書籍

中村哲・ペシャワール会関連書
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丸腰のボランティア

異文化の中で、病院をつくり井戸を掘り、畑を耕し用水路を建設する。中村医師とともに汗を流す日本人ワーカーたちが綴る、パキスタン、アフガニスタンからの現場からの報告。──国境や国家の越え方にもいろいろある。グローバリズムに抗して……

書評

「世界」に向き合う日本人

与名原恵
ノンフィクションライター

「私でも何かの役に立つでしょうか」。
 現地ボランティアを希望する女性は、中村哲医師に尋ねたという。彼は、こう答えた。「いえ、役に立ちません」。そして言葉を続け、日本で身に付けた技術は現地では役に立たない。当初はじゃまになるくらいだ。けれども半年、一年とたつうちに現地の様子もわかり、何が必要かもわかってくるだろう。
 一九八四年からパキスタン・ペシャワールで診察を始めた中村医師のねばり強い活動とその成果は、よく知られるとおりだ。そして、この二十二年間でパキスタン、アフガニスタンへ五十人に及ぶ人びとが現地ボランティア・ワーカーとして赴いている。本書は、彼ら本人による活動報告をまとめたものだ。
 医療、農業、水源確保、用水路建設、植樹など、さまざまな分野で力を尽くしたいと現地で活動しているが、多くの苦難に直面する。あまりに過酷な現実、宗教、風習の違い。複雑な人間関係。そして、内戦、米国のアフガン攻撃、大地震……。
 夏は四〇度を超える現場だ。日本でやってきた方法論が一番正しいわけではない。不合理に思えても、そこには歴史と伝統に裏付けられた理由もある。そのなかで、彼らは悩み、苦しみ、自分ができることを見つけ出してゆく。悲しみも怒りもさらけだし、そして喜びの瞬間をかみしめる。「丸腰」ゆえに、人や土地を受け入れ、「命を預ける」関係を育んでゆくのだ。とりわけ、九〇年から現在まで看護師として働く女性の報告は、この時間の重さと深い意義を語っている。
 彼らの体験を通して、知ることが多くある。たとえば、国連やNGO(非政府組織)の活動の問題点。さらに、私たちが日本で得ている情報がいかにかたよったものなのか。目が開かれる思いだ。
「美しい国」をかかげる日本。けれども他国に対して「閉じて」いくのではないかという恐れを感じている。本書によって「世界」に向き合う態度を学んだ。

海外でやっていいことダメなこと

大谷猛夫
中学校教師

「自衛隊を海外に出すこと」が国際貢献だと考えているのが、自民党・公明党の連立内閣です。小泉前首相は憲法前文の中から「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」という一文を前後の脈絡なしに引用して、自衛隊を海外に出動させたがっていました。これを引き継いだ安倍内閣も同様です。
 日本国民が、海外で困っている人のところへ出かけていって援助する、というのは武装した軍隊がでかけていくことではありません。『丸腰のボランティア』の本では国際貢献という言葉はまったく使われていませんが、私たちができることは何なのか、してはいけないことは何なのかがはっきり示されています。
 二十年以上パキスタン辺境州でアフガニスタン・パキスタンの戦火にあわれた人たちの医療と生活の支援をしてきた中村哲さんを中心とする「ペシャワール会」のボランティアの人たちの思いが、この本では淡々と述べられています。医療関係の人はもちろん、農業や井戸掘り技術を持った人たちができることをしていく、というこれだけのことです。しかも日本の尺度ではなく、現地の物差しで「私たち協力者がしなければならなのは何も特別なことではなく、今まで地元の人たちがしてきた良いことはそのまま続けて、改善したらもっと良くなるようなことは改善して地元の人たちと一緒に仕事をしていく」という精神です。
 アフガニスタンの人が言います。「井戸の掘り方を教えてくれた。完成するまで手伝ってくれた。完成したら、道具まで置いていくという。後は我々でできる。学んだことは他の村人や子どもたちに教えていける」と。
 ペシャワール会は日本の国際ボランティアの草分け的存在です。この他にもベトナムのストリートチルドレン救済やフィリピンの人たちとフェアトレードに取り組む人たちもいます。現地の人の自立を助けています。

新しい自分の誕生記録

下嶋哲朗
ノンフィクション作家

 即、冒険に出られる。若いとはこの勢いをいう。今時の若者は、何年かすればかならず失うその勢いを行使しない。かわりに既成の社会や価値観に浸かり、ケータイ、ゲーム、テレビ等々カタカナ語の小道具の小さな世界に背を丸めて没我する。そこに実感はないから覇気がない。たとえ若者であっても未知の自分への挑戦を恐れ、自らを革新しない者は、早老人である。小道具に入れ込む無数の老いた若者を見るたびに「もったいない」と思う。
 そもそも冒険とはなんだろう。家を出、既成社会の構成員たるをやめ、庇護されるを拒否して現場に飛び込む勇気である。既成の小さな自分を捨て、新しく大きな自分を自ら生み出そうとの行動である。それは小道具を捨て現場へ出なければならないのだ。現場において「我」の存在を実感するとき、必然自らの精神を取り囲む狭小な垣根はたちまち朽ち果てる。新しい自分が広がり行くを実感する。存在する自信の獲得である。こうして勢いよく成長する「我」を実感する爽快な心地よさの体験が冒険なのだから、深い悩みこそあれそこには失敗とか後悔などは絶対にない。仮に脱落したとしても、それは己の限界を悟ったのである。迷わずほかの道を進めばいい。「我」の冒険は「我」だけができる唯一のものであるゆえに貴重なのだ。「すべて現場から学んだ」と副題を付けた本書に登場する数十名の若者たちが、この事実を熱く教えてくれる。
 医師・中村哲さんの設立による「ペシャワール会」はつとに知られるが、その活動を支える多数の日本人ボランティア、──若者たちの生の声はあまり知られていない。本書はその若者たち、異文化の中で病院を作り、医療に携わり、井戸を掘り、畑を耕し、用水路を建設した若者たち自らによる記録だが、意図せずして新しい自分の誕生記録となった。
 「会」の現地代表中村さんがパキスタン・ペシャワールで診療を始めたのは一九八四年。戦争、内戦、干魃が起こり人々は被災し死傷したり難民となった。医療器具もそろわない困難なところで日本人二〇名が働いている。日本で医者をしていれば金儲けもでき安楽な生活は保障されている。なのに命も危ない国へ「なぜ行くのか」と自問し「青春をなげうって行くんだね」と悲壮視する友人や家族たち日本人に「青春を求めに行くのだ」と内心思う。現場においては「日本の知識と常識を覆され」て我は何をする人か、我は何ものなりかと悩む悩みが自己探求を深めて、逃避への誘惑に打ち勝つ。そこから新しい自分が生まれ出る。「会」は集団活動である。しかし、日本を含む各国からのNGOが押し寄せては、サッと引いていくなか「あなたたちは絶対に逃げない。私達はあなた達日本人だけは信じることができるんです」と人々にいわせる信頼は、新しい自分の誕生によって生じたものだ。その代償は金銭などではない。「日本から八千キロも離れた小さな渓谷で、我々のことを心から信じてくれる人々がいます」との日本では体験し得なかった信頼される喜びである。
 アフガニスタンは一九七九年のソビエトの侵攻以来いまだに戦火が絶えない。そればかりか、二〇〇〇年からは大干魃に見舞われ人口の半分以上が被災し数百万人が飢餓線上にある。完全武装した民兵に護衛されて作業を続けている外国の企業などは、襲撃と拉致と殺害が繰り返されたが、非武装・丸腰の日本の若者たちが襲われたことは一度もないという。それが「日本人への信頼につながり、軍事によらない日本人の『安全保障』となる」、結びの言葉である。若者たちは現場において日本の平和を鍛えてもいる。

