一九二〇年、福岡県添田町生まれ。一九四三年、西南学院高等部を卒業後、北京日本大使館・調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍・第六三師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた。復員後、福岡市の図書出版・惇信堂に入社し、南風書房を設立。一九四六年六月、眞鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。同号掲載の小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第一回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄、三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した。一九五一年、夕刊フクニチ新聞社に入社。小説「奔流」で一九五二年上半期芥川賞候補。新聞紙上で多くの評伝などを連載するかたわら、「午前」「西域」「季刊午前」など地元文芸誌で後進を育成した。一九八九年、福岡市文化賞を受賞。主な著書に『逃亡』(講談社、一九四八年)、『黒衣の女』(光風社書店、一九七三年)『青木繁 その愛と彷徨』(講談社、同年)、『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』(講談社、一九七五年)などがある。一九九四年、逝去。
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