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追放の高麗人 「天然の美」と百年の記憶 アン・ビクトル 姜信子 石風社 朝鮮 韓国 1930 ロシア アジア 高麗 天然 美 写真 姜 信子 アン ビクトル 写真 ごく普通の スターリン 極東 ソ連 民族 流浪 望郷
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追放の高麗人
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追放の高麗人

地方出版文化功労賞受賞


1937年、スターリンによって遥か中央アジアの地に「追放」された20万人の朝鮮民族=高麗人。国家というパラノイアに翻弄された流浪の民は、日本近代のメロディーを今日も歌い継ぐ。人々の絶望の奥に輝く希望の灯火、歴史のあやなす数奇なる運命に魅せられ、綴られた百年の記憶の物語。旧ソ連に生きる離散の民は、日本近代の歌謡「天然の美」を今も歌い継ぐ。

書評

安住する故郷を持たぬ旅人

玄武岩(ヒョン ムアン)
東京大学大学院生

「親日」を背負う植民地朝鮮の「文豪」李光洙(イ グァンス)を旅先案内人として、故郷を棄てる旅(『棄郷ノート』)に出た在日三世の姜信子(きょうのぶこ)。今度は「天然の美」という歌を追いかけてロシア沿海州や中央アジアの高麗人社会に辿りついた。この旅も、「国民のふるさととしての『故郷』」を棄てる旅の延長にある。
 唱歌や軍歌が主流であった一〇〇年前の日本に、突如現われたスローワルツの三拍子。それが「天然の美」であった。現在は、ジンタ、サーカスの歌とも呼ばれている。その哀切なメロディーは瞬く間に人びとの心を捕らえ、国内はもとより植民地下の朝鮮半島に広まった。さらに圧制を逃れようとした朝鮮民衆とともに、旧満州や沿海州にまで流れていった。悲しい歌を愛した植民地の民は、日本から渡ってきた「天然の美」の哀切なメロディーに自らの思いを託して詞をつけ、題名をかえて歌ったのである。「故国山川(コグクサンチョン)」もその一つである。
「天然の美」は、その後「高麗人(コリョサラム)」と運命をともにする。高麗人とは一九三七年、スターリンによって沿海州からウズベキスタンやカザフスタンに強制移住させられた朝鮮半島由来の人々である。彼・彼女らがソ連の中で生き延びていくためには、「追放」という来歴を忘れることが必要だった。高麗人は封印した自らの運命に対する思いをそのメロディーに託し、彼の地で歌いつづけたのだ。
 姜はその中央アジアに赴く。そして一人の写真作家に出会う。アン・ビクトル。ウズベキスタン在住の高麗人である。意気投合した二人はそれぞれの記憶のために、写真作家の両親の生まれ故郷であり、高麗人の「故郷」である沿海州を巡る旅に出た。本書はその記憶の語りと生き様の合作品である。
 本書は二つの構成からなる。第一部は、在日韓国人である姜の手による、沿海州に「帰還」した高麗人の記憶の物語。だが作家が以前出した写真集のタイトルは『受取人不明』。自身の撮り続けてきた高麗人の記憶の受け取り人が見つからないという意味を込めているのだ。姜はその封印された記憶を「語る」ことについて、思いを巡らす。そしてこう言う。「今までと同じ枠組みと言葉遣いに寄りかかっている限りは何も語り得ない」。
 第二部は写真作家の目に映った高麗人の素顔である。作家は、高麗人の歴程を強烈なコントラストと粗い粒子の写真に焼き付けるために、ちょっとした細工も惜しんでない。カバーを飾る写真の老人が奏でるヴァイオリンは「消えゆく農村」のレクイエムにも聞こえる。しかしページを一枚捲ると、それは祭りの音であった。記憶の中から希望を見出そうとしている。
 高麗人の写真作家は、旅の終わりにこう叫ぶ。
「俺たちに帰るべき『故郷』なんて実はない」
 姜は写真作家のことばに自分の思いを重ねる。むしろ自分の思いに写真作家のことばを重ねようとしている。写真作家が不在を口にしているのは、記憶の
「受取人」を待つ高麗人の末裔の故郷だ。姜が捨てようとしている、日本で育まれた国民国家という「物語」の末にある「故郷」と、はたして重ねてしまっていいのだろうか。
 高麗人が歌う「天然の美」も、姜が言うように朝鮮半島を経由したものなのか。沿海州のウラジオストクはかつて、さまざまな民俗が溢れた国際都市であった。そこに居住する日本人が伝えた可能性もある。もっと言えば、多民族の「重なりあう領土」である沿海州で発生したと言えなくもない。
 もっとも歌はいざ海を渡ると、その由来や行き場は互いに認知されず、その必要もない。その証拠に「天然の美」は「すでに辺境を生きる高麗人の心にしみついた彼ら高麗人の歌」になっていたからだ。
 本書で浮かび上がるのは、悲壮感ではない。アン・ビクトルが撮り続けた数々の「マドンナ」はむしろ美しい。半身不随の「人形使いソン・セルゲイ」の表情は、自ら作ったユーモラスな人形たちに溶け込んでいる。だが、ソ連崩壊で封印された記憶が解けたのもつかの間、中央アジアはイスラム主義が台頭し、高麗人は第二の追放に直面している。その一部は今、沿海州に戻りつつある。安住する故郷を求めて彷徨う高麗人の旅はまだ続いているのである。
 日本では北朝鮮による拉致の被害者とその家族との再会で持ちきりである。だがすこし目をそらすと、沿海州やサハリンにはいまだに流浪を続ける追放の民が生きている。その追放された民に投じられた日本の影は決して消え去ってはいない。拉致の悲劇がそうした夥しい数の流浪の旅と絡まりあうならば、それは内向きのナショナルな語りに回収されていくだけではない。本書はそのことに気づかせてくれるはずだ。