真の「国際援助」とは

多田茂治
ノンフィクション作家

 心のこもった真の「国際援助」とはどういうものか、本書を読めばよくわかる。
 福岡出身の医師中村哲氏のパキスタン・アフガニスタンの僻地医療活動を支えるペシャワール会が発足したのは一九八三年。翌年、中村医師はパキスタン北西部の拠点ペシャワールに着任。カイバル峠を越えればアフガンだ。この一帯はハンセン病の多発地帯であり、結核、白血病、マラリア、腸チフス、寄生虫などの患者も多かった。貧困地帯でもある。
 本書は、中村医師の活動に共鳴してペシャワールに馳せ参じた日本の若者たち(約五十名)の活動記録である。九八年にはペシャワールにPMS(ペシャワール会メディカル・サービス)基地病院が開設されて本格的な医療活動が始まるが、二〇〇〇年にはアフガンの乏しい「命の水」の水源確保事業も開始。寒暖の差が激しいなかでの井戸掘り(すでに一四〇〇本以上)、灌漑用水路工事、植樹、試験農場開設、野菜栽培と仕事は増える一方。現地スタッフも増えるが、なにしろ異文化(イスラム)と鼻つき合わせての日常なので、驚き、とまどい、怒り、ときには「参った!」の連続だが、中村先生作のウルドゥー語のテキストには「お互いが理解し合うには時間がかかる。ゆっくりゆっくり……」
 そんな日々を重ねて、みんな大きくなってゆく。〇一年十月、アメリカのアフガン空爆が始まると、中村医師は「私はこの狂気に断固反対する。PMSは決して撤退しない」と激怒し、また一つ仕事を増やした。難民キャンプへの食糧支援。みんな生き生きと大忙しだった。
 題名の「丸腰」がよく効いている。アメリカべったりの小泉政権はイラく戦争が始まるや、いちはやく自衛隊をサマワに派遣して日章旗を揚げさせたが、重装備の隊員はもっぱら砦の中にこもっていて、何程の事も成し得なかった。
 ペシャワール会の丸腰のボランティアたちは現地住民のなかに溶け込み、厚い信頼を得て、大きな仕事をいまも続けている。丸腰の熱意のほうが武力よりも強い。

  • 400頁四六判並製
  • 978-4-88344-139-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2006/09/20発行
中村 哲 ペシャワール アフガン アフガニスタン 国際化 らい ハンセン病 NGO 北西辺境州 イスラム 石風社 辺境で診る辺境から見る 中村哲
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辺境で診る辺境から見る
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辺境で診る辺境から見る

「ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである」(芹沢俊介氏「信濃毎日新聞」)
戦乱の中、診療所をつくり、千の井戸を掘り、緑の大地を拓く医師アフガニスタン・パキスタンで19年。時代の本流を尻目に黙々と歩む一医師の果敢な思考と実践の軌跡。戦乱の中、診療所をつくり千の井戸を掘り用水を拓く。時代の本流を尻目に、黙々と歩む一医師の、その果敢な思考と実践の軌跡のエッセンス。

書評

アフガン復興への現実的展望

芹沢俊介
評論家

 パキスタン北部の山岳地帯にある町ペシャワール、この地名が世界認識を根底から変えるほどの意味を帯びて私たちに迫ってきたのは、中村哲の本によってである。
 著者はペシャワール会の医者として、二十年にわたり現地で、ハンセン病コントロール計画をはじめとする医療活動に従事する一方、大旱魃にみまわれたアフガニスタンに数多くの井戸を掘ってきた。現地の人たちとともに、農民が土地を失って難民となる事態を防ごうとして懸命の努力を傾けてきた。
 素朴な疑問が浮かんでこよう。なぜパキスタンの町がアフガン復興の拠点となるのだろうか。著者は書いている。浮浪者、物乞い、泥棒、そして三百万人のアフガン難民たちを、ペシャワールは苦もなく受け入れると。著者はそうした姿に、著者のいう「平和・相互扶助の精神」を見たのだ。それこそが真の人類共通の文化遺産であると思ったに違いない。
 あの悪名高かったタリバン政権に関しても、現地の生活者の視点に立つとまったく違う像が描き出される。著者の目には、タリバンによる治安回復は驚くべきで、人々はおおむねこれを歓迎していたと映った。アフガニスタンの広大な国土の九割が、兵力わずか二万人のタリバン政権で支配され続けたのは、決して圧制のためではなく、世界でもっとも保守的なイスラム社会の住民たちの期待に応えたからだ、と著者は述べる。
 このような著者の目を通して見るとき、正義の米国対悪のタリバンという構図は虚偽であり、タリバン後の自由なアフガンという見通しもまるで根拠のない、非現実的なものだということがわかる。実際、タリバン政権崩壊後、治安は乱れ、貧しい人々の生活はいっそう悪化している。復興支援という名の西欧風の押し付けも完全に行き詰まっている。
 そうした現実をかたわらに、長期的展望に立つ著者はめげる気配もない。誇り高いアフガン気質は農村にこそ生きているという現実感覚を踏まえ、年間二〇万人を診察するという医療活動や、井戸掘りなど水源確保を目的とした作業地の拡大に尽くしている。農村復興の要がそこにあるというのだ。読後、人間愛についてつくづく考えこんでしまった。

