書評

十五歳の義勇軍

十五歳の義勇軍 満州・シベリアの七年 宮崎静夫 石風社 十五歳 戦争 満州 シベリア 抑留 満蒙 義勇軍 開拓 中国 美術 宮崎 静夫 海老原 喜之助 ドラム缶 死者 西日本文化賞 みゆき画廊 俘虜
四六判上製 278頁
4-88344-192-1
定価:本体価格2000円+税
2010/11/10発行
booktitle
十五歳の義勇軍
zeikomi
¥0円


満州・シベリアの七年

booktitle
十五歳の義勇軍
zeikomi
¥0円

十五歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、十七歳で関東軍に志願、自爆間際で敗戦、四年間のシベリア抑留を経て帰国、炭焼き、土工をしつつ、絵描きを志した著者による感動のエッセイ集。
阿蘇の山村を出たひとりの少年が、満州・シベリアでの過酷な体験を経て、一個の画家となった――。

書評

苛酷な体験から明澄な世界へ

久野啓介
元熊本近代文学館長

 第2次大戦中に国策として推し進められた満蒙開拓青少年義勇軍に、高等小学校を出たばかりの15歳で志願し、さらに17歳で関東軍に志願入隊、敗戦と同時にソ連の捕虜となり、4年間のシベリア抑留。帰国後、画家となり、「死者のために」シリーズなど鎮魂と反戦の絵を描き続けてきた著者が、折りにふれて新聞・雑誌に書いた120編のエッセーを集めたものである。
「満州・シベリアの七年」と副題されているが、「その七年が私の青春の総てであった。人はそれを苦難の歳月とも云うが、私にしてみれば濃密な学びの場であり、己れを視つめ、確かめることのできた得難い日々としても忘れることはない」と「あとがき」に書くところに、並みの人ではない著者のしたたかな資質をうかがい知ることができる。
 また帰国から50年後、中国東北部を再訪して見たものが、熱烈歓迎とは裏腹に、「植民地満州の時代の日本人(軍)の所業であり、まぎれもなく浮かぶ東洋鬼(トンヤンクイ)の姿は、否定しようもなかった」(『シベリア再び』)と、かつて加害者側の尖兵であった自分を見つめることにやぶさかでないことも、特記しておかねばならないだろう。
 そして民族間の加害と被害、収容所煉獄の苦難と学び、異郷と故郷など、幾重にも錯綜した苛酷な体験の末に、著者がたどり着いた境地は、意外と明澄な世界であったようだ。例えば「ツワの花」と題する掌編がある。 
 ツワの花の季節に、研ぎ屋の老夫婦がやって来る。鋸(のこぎり)の目立てを頼むと、元は大工だったという老人は、確かな手つきでやすりを動かしながら、「齢をとると、高い所がいけまっせんけんなあ……」などと言う。普通なら楽隠居のはずなのに、身につけた手仕事で二人が支えあって生きる姿には、老いの哀愁があった。ひと仕事終えた二人は、淹れた茶を飲み、振りだした雨の中を、寄り添って帰って行く。
 それだけの話だが、書き手の目線の低さとデッサン力の確かさで、静かな感動がじんわりと胸にしみた。滋味あふれる一文である。

目次紹介- 抜粋 -

1 シベリアへの旅
2 満州・シベリアの七年 
 阿蘇に育つ・内原訓練所・満州の曠野・関東軍・シベリア・帰郷
3 まどろみの幼年
  絵を描く俘虜
  声がする

宮崎静夫

みやざき・しずお

booktitle
宮崎静夫
zeikomi
¥0円
みやざき・しずお

1927年、熊本県小国町に生まれる。1942年、15歳で満蒙開拓青少年義勇軍に志願、満州へわたる。
1945年、関東軍へ現役志願(17歳)。10月、関東軍捕虜としてシベリアへ抑留、4年間の俘虜生活をおくる。
1957年、海老原喜之助に師事。1961年、ドラム缶シリーズでシェル美術賞佳作、熊日賞など受賞。1968年、渡欧。約1年間遊学。1970年、「死者のために」を描き始める。
1974、78、91年、東京みゆき画廊で個展。1983年から島田美術館、上通りギャラリー、小国町、岩田屋、名古屋市、福岡市などで個展。1998年、熊本県立美術館分館と島田美術館で、回顧展を開く。
2008年、熊本県芸術功労者として顕彰される。2010年、第69回「西日本文化賞」受賞。
著書に『宮崎静夫作品集』『絵を描く俘虜』がある。