  • 283頁 四六判上製
  • 4-88344-084-2
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2002/05/01発行
旅あるいは回帰

熊日文学賞受賞!


スペイン、ポルトガルの村や街や修道院を孤独な旅人がおとなう、魂の巡礼。……紡がれた言葉をひとつひとつ辿ると、こころのざわめきが静まる……

書評

時の重なりに漂うスペイン

古木信子
作家

 全体を通して「静けさ」が言葉を紡いでいる印象を受けた。教職を勤め終えた著者は、母親を見送った後、毎年数カ月スペイン・カスティーリャ地方のバヤドリードに住み、言語や文学を学ぶため、そこでプライベートスクールに通っている。
 この本は、その町を基点にして中世の王国であったカスティーリャ地方の修道院や遺跡、古都を訪ね歩いた記録だが、日時などは細かく記されていない。路線バスを乗り継ぎながら、何度も同じ場所に旅しているので、文が前後している場合もある。
 このエリアの殆どは、日本人など見たこともない人々が住む田舎のようだ。羊飼いの描写も多い。そしてその旅の繰り返しの中で、著者は次第にその風土や人々の暮らしに寄り添っていく。
 路線バスは、野にポツンとある乗客の家の前で停車する。降りる高校生に祖母は元気かと聞く運転手。著者に道を教えた後、心配して分かれ道まで付いてくる老人。クリスマス近いバル(食堂)で、突然歌い出す妻を失くした酔っ払いの夫と、それを囃す男たち。克明な描写はそのまま映像となって、読者の目にスペインが焼きつく。
 本の中程では、著者の憧れの詩人ヒメネスの生まれたモゲルが紹介され、彼の散文詩(吉田訳)も掲載されている。村の佇まいや乾いた気候が100年前とさほど変わらないことや、彼女の旅の日時が省かれているせいで、詩人の幼年期と今の村の有り様が渾然一体となって、時の重なりに漂っているような感じになる。この本の魅力の一つであろう。
 漂うといえば、ポルトガルの国境近くを旅していた著者は、日没時、濃い紅の雲とそれを映す湖面の照り返しで、バスの中にほの赤い光の粒子が浮遊する一瞬に遭遇するが、孤独な旅であるからこその「祝福」だったのかもしれない。
 ある村で、ロバに手をかまれてそのまま口を開けてくれるまで、一緒に歩くというユーモラスなシーンもある。著者はロバが大好きだ。