魂の叫び……珠玉の文章

白垣詔男
西日本新聞編集局

 一九八四年からパキスタン、その後アフガニスタンでも難民らの診療を続けている福岡市出身の医師中村哲さんの初の時事評論と随筆集。「人間にとって一番大切な権利は生存権」と言い切る中村さんの「魂の叫び」が並ぶ。物質文明の中で生活する日本人が読むと心洗われ「人間とは何か」を考えさせてくれる魅力的な一冊だ。
 時事評論は、中村さんが本格的にアフガニスタンにかかわり始めた八九年から昨年秋まで、西日本新聞はじめ日本の新聞や、中村さんを支える非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)会報に発表した中から厳選した。
 この間、アフガニスタンでは、軍事介入していた旧ソ連軍の撤退(八九年)、内戦(八九─九四年)、イスラム神学生の武装集団タリバン政権登場(九四年)、米国の空爆でタリバン政権崩壊(二〇〇一年十二月)、暫定政権発足(同)とめまぐるしい動きがあった。
 しかし、中村さんと現地病院、診療所スタッフらは、「幾多の戦乱と権力の変遷、現われては消える海外援助活動とは無縁に、患者や現地スタッフたちと泣き笑いを共にし、現地活動を継続してきた」。
 中村さんが現地代表を務める「ペシャワール会」の事業は、医療に加え飲料水確保、さらに農業土木工事まで広げる。すべて、現地の人々の命を守るためである。
 これらの資金は、同会が募集した「アフガンいのちの基金」(十億近く集まった)と急激に増えたペシャワール会会員の会費だった。同会は、米空爆が始まると会員が急増、八千人を超えた。
 本書には、二十年近く両国で医療活動など、現地の人々の立場で活動してきた中村さんの「珠玉の言葉」が並ぶ。それらは、光が当たるときだけ、にぎにぎしく動き回る大半のNGOの活動家らとは違う、大地に根ざし活動を継続してきた者だけが語り得る重たい響きを持つ。それは、湾岸戦争、米空爆などイスラム社会で「敵」を増やしている日本政府の愚行を、食い止める努力にもなっている。
 巻末には〇〇年七月から八月にかけて西日本新聞文化面に五十回連載した随筆「新ガリバー旅行記」を収録している。

  • 251頁四六判上製
  • 978-4-88344-095-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2003/05/20発行
ペシャワールにて 中村哲 ペシャワール イスラム らい ハンセン病 石風社 中村 国際化 アジア パキスタン 難民 NGO
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ペシャワールにて
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ペシャワールにて

数百万のアフガン難民が流入するパキスタン・ペシャワールの地で、1984年以来現地スタッフと共にらい(ハンセン病)患者と難民の診療に従事する日本人医師が、高度消費社会に生きる羅針盤を失った私たち日本人に向けて放った、痛烈なメッセージ

