書評

藁塚放浪記

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240頁 A5判変並製
4-88344-130-X
定価:本体価格2500円+税
2005/12発行


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藁塚放浪記
zeikomi
¥0円

北は津軽の「ニオハセ」から宮城の「ホンニョ」飛騨の「ワラニゴ」宇和の「ワラグロ」出雲の「ヨズクハデ」、南は薩摩の「ワラコヅン」、はては韓国、アフガンまで、秋のたんぼをかけめぐり、藁積みの百変化を追った30年の旅の記録。 藁塚(わらづか)=稲刈りを終え、乾燥させた稲束を脱穀したあと(または脱穀の前に)、藁を積み上げられたもの

書評

「最後の日本人」たちが生んだ米作り文化の貴重な記録

与那原恵
ノンフィクションライター

 稲刈りを終えた秋のたんぼに、脱穀したあとの藁の束が積み上げられている。これを「藁塚」というそうだ。藁塚は地方それぞれに呼び方がある。ボウガケ(青森)、ワラニゴ(岐阜)、マルボンサン(京都)、シコホヅミ(佐賀)などなど。地方のぬくもりが響いてくるような呼称だ。
 著者は、この藁塚を追って日本の北から南、さらには韓国、中国まで三十年にわたって歩き、記録した。資料を探しだし、土地の人々の証言を得て、貴重な一冊となって結実した。
 まず各地の藁塚、その個性的な造形に驚かされる。藁の干し方も、その風土によってさまざまだ。藁塚の形には大別して二種類あって、ひとつは中心に棒杭を突き立て芯にして積み上げるもの。もうひとつは杭を用いないものだ。
 宮城県のホンニョは、棒杭を中心にらせん状に藁を巻く。岡山県のイナグロは、小さな小屋のように藁を積み上げる。大分県のトーシャクは切りそろえた稲束をぐるりと見せ、その上に傘のような稲と天に伸びる頭がある。
 秋のはかない日差しの中で黄金色に輝く藁塚の立つ姿は、ほんとうに美しい。どれも、ただ稲藁を乾燥させるという目的だけではない、そこに生きる人たちの実りの感謝と喜びの感情があたたかく伝わってくる。
〈藁塚は、野に積まれた庶民の手の記憶。それらは決して芸術作品ではないが、米作りを中心とした祖先の営みや、民族の記憶をも彷彿とさせる〉
 著者は藁塚を世界遺産ならぬ「世間遺産」だという。著者の作品は、左官職人の卓越した技術である「鏝絵」を紹介した本で目にしている。「手の仕事」への深い尊敬と愛情が著者の一貫したまなざしである。
 大陸から伝わったという「練塀」という泥壁の技術がある。泥に砂や藁スサを加え水でよく練って壁にしていくものだ。よく乾燥させた藁は、壁に用いられたばかりでなく、俵になり、ムシロになり、草履になり、肥料になり、畳の芯にもなった。米作りの労苦の果てに得た「宝」を有効に使う手だてがあったのである。
 しかし現在では稲刈り機が藁を切り刻み田に捨て、米は農協のライスセンターで強制乾燥させられるという。そういえば、本書にあるような藁塚の光景を見なくなって久しい。著者も悲痛な筆致で〈無償の行為を生み続けた「最後の日本人」たちが消えていく過程を記録したものだ〉と書いている。
「米」をとりまく文化を私たちは見捨てた。厳しい自然の中で育まれた人間の営みを忘れ去ろうとしている。たんぼは今、深い雪に覆われているだろう。どうか元気で春を迎えてほしい。

30年にわたり全国を取材

井口幸久

 藁塚とは、ワラを乾燥させるために積み上げた塊のこと。藁にお、藁ぐろ、藁小積などともいう。さらに「ニオハセ」(津軽)、「ワラグロ」(宇和)、「ワラコヅン」(薩摩)など、地域によって呼び方も形も違う。本書は、日本全国を歩き、藁塚を取材した記録である。
 仮に、ワラの積み方が地域によって異なっていることを知っていても、それだけでは史料としての価値はない。藤田さんは三十年にわたり全国の藁塚、数千枚を撮影した。途方もない「無駄」が一冊の本のまとまったとき、大陸の稲作文化と日本のそれとを比較検証する有力な史料になったのである。
 藁塚は1中心に棒杭を突き立て、その周りに積み上げるものと2棒杭を用いないものとに大別される。さらに、気象条件などを加味して大小、高低、形状などに多様な変化が見られる。その形は人々が「手の記憶」として代々受け継いできたものであり、ほとんど変化していないと考えられる。藁塚は、朝鮮半島、中国大陸からインドにも見られ、調査が進めば、稲作の広がりを系統的に調べることも可能であろう。
 藤田さんは、大分県別府市生まれ。「子供のころから図鑑類が好きで小遣いをためては買っていた」という。昆虫、植物に始まり、建築物などへと興味は広がっていった。別府の建物の写真を多数集め、近代和風建築の推移を示す本を出版するなど、その仕事の根底に「歩く、集める」がある。
 印鑑職人だった父の影響もあり、写真家としての仕事も「職人としての手仕事」が基軸となった。そうして取り組んだのが、左官だった。
「土蔵の材料や職人たちの歴史。無名の民の手が生み出したものへの愛着が強い」と藤田さんは言い、泥壁の材料であるワラへの関心が、藁塚につながっていった。
 今日、ワラを積む光景はこの国から消えつつある。農業の機械化とともに、コメを収穫した後のワラは、粉砕されてしまうからだ。本書は、食糧としてのコメだけにしか価値を見いだそうとしない近代文明への、無言の批判でもある。大分県別府市在住。五十五歳。