  • 231頁 四六判上製
  • 978-4-88344-190-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2010/10/01発行
小学生 世界一周 石風社 かやの 久米 たかゆき ひかる バックパック バックパッカー
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それゆけ小学生! ボクたちの世界一周
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それゆけ小学生! ボクたちの世界一周

世界はともだちでいっぱいだ!


小学5年の兄たかゆきと小学3年の弟ひかる。サッカーと空手、そしてマンガとゲームが大好きなごくふつうの兄弟が、パパとママをひきつれ、355日間の世界一周バックパック旅行に出発! 家族4人力をあわせ、中南米〜アフリカ〜中東〜東南アジアまで、文化も歴史もちがう24の国々をめぐった感動の旅行記!

  • A5判並製245頁カラー
  • 978-4-88344-162-4
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 2008/05/10発行
世間遺産放浪記 俗世間 藤田洋三 写真 建築 石風社 小屋 土壁 遺産 庶民
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世間遺産放浪記 俗世間篇
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世間遺産放浪記 俗世間篇

それは、暮らしと風土が生んだ庶民の遺産。建築家なしの名土木から、職人の手技が生んだ造作意匠、無意識過剰な迷建築まで、心に沁みる306遺産をオールカラーで紹介する第2弾。

  • A5判変型並製367頁
  • 978-4-88344-208-9
  • 定価:本体価格2700円+税
  • 2011/12/30発行
スコール デンマーク 辻信太郎 辻 石風社 旅行記 渡辺京二 熊本
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スコール! デンマーク
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スコール! デンマーク

初めての外国・デンマーク。そこでの人びとや街との出会いは、ヨーロッパ文明の核心に触れ、私の心のなかの大きな事件となった。スコールとはデンマーク語で「乾杯」の意味。

  • 四六判上製300頁
  • 978-4-88344-205-8
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2011/12/29発行
シルクロード 詩 紀行 秋吉 久紀夫 石風社 中国 中国現代 中国文学 砂漠
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シルクロード
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シルクロード

シルクロードへの旅──それは不毛の砂漠に生々しい人間の歴史と暮らしを想起する旅であった。古(いにしえ)の時代から近現代まで、あらゆる文学史料を渉猟しつつ記した、中国文学による灼熱のポエジー

  • 四六判上製296頁
  • 4-88344-113-X
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2004/08/30発行
世間遺産 藁塚 左官 鏝絵放浪記 藤田洋三 鏝 放浪 左官 壁 泥 石灰 こて 漆喰 建築 土 大分 安心院 別府 旅
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鏝絵放浪記
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鏝絵放浪記

鏝絵(こてえ)という職人技に魅せられた一人の写真家が、故郷大分を振り出しに日本全国を駆け巡り、中国・アフリカまで歩き続けた、25年の旅の記録。(鏝絵=左官職人が鏝を使い、漆喰をレリーフ状に盛り上げ、民家の戸袋や壁、土蔵を塗り出したもの)