書評

真の国際化は異質との接触

阿部謹也
一橋大学教授(当時)ドイツ中世史、西洋社会史

 私はまだペシャワールに行ったことがない。蒼穹に白い頂を屹立させたヒンヅークシの美しい山々も見たことがない。アラブのバザールも知らない。それなのに、パキスタン・アフガニスタンで医療活動を続けている福岡市出身の医師・中村哲氏著「増補版・ペシャワールにて」を読んでいると、あたかもペシャワールのJAMS(ジャパン・アフガン医療サービス)の病院で患者の膿みをとり、ときにバザールでカバブーを買っているような気にさせられる。
■現代世界の焦点
 どんなに小さな町でも村でも、それなりに世界の縮図ではある。しかしペシャワールは文字通り現代世界の焦点といってもよいだろう。ここには自分たちの文明の普遍性を標榜している欧米先進諸国が奉仕という形式のもとでその傲慢な素顔を見せているし、現代日本の旅行者や若者も現在の日本の病める姿をさらけ出している。旧ソ連やアメリカの露骨な干渉が何のために行われたのか、住民は日々肌身で感じとっている。国連難民高等弁務官という地位や国連という名が日本では海外協力の錦の御旗にされているが、その実態がどのようなものであるのか住民はつぶさに知っている。ここには明治以来百年日本人が自分の目にかけてきたサングラスあるいは鱗を払い落すすべてのものがある。
 ペシャワールに思いを馳せるとき、私はまた東京・福岡という回路を通して考えてしまう。私は中村氏が糾弾している東京に住んでいる。そして年に一度福岡に行くことを楽しみにして月日を送っているといっても過言ではないだろう。それが何故なのかこれまで余り考えたことはなかったが、中村氏が生まれ、ペシャワールの会がつくられる福岡を考えてみると、そこには何らかの関連があるような気もする。
 一昨年と昨年、私はドイツで国際学会に出席し、昨年は「日本の世間と西欧の社会について」講演をした。そのときマレーシア出身の学者が日本の世間という概念にたいへん関心を持ち、マレーシアでもその話をして欲しいといわれたことがあった。その前の年に私はこれまでの日本とヨーロッパ・アメリカという構図だけでなく、東南アジアそのほかのアジア諸地域を含めた歴史認識を形成してゆかなければならないと考え、明治維新に関する東南アジアの学者たちと日本の研究者たちとの大きな違いについて考えるべきだということを岩波書店の『よむ』という雑誌に書いたことがあった。
■自ら変える意志
 しかし、本書を読んでいるとこうした問題のすべてがペシャワールでは明瞭な形で現れているように思える。国際化という言葉が叫ばれて久しいが、かねてから私は国際化とは異質な文化(人と人の関係のあり方)の中に自分の文化(人と人の関係のあり方)と共通な基盤を発見し、そこから互いの文化の違いが生ずる経過を現在まで辿ってくる作業だといってきた。中村氏は文字通りそれを実践されている。国際化とは、異質な人々と接することによって自分が変わってゆくきっかけをつかむことでもある。自分を変えようという意志がないところには真の国際化はない。西欧のミッションや国連の事業がうまくゆかない理由の一つにはこの問題がある。
 最も重要なことは現地に長く滞在し、そこで何が求められているのかを把握することなのだが、このようなことをこれまでどれほど多くの人や公的機関がなおざりにしてきたことか。インテリを代表とする近代文明の担い手たちが、自分たちこそ知の最先端にいるという幻想にとりつかれてからこのような事態が始まったのである。それはヨーロッパでほぼ16世紀に始まり、日本ではこの百年の間の出来事である。
「ハンセン病」をめぐる偏見についての本書の指摘はまさにこの問題とかかわっている。中村氏は「ハンセン病」をめぐる偏見が近代化に応じて強くなり、科学的知識の普及に連れて差別も無慈悲なものになってゆくことを指摘している。
 パキスタン北西辺境州やアフガニスタンでは患者も共同体に一定の席を割り当てられているという。感染という科学的な概念が普及すると「うつる」というメカニズムが、精神的なものを媒介することなく人々の頭脳に定着し始め、差別が激しくなったという。
「近代化とは中世の牧歌的な迷信が別のもっともらしい科学的迷信におきかえられてゆく過程であるに過ぎない」と中村氏がいうとき、ルーマニアの亡きルネサンス研究者クリアーノのような現代の学問の最先端の人々がようやく気づき始めたことを中村氏はすでにペシャワールで自らの体験の中で確認していたのである。
■自分の外のこと
 現在日本でも外国人労働者に対する差別が激しくなっているが、このような状況の中ですら日本史家たちは「ハンセン病」に対する差別や「ハンセン病」の存在さえ日本の学生は知らなくなっていると嘆いているにすぎない。専門の学者ですらこのような状態であるから、日本では部落差別や外国人労働者に対する差別を自分の外の出来事として捉えようとする風潮が強い。私は部落差別の問題は被差別部落以外の人々の中に今も強く残っている世間意識がある限り、容易には解消しないと考えている。しかしこの世間意識に対する関心はほとんどゼロに等しい。
 日本のインテリは社会という言葉を容易に使うが、社会は個人を単位として成立している建て前になっており、自立した個人の存在を前提としている。しかし日本ではその程度の個人もいまだ十分には存在しておらず、今後も西欧的な個人が定着する見通しはほとんどないといってよいであろう。にもかかわらず西欧風個人を前提にしてすべての概念が立てられているところに問題がある。
 世間とはそれぞれの個人がもっている人間関係の絆であり、郷土や出身校、会社、などの中でそれぞれが独自に結んでいるものである。一人一人の世間は従ってそれぞれ異なっている。世間は個人以前に存在するものと考えられており、個人が世間を変えることが出来るとは誰も考えてはいないのである。しかし世間は個人にとっては実在であり、皆が世間を意識しながら暮らしているのである。その世間そのものは排他的で差別的な構造をもっており、私達の差別的な言動の根源に世間という枠がある。そして世間意識の存在に気づかないが故に私たち自身の差別的言動にも気づかないのである。
 本書は私たちをこのような世間意識から解放し、「ハンセン病を病むことだけが人間の平等の印でしかない」世界を見せてくれる。このような世界を見た人の言葉を私たちは信じなければならない。本書を読むことによって私たちがどのような絆で結ばれているのかをも自問することになるだろう。

  • 261頁四六判上製
  • 978-4-88344-050-4
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1992/03発行
伏流の思考 福元満治 私のアフガン・ノート 石風社 福元 満治 中村 哲 ペシャワール らい ハンセン NGO 国際化 グローバリズム アフガニスタン アフガン 石風社 伏流 思考
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伏流の思考
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伏流の思考

一編集者が、ひょんなことからNGOの責任者になって、考え続けた思考の軌跡。……人間の欲望が幻影となって、人間の存在を呪縛する世界に身を置きながら、アフガニスタンに関わり続けて二十数年。

書評

援助の独善、厳しく排す

松原新一
久留米大学教授・文芸評論家

 福岡市にペシャワール会というのがある。一九八三年九月、中村哲医師のパキスタン・アフガニスタンでの医療活動の支援を目的に結成された会である。そのペシャワール会の広報担当理事として中村医師の活動にねばり強く伴走してきた福元満治が、『伏流の思考──私のアフガン・ノート』という本を出した。その読後感を書きとめておきたい。
 福元満治は、ある時、現地でのボランティアを希望する看護婦さんと中村医師との会話の場に同席したことがある、という。「私でも何かの役に立つでしょうか」と問う看護婦さんに、中村医師は即座に「いえ、役に立ちません」といってのけた、という。この、一見冷徹ともいえる答え方に、福元満治は、長年ペシャワールという異文化の地で悪戦苦闘してきた「ひとりの人間の断固たる意志」を見た、と書く。
 中村医師はただ冷たく突き放したわけではなく、「半年か一年は寝てくらすつもりで来てください。そのうち現地の様子もおいおい見えてきて、何が必要かもわかって来ます」と言い添えるのを忘れてはいない。ただ、不幸な他者への慈善的善意に陥りがちな私どもの弱点をきびしくみすえることばとして、ここに取り出したのだが、「現地の立場に立つ」ということが、いかに困難な課題であるか。
 本書を読みながら、幾度も私の念頭に浮かんだのは、いったい他者の呼びかけに応えるとはどういうことか、という問いだった。福元満治は、中村医師はさまざまな国家や組織や個人が「援助」の美名のもとに、それぞれの利害や思惑や善意を現地の人びとに押しつけて混乱を引き起こす姿を、うんざりするほど見てきたはずだ、という。NGOなどが、お金を出してくれる「先進国」の方に顔を向けて、「識字教育」だの「女性解放」だの「人権問題」だのといった先進国好みのテーマを持ち込むのも、現地の必要という点からいえば本末転倒になりかねない、という。
 面白いのは、福元満治が中村医師に対して最初に抱いた感情は「嫉妬」だった、と告白している事実である。「中村医師のアフガニスタンの人々との関係のありかた、その深さに嫉妬したのである。ひとは、他者とこれほど深く関わりあうことができるのか」という思いだった、という。そういう悲しい感受のしかたに、おそらく六〇年代末のあの全共闘世代の一人としての福元満治の、心の傷がうずいているにちがいない。ここに本書の微妙な文学的性格もまた浮かび上がってくる道理である。