農民の〝手の記憶〟

「本を語る」

 ボウガケ、ワラニョ、サンカクニオ、ニョウ、マルボンサン、ヨズクハデ……。まだまだあるこれら呪文のような音はみな、同じある〝物体〟の呼び名だという。藁を乾燥させるために収穫後の田んぼに積み上げる「藁塚」。ところ変われば形状とともに名称も変わるそのさまを、日本中、アジアまでも歩き回って調べ上げたのが、写真家の藤田洋三さんだ。
「ずっとおもしろかったなあ」。撮り始めてかれこれ三十年の歳月を感慨深げに振り返る。「文化の根っこを掘り下げているという実感がありましたから。近代化によって断絶しなかった農民の〝手の記憶〟ですよね」
 脱穀後の藁は、巨大なフクロウや神社の社やテントや、いろんなものに見えるさまざまな形状に積み上げられる。しかも「何のために」と首をかしげたくなるくらい、一種の美学に基づいて。「景観条例なんてなくなって、農家はちゃんと景観つくってきたんだってね」
 美しさだけではない。藁塚のあるところ、藁の「用」がある。牛の飼料として、敷き藁として、また養蚕のカイコを飼う「蚕箔(さんぱく)」も藁でつくられる。泥に砂や藁を混ぜて練った土でつくる「練塀」の小屋も、農家とは切っても切れない関係にある。本書でもっともスリリングなのも、あるタイプの藁塚と練塀文化の地域分布が一致するという事実を考察したくだりだ。
「新羅系渡来人といわれる秦氏による技術伝承の跡ではないかと、まあ写真家が勝手なこと言ってるんですが。藁をめぐる営みが、昔はずっと一つながりだったはず」
 写真を学んだ学生時代、土門拳、木村伊兵衛らリアリズム写真の洗礼を受けた。人間の生を撮るその方法を、告発調ではなく、自身が「生きずりの写真」と呼ぶさりげないショットに見いだした。「日本の農村を〝懐かしく〟撮るのなんて簡単。そうではなく、暮らしの実相を撮りたかった。写真におけるリアリズムとは、という問いに、僕なりの卒業論文が書けたような気持ちです」

鏝絵探す旅での出合い

佐田尾信作

 十二年前の晩秋、記者は島根県温泉津町(現・大田市)の谷筋の集落、西田地区に立っていた。半円の弧を描く棚田に点在するピラミッド型の稲ハデ、「ヨズクハデ」の「できるまで」を撮ろうと通っていたのだ。
「ヨズク」とはフクロウ。四本の丸太で組まれた稲ハデに稲穂を架けた姿は、まさにフクロウ。普通のハデに比べて立体的で、耕地の狭いこの里の人々の生活の知恵。あのヨズクたちは今も、あの里で羽を休めているのだろうか。晩秋から初冬のころ、ふと思い出す。
 そのヨズクハデがこの本に載っている。日本列島各地から韓国、中国にまで足を延ばした「藁塚」「稲塚」の記録だ。乾燥させた稲束を脱穀後に積み上げた藁を「藁塚」「藁ぐろ」「藁小積」などと呼ぶ。もみの脱穀前に積み上げて干す稲穂は「稲塚」「稲ニオ」などと呼び、木に架け干しすると、「ハデ」などと呼ぶ。
 写真家でもある著者は左官職人のしっくい彫刻「鏝絵」を世に知らしめた人。同好の士たちと鏝絵を探す旅は藁塚や稲塚と出合う旅だった。
 しっくいの材料は石灰や藁。本書もおのずと、しっくいに筆が及び、石灰窯の痕跡などを探す「お石灰探偵団」まで登場させて笑わせる。しかし、読み進むと、やがて周防灘の祝島(山口県上関町)に残る練り塀にまでたどり着く。「『石灰と泥の技術史』というファインダーを携えながら歩いた藁塚の旅」。著者の旅の本質が理解できた。
 鏝絵でも知られる大分県宇佐市安心院町では、一九九九年から「全国藁こずみ大会」が開かれている。列島各地から出展する、いわば藁塚と稲塚のテーマパーク。第二回大会では西田のヨズクハデも招かれた。あのヨズクたちが九州まで羽ばたいたのか。物言わぬ藁塚が一層、いとおしく思えてきた。