書評

楽しく読めて、左官の歴史や文化がわかる本

辻孝二郎

 今や左官の語り部(「左官教室」編集長・小林さん談)である藤田洋三氏。物言わぬ世界、沈黙の左官を色彩豊かに語り出した唯一の人である。彼の語る世界は色濃く、深く厚い。彼の関心は鏝絵から始まったものの、「しゃかん」の職人さんを初め、関係の人々に触れ、その技術に触れ、その歴史に触れ、石灰に触れ、世界中の泥壁に広がっている。鏝絵は入口であったけれども、内容は左官のすべてに広がっている。
 物言わぬ左官の世界で、一番饒舌な鏝絵との出会いが藤田氏の出発点である。彼は色とカタチ・素材を執拗に追い求めるカメラマンである。幸いなことに、野に埋もれていた鏝絵は彼の目で掘り起こされた。彼も性格色濃く、饒舌、サービス精神に富んでいる。彼と鏝絵との出会いは、そういう面で必然性を帯びているように思う。
 最近は、顔も鏝絵になってきた。歩く姿も鏝絵っぽい。彼の出現の仕方は、フラッシュを浴びた鏝絵のようでもある。突然、野の闇から浮かび上がってくる。現在が生み出した鏝絵、藤田さんはそういう人なのかもしれない。
 鏝絵の何たるかを知らない時に、鏝絵の町大分県安心院(あじむ)町をご案内いただいたことがあった。保存会の人だったか地元の人に会い、藤田さんの話が広がった。話はなんとも時代離れして、五十年前、百年前のこと、何世代も前の施主や故人となった左官屋さんの話、九州全体のこと、全国のことなどが、とめどなく流れてくる。名前も知らずぼうぜんと聞き流していたことを覚えている。この本を読んであの一瞬の会話の意味が見えてきた。藤田さん自身が時空を超え、泥や石灰の世界、あるいは人々の営みをあのつぶらなとも言える鋭くも可愛い目で見続けていたのだということを。
 鏝絵が施主への感謝を込めた無償の行為であるとしたら、この本も今の時代や左官の人々への無償の行為である。「鏝絵としての出版行為」、この本はそんな意味を持っている。野の饒舌、野の美意識、野の豊かさを今一度味わうことができるのは至福と思う。
 彼と同じ時代の空気を共有できることを、心から感謝したい。

近代化の遺産のように

塩田芳久

 鏝絵(こてえ)。壁や戸袋など、漆喰を塗った上に鏝で風景や肖像などを描き出した絵のことだ。写真家としても知られる著者が、この伝統の職人芸に魅せられて地元大分から九州各県、日本全国、果ては中国、アフリカへと旅して回り、鏝絵を撮影し続けた「放浪」の記録が、豊富なエピソードと美しい写真とともにつづられている。
 前半は、軽いフットワークで駆け抜けた鏝絵紀行が楽しい。招福の思いを込めた大分県内の七福神、胸部が手あかで黒ずんだ佐賀市の裸婦像、高さ約二メートルもの新潟・佐渡の大ムカデ︱︱。職人達の技の妙を伝える鏝絵が、その土地の風土まで映していることに気が付く。また「謎」の鏝絵師を追ったり、中国まで「ルーツ」を訪ねたりするくだりは、スリリングな冒険譚の趣すらある。
 「鏝絵にひかれたのは二十五年ほど前。地方の時代といわれたころで、大分の文化の源流を追い掛けるのが目的。しかし全国を巡るうちに、鏝絵と、それが描かれた家屋を近代化遺産として接するようになりました」
 後半部になると、著者の興味は鏝絵にとどまらず、キャンバスになった漆喰から、その原料の石灰、そして壁そのものを作る泥とわらへと向けられる。食べられる石灰を求めて台湾へ渡り、泥でできたモスクがある聞けばアフリカへと向かう。
 「『お石灰探偵団』と称して、海からの視点、経済の視点など多角的にこれらの素材を調べました。だれもやったことのないことなので、本当に面白かった」
 そうしてあぶり出したのが、石灰が支えた日本の近代化であり、多様な衣食住の文化であり、農業をはじめ日本の産業の歩みだった。著者の好奇心は鏝絵を入り口に、人間の営み全体をつかみ取ろうとしているようだ。
 「かつて美しかったものが形を変え、いまだに美しいまま存在している好例が鏝絵です。今後も、人の手が生み出した美しいものたちを注目し続けたい」