  • 272頁 四六判上製
  • 978-4-88344-104-4
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2009/10/20発行
ドクターサーブ

パキスタン・アフガニスタンでドクターサーブ(先生さま)と呼ばれる男がいる。1984年から医療活動を始め、現在数百の現地ワーカーを率い、年間患者数20万の診療体制を築いた日本人医師の15年を活写。──真実を、その善性を、中村は言葉で語らない。ただ、実行するだけである。(本文より)

  • 293頁 四六判並製
  • 4-88344-074-5
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2001/07/01発行
ダラエヌールの子供たち

現地に行かなければ、何も始まらない──


アフガニスタンのダラエヌール渓谷、その小さな村で青年はくらしていた。長い戦乱と、終わりのない旱魃。村人は黙々と畑を耕し、子供たちは微笑を失わなかった。──青年は、農作業の傍ら、村人と子供たちの写真を撮り続けた。──それは、沈黙する大地の啓示のように遺された。

  • 117頁 255×245ミリ
  • 978-4-88344-178-5
  • 定価:本体価格2500円+税
  • 2009/09/10発行
ダラエ・ヌールへの道 中村哲 ペシャワール 中村 哲 ダラエ アフガニスタン 石風社 アフガン らい イスラム ハンセン病 NGO 国際化
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ダラエ・ヌールへの道
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ダラエ・ヌールへの道

アフガニスタンの山岳地帯の村々に診療所建設を展開するひとりの日本人医師が、現地との軋轢、日本人ボランティアの挫折、自らの内面の検証等、血の噴き出す苦闘を通してニッポンとは何か、「国際化」とは何かを根底的に問い直す渾身のメッセージ

書評

一知半解の事情通に対する痛烈な批判

山内昌之
東京大学教授、歴史学

「アフガニスタン──それは光と影です」
 一九八四年以来、アフガン難民の医療に従事する筆者の指摘には、ずっしりとした重みがある。前著の『ペシャワールにて』に続く、アフガニスタンやパキスタン現地の人との交友と診察の貴重な記録である。最新のアフガニスタン情勢の紹介にもなっている。
 欧米や日本から来た論客やボランティアのなかには、アフガン人の難民キャンプ生活を見て、「イスラムの後進性」や「男による女性虐待に金切り声を上げる」者が多いという。こうした外国人の解釈や異文化論こそ、アフガン人の言動より「さらに解らない」というのが著者の感想である。これは、一知半解の事情通に対する痛烈な批判になっている。
「日本︱アフガン医療サービス」の主宰者であり、アフガン国内ダラエ・ヌールにつくった新診療所で文字通り生命を賭して診療を続ける中村氏には、とくにアフガン社会の解放とか救済といった気負いはない。むしろ、戦火の恐怖で言語も失った人びとの病を癒し、高熱と全身の痛みで耐えられなくなった患者に少しでも「人間」としての誇りを取り戻させる。
 中村医師の医療活動の信念は明快である。「べたべたと優しくするよりも、泣き叫びを放置して思い切り心の膿を出させる方がよい。事実と結果が最も雄弁である」。
 しかし、こうした考えは時にスタッフに大きな忍耐力を強いる。ある外国人がやってきて、「病棟の無秩序と悲惨な女性患者の境遇」を嘆いたそうである。
 しかし、中村氏は「即座にその意味が分からなかった」という。それは、「瀕死の野良犬が人間に立ち直るのを大きな希望で見てきたからである」。それでも、せっかく治癒したこのハンセン氏病患者が気管切開をして失語状態になってしまう。極限状態を経験するのは患者だけではないのだ。
 各種の会議にありがちは「無駄口と議論」への嫌悪と出席拒否も、著者ほどの体験を重ねるとまるで自然な振る舞いに思えてくる。
 どんなにつらい環境にあっても、ユーモアや余裕を忘れない中村氏の姿が随所に見いだされる。アフガン難民の治療にあたる日本人医師やレントゲン技師があまりといえばあまりの現地民の対応に怒りはじめると、唐の高僧・玄奘が仏典を求めてペシャワールあたりに来た時の言辞をさりげなく紹介する。「この地は人情が頗る悪い」と『大唐西域記』が記録しているというのだ。高僧でさえこの調子だから、「偉くもない我々凡人が簡単に解るものではない」。
仏教でいう「悪智」に陥らず、観念の格闘で終わらないようにしよう、という中村医師の勧めは、広くわれわれにもあてはまる素晴らしい警句ではないか。
 それでも、「率直さ」だけは忘れないようにしたい、というのも著者らしい。玄奘も「悪智」こそもたなかったが、率直に悪口を末代まで記している、という指摘には思わず喝采を送りたくなる。クリスマスの日、ペシャワールに出た医師は患者五〇人に「見たこともない高級の洋菓子」を土産に買って帰る。一週間の食事代にもなるケーキを暖かいストーブの側で食べながら、談笑する光景は感動的である。久しぶりに笑顔が戻った患者を温顔で見守る中村氏のシルエットが、ストーブの明かりに照らされて浮かぶようである。

  • 323頁 四六判上製
  • 978-4-88344-051-1
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1993/11発行
空爆と「復興」 アフガン最前線報告 ペシャワール会 中村哲 石風社 ペシャワール 中村 哲 9.11 9 11 九 一一 アフガン アフガニスタン NGO 日本 アジア 平和 天災 食糧 ワーカー ボランティア
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空爆と「復興」
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空爆と「復興」