収穫が終わった田んぼに林立するワラ塚が物語るグローバリズム

下川耿史
風俗史研究家

 注連縄(しめなわ)といえば、現在でも正月用品の定番の一つだが、これは青い頃に収穫したモチ米のワラで作られるそうだ。私は九州の水田地帯で育ったが、恥ずかしながらそのことを本書で初めて知った。
 恥ずかしいことがもう一つあって、取り入れが終わった後のワラを積み上げたもの、つまりワラ塚(私の田舎ではワラ坊主と称していた)は、私にとってはごくありふれた風景であり、全国どこへ行っても似たような形だと思い込んでいたが、その土地の気候風土や用途によって、形がまったく異なるという。いわれて見れば当たり前のことだが、思い込みというのは困ったものだと、あらためて反省した次第。
 ところで本書の魅力の1つは各地方に伝えられたワラ塚の形の面白さにある。この点は300枚に及ぶ写真によって楽しんでもらうしかないが、それぞれが風趣たっぷりで、私は北海道の「豆ニオ」、茨城県の「ワラコヅミ」や島根県の「ヨズクハデ」、大分県の「トーシャク」などの風景を見ながら、「一度はぜひとも実物を見たいものだ」と思った。
 もう1つの特徴は、たかがワラを積み上げただけのワラ塚が、古代朝鮮ばかりか中国や東南アジアとの結びつきを実証する、貴重な証拠だという指摘である。
 たとえばワラ塚は前に紹介したほかに、ニュウとかニオと呼ばれることが多いが、これは水銀の技術者といわれる丹生(ニュウ)一族と関わりがあるようだ。また呼び方は地方ごとに違っても、同じ工法で作られたワラ塚をたどって行くと、日本に漆喰壁の技法を伝えた新羅人の秦氏との関係が深いという。秦氏とはいうまでもなく、京都・太秦の広隆寺を作った一族で、機織りの元祖である。
 さらに大分県安心院町(現宇佐市)で行われた「藁こずみ大会」では、中国雲南省の農民がゲストとして招かれてワラ塚作りを披露したが、できあがったものは大分県や茨城県などで行われているものとそっくりなことが、写真で紹介されている。要するにワラ塚とは1500年以上前にこの国で実現していたグローバル化の生きた証というわけである。
 本書を読むと、日本人はグローバル化という名目で、よその国へ金もうけに出かけているが、実は1500年以上前のグローバル化の恩恵を今もって継承していることが実感される。
 現代のグローバル化は果たして1500年の生命力を持ちうるのだろうか?

目次紹介- 抜粋 -

第1部 日本藁(わら)曼荼羅(まんだら)・藁塚って何?
・藁塚は神のヨリシロか?
・米どころ北陸の「減反ニオ」
・石灰、藁、蚕
・藁と水路の物語
・藁塚ロードは練塀の道
・練塀と産屋のコスモロジー
・ウワの空にワラグロを見た!
・藁塚というラビリンス 第2部 ワラニズム文化
・全国藁こずみ大会
・藁塚の桃源郷を行く
・アジアに藁塚はあるか

藤田洋三

ふじた・ようぞう

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藤田洋三
zeikomi
¥0円
ふじた・ようぞう

1950年大分県生まれ。写真家。
雑誌「左官教室」に「鏝絵通信」を連載。ライフワークとして、全国の土壁、石灰窯、藁塚の撮影と取材を続けている。
著書『近代建築史・ゲニウス・ロキ』(編著、産研出版、1993)、『消え行く左官職人の技・鏝絵』(小学館、1997)、「大分の昆虫」(私家版1994)、『小屋の力』(共著、ワールドフォトプレス、2001)、『鏝絵放浪記』(2001)『藁塚放浪記』(2005)『世間遺産放浪記』(2007、ともに石風社)がある。

◉トークやります〜「藤田洋三の出前講座」講演先募集中!

これまで、藤田洋三氏は長年ライフワークとして追いつづけてきた鏝絵(こてえ)の話を始め、左官職人の話、道具の話、素材の話、建築の話などなど、さまざまなテーマでお話しをしてきました。
また近年では、地域と風土の魅力を再発見するために集った各地の自治体やグループなどからの依頼も増えています。
講演をご希望の方は、仲介をいたしますので、石風社(電話 092-714-4838/メールstone@sekifusha.com)までご連絡ください。

◉大分を始め、地域の歴史を語る写真ほか膨大なアーカイブがあります

藤田洋三氏の写真事務所では地元大分を中心に、これまで誰も興味をもたなかったような独特のテーマでたくさんの写真を撮影・所蔵しています。
たとえば・・・・
 1)全国の鏝絵
 2)地元大分・別府の近代建築群
 3)全国の木製アーケード街
 4)九州の昆虫
 5)昭和の雑貨・玩具
などなど。他にもさまざまなテーマがあり、目下整理中です。
こちらも仲介をいたしますので、石風社(電話 092-714-4838/メールstone@sekifusha.com)までご連絡ください。