  • 306頁 四六判並製
  • 4-88344-069-9
  • 定価:本体価格2200円+税
  • 2001/01発行
舌の旅_WEB
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小泉武夫のチュルチュルピュルピュル九州舌の旅
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小泉武夫のチュルチュルピュルピュル九州舌の旅

「旅に出たら、その土地の美味しいものを食べること。それが心への土産なのである」


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小泉武夫のチュルチュルピュルピュル九州舌の旅
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老舗から鄙の宿まで 九州・釜山の各地の味を フルカラーで紹介 「吾輩は、自分の舌や感性を研ぎ澄ませて旅をし、徘徊し、美味しい店、心癒される店、素晴らしい食品加工会社などをここに登場させたのである。したがって、本書に出てく …

  • B5変型並製205頁
  • ISBN978-4-88344-244-7
  • 定価:本体価格1500円+税
  • 2014/12/01発行
餃子ロード

北緯30度線から40度線の大陸を東西に旅すると、いつも餃子があった。三十年にわたりアジアを彷徨し続ける異能の画家が記す魂の餃子路。
五木寛之氏絶賛! 「舌触りや、熱さや、辛さがある。北方の土俗の靭(つよ)さがある」

書評

旅の名手が〝民衆の味〟探索

島田真祐
島田美術館館長

 甲斐さんは筋金入りの旅人である。筋金は異郷体験の豊富さや年季のせいだけではない。おそらくは氏の骨髄のどこかに潜む移動民の遺伝子のざわめきと、対象世界にかかわる関心の並外れた深度による。氏には、もともと異郷として感受していないふしさえある。
「気づくと、北緯三十度線と四十度線にはさまれる帯の中を東へ西へ歩いていた。三十四度線あたりには、カーブル、ペシャワール、西安、洛陽、北九州、奈良が、いま少し北寄りにはサマルカンド、カシュガル、玉門、北京、大連、山形が並ぶ。意図したわけではないのに、それ等の土地にいた(いた=・・)」と、氏は書く。その天性ともいえる漂泊癖と精神は、大連に生まれて幼少年期を送り、中国大陸の風土と民衆を独特の筆法で描きつづけた画家の父の存在、大学でながく安藤更生先生門下として東洋美術史を学んだことなどと、もちろん無縁ではない。が、以後の三十余年におよぶアフガニスタンとの自覚的なかかわりが、その骨格に分の厚い血肉を通わせたのにちがいない。その辺については、すでに中上健次氏や五木寛之氏らの絶賛を浴びた小説集やエッセー集がある。
 さて、『餃子ロード』。甲斐さんのアジアへの通い路のあちこちに湯気を立てている餃子がある。広い大陸の東西南北、もちろん形も味も鮮烈微妙に異なるが、肉や野菜の餡を小麦粉でのばした皮で包み、蒸すか焼くか揚げるかする基本は変わらない。この、極めて民衆的で魅力的な食物は、どこで始まり、どのように食され、どういう経路で広がってきたのか。その探索行は、著者自身「たかが小さな餃子ではあるが、そこにはアジア世界民族興亡の物語が包まれる」と語るように、壮大な叙事世界を広げていくことになる。
 何より文章がいい。優れた描写力は、現場の事物や雰囲気をほうふつさせるだけでなく、それらの背後にある無告の民族史をも浮かび上がらせる。旅の名手と表現の達者が幸運にも重なったものだ。

餃子は東西文化交渉の証し

甲斐大策(自著を語る)