9.11直後からの900日間


「カネがなくても生きていけるが、雪がなくては生きてゆけない」。現地のことわざどおり、アフガニスタンは自給自足の山の国である(中村哲)。
9.11勃発から900日、NGO活動最前線の舞台裏。破壊と欲望が、復興と利権が野合するアフガニスタンの地で、日本人医師と青年達が空爆下の配給から用水路建設まで、修羅の舞台裏で記した4年間の実録。(9.11直後から03年末まで二百余通のeメールを収録)

  • 478頁 四六判並製
  • 4-88344-107-5
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2004/05発行
医は国境を越えて 中村哲 国際化 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン らい ハンセン NGO 中村 哲
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医は国境を越えて
zeikomi
¥0円
医は国境を越えて

アジア太平洋賞〈特別賞〉受賞


貧困・戦争・民族の対立・近代化──世界のあらゆる矛盾が噴き出す文明の十字路で、ハンセン病の治療と、峻険な山岳地帯の無医村診療を15年にわたって続ける一人の日本人医師の苦闘の記録。

書評

国際化とは、日本とは、人間とは。

 一九九三年、アフガニスタンの山岳地帯、ダラエ・ヌール渓谷一帯で悪性マラリアが大流行した。駆けつけた日本人チームは村民から大歓迎された。
 キニーネを点滴すると劇的に回復する。一人分二二〇円。資金が底をついた。これを報じた日本の新聞の「人の命が二二〇円」の見出しが波紋を広げ、五年分のマラリア・流行病予算ができたと中村哲さんは喜んだ。パキスタン北西部ペシャワルを拠点に医療活動を続ける人だ。
 渓谷に朝の薄明かりがさしはじめるころ、祈りの朗唱が響き、一日がはじまる。村によっては小学校もあるが、大半の村には一種の寺子屋があって、コーランを通じて読み書きを覚える。親が農業や牧畜で忙しいとき、子どもは放牧や水くみを手伝い、学校には行かない。
 ある団体が日本と協力して「恵まれない子どもたちのため」村に学校を建設する案を携えて相談にきた。中村さんは答えた。子どもたちは「哀れだ」とは思っていない。ヒツジを追い、たきぎを背負う労働も、家族のきずなを強め、共同体の中で必要な協力や生活の技術を学ぶ教育ではないだろうか。
 もちろん、暮らしをよくするための技術や、広く日本や世界を知る知恵を受けることは大切だろう。しかし、あの子どもたちを哀れと見る彼らは、学校にはない、日々の生活を通して自然に教えられる「教育」に気づいているとは言えないと思う。「私はこのての『国際協力』にある種の不信感を抱いている」と中村さんは『医は国境を越えて』に書いている。
 八四年にペシャワルの病院に赴任してから十六年、中村さんはパキスタンの辺境から日本を見続けてきた。国際化とは、日本とは、人間とは。その一言一言が重い。きょう、『医は国境を越えて』の中村さんに第十二回「アジア・太平洋賞」特別賞が贈られる。

  • 355頁四六判上製
  • 4-88344-049-4
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 1999/12発行
医者、用水路を拓く 中村哲 アフガニスタン アフガン らい ハンセン ペシャワール 石風社 中村 国際 NGO 用水路 井戸 イスラム
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医者、用水路を拓く
zeikomi
¥0円
医者、用水路を拓く

「百の診療所より1本の用水路を!」


白衣を脱ぎ、メスを重機のレバーに代え、大地の医者となる。──パキスタン・アフガニスタンで1984年から診療を続ける医者が、戦乱と大旱魃の中、1500本の井戸を掘り、13キロの用水路を拓(ひら)く。「国際社会」という虚構に惑わされず、真に世界の実相を読み解くために記された渾身の報告。

書評

アフガンで苦闘、ついに緑が蘇る

志葉 玲
ジャーナリスト

 残念ながら、現在ほど「国際貢献」という言葉が欺瞞を伴って使われる時は無かっただろう。二十年余りもアフガニスタン支援に携わってきた著者の中村医師は、本書で繰り返し訴える。「殺しながら救う援助はない」「自衛隊の派遣は有害無益。大旱魃で飢える人々を救うことこそ必要だ」と。米軍がモスクや学校への「誤爆」を続ける一方、懐柔策としての援助を行うことで、本来の援助団体までも、現地の人々から不審の目を向けられ、襲撃される。筆者自身、イラクでの取材中に「自衛隊を送った日本は敵だ!」と罵声を浴び、地元の若者達に銃を突きつけられたことがあるが、同様の問題は、アフガニスタンでもやはり起きていたのだ。
 だが中村医師は卓上の議論ではなく、その行動で欺瞞を打ち破り、現地の人々の信頼をかちとっていく。それが本書の主題である用水路建設だ。地球温暖化の影響で、急速に失われた水を、農地に戻す。「百の診療所よりも一本の用水路を」と、全てを捨てて奮闘する著者の姿にはただただ敬服するしかない。
 工事は決して容易なものではなく、大雨や土石流、水路の決壊など数々の困難に直面する。その上、中村医師を含め作業チームは皆、大規模工事の経験は無く、日本でのような資金・物量に頼る工法も使えない。自然に翻弄され、無い無い尽くしの中、悪戦苦闘する中村医師らは、現地の人々の知恵や技術、そして日本の伝統の治水技術に活路を見出していく。そして、ついには荒廃した大地に見事、緑を蘇らせるのだ。
 本書を読む人は、真の「国際貢献」とは何か、いかに平和を創り出すのか、考えさせられるだろう。絶望に抗い、未来を切り開く勇気を与えられるだろう。そして、自然の偉大さと恐ろしさ、地球環境の破壊が何をもたらすかを知るだろう。これは人間・中村哲の物語であるだけではない。迷走する日本社会に活を入れる好著なのである。

