように広がる川面の描写など、秋の盛りに人生の哀歓と躍動を映し出す。
「小説にあくがない、と批評されることがある。しかし、私にはこれしか書けない。努力して生きる普通の人生が一番美しく、描くことも難しい」
 八月初め、妻真佐子さんが急逝した。お盆を前に自転車で買い出しに行き、自宅に戻ってから容体が急変した。遺影にはカラオケマイクを握った笑顔を選んだ。連作集には、父から受け継いだ持ち山の再生をめぐり、自らの家族の風景を投影した近作「間伐」も収められている。
 自宅近くに購入した里山を三年前に公園化。地元の人々と植えたモミジ、ツツジ、サクラなど二百本が育っている。それは真佐子さんの夢でもあり、夫婦で連れ立ってよく散歩した。いつの日か、そんな風景も小説としてつづられるのだろう。六十七歳。

  • 303頁 四六判上製
  • 4-88344-137-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2006/08/10発行
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