歳月を重ねるにつれて、光芒を放つであろう小説集一巻がここに在る。
 著者は七年前に物故された鹿児島在住の詩人であるが、詩において、極度に凝縮された喩の切れ味と、時代を透視する思想的含蓄の深さによって、戦後詩史の一ページを飾るにたる業績を残されたばかりでない。氏は戦後どの作家も書くことがなかったような、高度に知的でしかもくるめくように豊醇な一群の小説の書き手でもあった。
 そのすべては鹿児島や熊本の雑誌に発表されたので、いまだ知られざる作家にとどまってはいるが、この一巻を読む者は、井上氏が戦後文学の中でも、ひときわ光彩を放つ一鬼才だったことをうべなわずにはおれぬだろう。
 氏の代表作は、かつて弓立社から一本として刊行された『カキサウルスの鬚』と『衛門』だろう。前者は七〇年代初頭の鹿児島を舞台として、悪夢のような戦争体験と屈折した土俗的情念をないまぜた力作であり、後者は日中戦争中の時代の暗鬱な照り返しを背景とする、近親相姦的恋愛の物語である。
 つまり氏の小説には、戦争と軍隊という日本人の巨大な経験が夢魔のようにのしかかっており、その意味では戦後文学的といっていよいし、そのような経験の処理のしかたが知的な屈折を極めている点では、昭和十年代の自意識の文学に系譜づけることもできる。
 しかし、氏の作品が戦後文学の主流をなす知識人文学にとどまるものでないのは、そのすべての隅々から、ムラの土俗のむせ返るような濃密な相貌が立ち現れることによって明かだろう。このようにムラの土俗が知的な格闘を通して思想的象徴にまで高められたのは、まさに氏のみがなしえた壮観であった。
 さらに氏の小説は仕掛けと謎にみちている点でも、まさに前衛的である。氏の小説においては、事実も筋も主題も幾重も目くらましをかけられていて、読者は密度の濃い言葉に酔わされながら、絶えず知的挑戦を受けることになる。すなわち小説読みにとって、この一巻は生涯幾度とは出会えぬ一壷の美酒なのである。