人間として何をなすか

上野 朱
古書店主

「ドクター・サーブ」こと、中村哲医師。パキスタン北西部のペシャワールを拠点とした医療活動や、『医者井戸を掘る』ほか多くの著書でも知られる人物だが、その中村医師がいまだ紛争絶えぬアフガンで、今度は井戸ではなく全長十三キロの灌漑用水路(第一期工事として)を切り拓くという難事業に挑んだ「我々の武器なき戦」の記録である。
 なぜ医者が井戸や用水路を掘るのかについて中村医師の答えは根源的且つ明快だ。安全な飲み水が確保され、灌漑で農地が甦って食糧が自給できるようになれば病気は減る、と。そこには「○○国を民主化する」や「わが国の援助は感謝されている」といった「……してやる」式のおごりや押しつけは微塵もない。
 その地には何が必要か、人々が真に求めるものはなにかを見極め、困難に臨んで「気力ヲ以テ見レバ竹槍」と、自ら矢面に立って実行する肝力溢れる人間の姿は、正しい意味での任侠道を見る思いだ。どこの世界に米軍ヘリの機銃弾の下や濁流寄せる中洲に立ち、ユンボで巨石を運んでいる医者があろうか。
 当然の事ながら中村医師は治水工事の専門家ではなく、現地には機材や資材も不足している。あるのは二十余年にわたる活動で得た信頼と、その信頼の下に集まる人材である。その主体はなんといってもアフガン人自身。そうでなければ支援もひと時のブームにすぎないとの指摘には、耳の痛い向きも多かろう。
 造っては崩れ、崩れては補強しながら水路は伸びていく。工事の要衝に、筑後川・山田堰(せき)の知恵が活かされているのも嬉しい。人の苦労を面白いといっては申し訳ないが、読んでいる自分まで、シャベルのひとつも握っているような気にさせられたのも事実である。
 工期四年、ついに命の水は貯水池に到達する。歓喜して水と戯れる子どもたちの群の中にドクター・サーブは何を探したか。これは読者のためにとっておこうと思う。「地の塩」を実践する人には頭を垂れるしかない。本書を貫くのは、「日本人として」ではなく「人間として」なすべきことは何か、なのだ。

素人が治水工事6年半の記録

池田香代子
翻訳家

 アフガニスタンで二十年以上医療に携わっている医師が、気候変動に伴う大旱魃に直面し、広大な土漠の一大灌漑事業に挑んだ。その六年半の記録である。開始は二〇〇一年九月。その翌月からこの国は、米国を襲った9.11テロへの「報復」として、攻撃にさらされることになる。
 そんな戦争やいわゆる復興支援を含む国際政治を、著者は「虚構」と呼ぶ。そこには軽蔑と絶望、そして決意がこもっている。なぜなら、著者の前には、二千万国民の半数が生きるすべを失った現実が広がっているのだから。日本の振る舞いには気疎さが募るばかりだ。
 巨大な暴れ川と過酷な気象を相手に、ずぶの素人が治水工事にあたる。資金は日本からの浄財のみ。機材も資材もごく限られている。著者は、出身地の九州各地を歩いて江戸時代の治水を研究し、現代アフガンにふさわしい技法を考案していく。現地が保全できない現代工法は採るべきではないとの考え方だ。非業の死を遂げた先人の多いこともさらりと書きしるす。水は諍(いさか)いの種だった。
 著者も、治水を巡る対立の矢面に立つが、長年培った交渉術で味方を増やしていく。著者のまなざしには、石や土を相手の伝統的な技量をごく自然にもちあわせ、愚直なまでに信念を貫くアフガン農民への尊敬の念と、弱く愚かな人間への、ちっとやそっとでは断罪に走らない懐の深さとユーモアが感じられる。
「人を信ずるとは、いくぶん博打に似て」と達観する著者は、激高した老人に投げつけられる土埃にまみれながら、「おじちゃん、落ち着け! 話せばわかる」と声をかけるのだ。
 去る者、終始離れぬ者。あるときは敵対し、またあるときは協力を惜しまぬ者。さまざまな人間たちのただなかに、著者は命がけで立っている。その姿は著者の祖父、玉井金五郎をほうふつとさせる。この名親分を小説「花と龍」に活写した火野葦平は著者の叔父。著者には、弱きを助けるという本来の任侠の血が流れている。
 決壊また決壊、予期せぬ出水。重責を引き受けての難しい決断。過酷な労働。人はここまで捨て身になれるのか。土木工事の顛末を夢中で読んだのは初めてだ。

旱魃に立ち向かう驚くべき行動力

養老孟司

 著者はもともと医師である。二度ほど、お目にかかったことがある。特別な人とは思えない。いわゆる偉丈夫ではない。
 最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。その問題を探りたかった。自然が好きな人なのである。
 そのまま、診療所を開く破目になってしまった。診療所は繁盛したが、現地の事情を理解するにつけて、なんとかしなければと思うようになった。アフガン難民を、ほとんどの人は政治難民だと思っている。タリバンのせいじゃないか。それは違う。旱魃による難民なのである。二十五年間旱魃が続き、もはや耕作不能の畑が増えた。そのための難民が、ついに百万人の規模に達した。それを放置して、個々人の医療だけにかかわっているわけに行かない。
 海抜四千メートルほどの山には、もはや万年雪はない。だから川も干上がる。しかし七千メートル級の山に発する流れは、いまも水を満々とたたえて流れてくる。そこから水を引けばいい。水を引くといっても、医者の自分がどうすればいいのか。
 驚くべき人である。寄付で資金を集め、故郷の九州の堰(せき)を見て歩く。現代最先端の土木技術など、戦時下のアフガンで使えるはずもない。江戸時代の技術がいちばん参考になりましたよ、と笑う。必要とあらば、自分でブルトーザーを運転する。この用水路がついに完成し、数千町歩の畑に水が戻る。そのいきさつがこの一冊の書物になった。
 叙述が面白いも、面白くないもない。ただひたすら感動する。よくやりましたね。そういうしかない。菊池寛の「青の洞門」(『恩讐の彼方に』)を思い出す。必要とあらば、それをする。義を見てせざるは勇なきなり、とまた古い言葉を思い出す。
 だから書評もごちゃごちゃいいたくない。こういうことは、本来言葉ではない。いまは言葉の時代で、言葉を変えれば世界が変わる。皆がそう信じているらしい。教育基本法を変えれば、教育が変わる。憲法を変えれば、日本が変わる。法律もおまじないも、要するに言葉である。「おまじない」を信じる時代になった。
 外務省は危険地域として、アフガンへの渡航を控えるようにという。著者はアフガンに行きませんか、と私を誘う。危険どころじゃない、現地の人が守ってくれますよ。そりゃそうだろうと思う。唯一の危険は、用水路現場を米軍機が機銃掃射することである。アフガンでの戦費はすでに三百億ドルに達する。その費用を民生用に当てたら、アフガンにはとうに平和が戻っている。米国に擁立されているカルザイ大統領ですら、そう述べた。著者はそう書く。
 国際貢献という言葉を聞くたびに、なにか気恥ずかしい思いがあった。その理由がわかった。国際貢献と言葉でいうときに、ここまでやる意欲と行動力の裏づけがあるか。国を代表する政治家と官僚に、とくにそう思っていただきたい。それが国家の品格を生む。
 同時に思う。やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか。やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。この本は人をそう鼓舞する。若い人に読んでもらいたい。いや、できるだけ大勢の人に読んで欲しい。切にそう思う。

「国際協力」在り方示す

佐高信
評論家

「外国人によってアフガニスタンが荒らされた」という思いは、官民を問わず、党派を超えてアフガニスタンに広がっているという。
 そんな中で、井戸を掘り、用水路を拓く著者の試みは例外的に支持を受けている。それはなぜなのか? まさにいま問題になっているテロ対策特別措置法が国会で審議されていた時、参考人として招かれた著者は「現地の対日感情は非常にいいのに、自衛隊が派遣されると、これまで築いた信頼関係が崩れる」と強調し、自衛隊派遣は有害無益で、飢餓状態の解消こそが最大の課題だと訴えた。
 しかし、この発言に議場は騒然となり、司会役の自民党の衆院議員は取り消しを要求する始末だった。時計の針を六年前の著者の発言時点に戻せば日本はどこでまちがったかが明らかになる。
 その意味でも、この本は実に「タイムリー」な本である。
 自衛隊派遣は著者たちのようなNGOの活動を危険に陥れるだけであり、まさに「有害無益」なのだ。「給油活動」なるものもその延長線上でしかとらえられないことは言うまでもない。
 評者は著者を〝歩く日本国憲法〟と言っているが、平和憲法の下でこそ「どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障であった」という著者の指摘は成り立つのである。
 喜ばれないものを派遣して、喜ばれているものを危うくすることが「国際協力」であるはずがない。医師である著者が「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に現地で奮闘する姿は、これこそが国境を越えた協力の姿だということを示す。
 一つ一つ地に着いた言葉でつづられる「報告」に読者は粛然とさせられると思うが、著者が病気で二男を失う場面には、思わず、神はどうしてそんな試練を著者に与えるのかと叫ばずにはいられなかった。幼い子を亡くして著者は、空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちがいっそう分かるようになったという。

先ずパンと水を確保せよ!

吉村慎太郎

 政情不安と厳しい自然環境で知られ、日本では省みられることの少なかったアフガニスタンの大地に、誰が用水路建設計画を思いつくだろう。いや、思いついたとしてもその実行と完成までに多くの障害が立ちはだかることは容易に想像できる。しかし、この計画を実現したのが、1984年以来特にアフガン難民救済の医療事業を行ってきた中村哲医師率いる「ペシャワール会」である。
 何故、医師が治水事業に従事したのか? との素朴な疑問が湧くかもしれない。「飢餓と渇水の前に医療人は無力で、辛い思いをする。清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった」とは、こうした疑問を直ちに解消してくれる。著者とペシャワール会スタッフたちは現地アフガン人を含めて、「百の診療所より一本の用水路を!」を合言葉に立ち上がった。本書は、主にアフガニスタン東部クナール川を利用した用水路計画工事が着工される2001年9月から、第一期工事(マルワリード用水路、総距離一三キロメートル)が終わる2007年4月までの約5年半に及ぶ活動記録である。
 この計画の開始はもちろん、「米国同時多発テロ」事件と重なる。アフガニスタンは、米国ブッシュ政権によりその実行犯と目された「アル・カイーダ」と緊密な関係を持つタリバーン政権支配の国として、その一ヵ月後に激しい空爆に曝された。日本を含め、国際的な「反テロ戦争」の大合唱とその後の戦争状態や不安定な政治情勢が続く中、しかしこの計画は進められた。障害はそれだけに止まらない。素人集団による土木技術の限界、約10億円にも達する工事資金調達の難しさ、襲い来る洪水、土石流、地盤沈下や旱魃といった自然の猛威、「復興支援ラッシュ」による物価高騰、工事や土地所有をめぐる現地人との争いなども、計画推進を阻んだ。どれひとつ取っても、決して解決は容易ではない。
 この難工事も「誰もやりたがらぬことを為せ」との基本方針に加え、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」との現実認識や政治的中立の堅持、それまでに一五〇〇本もの井戸を掘ったことに見られる著者の指導力と協力者のエネルギッシュな活動、現地人との粘り強い対話を通じて漸く完成を見た。それだけなら、異国での苦労話に過ぎないが、現実の不条理や虚飾を目の当たりにした著者の言葉は、各々異なる文脈で語られながら、「錯覚」に陥った世界の実態を鋭く衝いている。「平和とは決して人間同士だけの問題ではなく、自然との関わり方に深く依拠している」、「『デモクラシー』とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ」、「『ピンポイント攻撃』の実態は、無差別爆撃であった」など。
 今から七〇年前に同じアフガニスタンで農業指導に奔走した尾崎三雄(『日本人が見た‘30年代のアフガン』石風社)は著者の先例となる日本人だ。さらに医療活動の傍ら、カメラを手に発展途上国六〇ヵ国以上を旅した山本敏晴『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ──望まれる国際協力の形』(白水社)も現実と葛藤する真摯な日本人の基本姿勢を教えてくれる。

  • 377頁 四六判上製
  • 978-4-88344-155-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2007/11発行
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