「こんな世の中に風穴をあけてくれるのは、移動系の人々の生き方じゃないかな。良くできた社会というのは、移動系民族の心と農耕定住系民族の心が調和しているのだと思う」

 一九六〇年代の終りから西アジアの旅が始まった。とりわけアフガニスタンが基点となる旅を三十年近く重ねてきた。
 東京・町田の仕事場や故郷・福岡へ戻っては絵を描く。そのうち、砂漠の風邪やバザールの喧騒と匂いが物語へ膨らみ、文章を書きたくなる。言葉をつらねていくと光や人々の生活が甦り、ふたたび絵具を列べる。やがて、全身を支配するもどかしさに似た気持を絵筆やペンが、ほんの一部しか消化しないのを思い始め、そして再び旅に出る。
 大地で風に吹かれ陽溜りで遠くを眺めていたい、と念じて出かけた旅が、アフガニスタン内戦の最前線でロケット砲を肩にしていたり、東部高原で地雷掘りの手伝いをしたりということになる。
 それでも、沈殿物まみれの、ひたすら安定・定住を志向する社会から出て、不安定ではあっても天と地の間で、不可視の存在を信じて生きる移動系の血を引く人々の中に入ると、しみじみ心地よいと感じ、すべてがさわやかだった。安らぐのだった。気づくと北緯三十度線と四十度線の間を東西に漂っていた。
 そして、茶店や宴席で、いつも、餃子の一族の小さな食文化が姿を見せていることに気づいた。中国北部にルーツがあると信じて疑わなかった餃子について、カシュガルに住む一人のタジク人古老は、それは大昔からトルコ系騎馬民族の食です、といった。一度は餃子のルーツ探しを考えた。
 他方、七〇年代初めの中国東北地方、撫順の炭鉱に付属する老人ホームで、余生を送っていた八十数歳の老人が語ったことばが甦りもした。「毛沢東のいうことも革命も、文革も私にはわからない。しかし今では、一生食えないと思っていた水餃(子)が毎週食える……」
 また、九〇年に西安郊外で会った中年の工員のことばも胸の奥に残っていた。
「以前は、春節(正月)に一回食うだけだったが、最近は食べたい時に食べている……」
 一度は思ったルーツ探しだったが、極寒の旧満州北部から黄土地帯、トルコ系騎馬民族世界からアフガニスタン北部、その美味を心おきなく土地の人々と楽しむことに専念しよう、と決めた。皮をむいて列べ、具をくだいて虫眼鏡で詮索するような旅をしたくなかった。辛く苦しかった生涯の終りに水餃を口にする元坑夫の静かな表情の想い出を壊したくない、とも思った。
 世界地図上に赤色で示された〝飢餓地帯〟には、中国、アフガニスタンを含む、餃子一族の食を提供してくれた土地のすべてがある。そこでは、日本列島と異なり、餃子は今も輝く麺食である。そして、何よりも検証めく旅を躊躇させ放棄させたのは、餃子を愛する土地では誰もが、この上なく優しくまた厚い心で旅人を迎えてくれたということである。
 起源はともかくとして、餃子一族が東西文化交渉の証しの一つであり、移動系の人々に深くかかわっている、とわかっただけでも充分満足である。書くならば、餃子が見えかくれする人間交流を、と思った。

 冒頭で引用したのは、十年近く前、旅から戻った折お会いした五木寛之さんの言である。ホモ・ルーデンス、ホモ・モーベンスの語も交えての話だった。
「餃子は、移動・定住それぞれの人々の合作としては上等なものですね」
「餃子ロード」を脱稿した時、こんなことをいうと、深い意味の通じぬ奴、と五木先輩は苦笑するに違いない、と思った。

五感に伝わるリアルな大陸の情景

ラーメンともども中国からやってきて日本に帰化したギョーザ。ところでこの親しい食べ物のルーツは遥か西域にあるという。アフガニスタンでは刻んだ韮を包み茹で、羊肉のミートソースとヨーグルトをかけたオシャク、トルファンでは韮と羊肉入りのジュワワ、中国では焼かれると鍋貼になり、煮られると水餃になる餃。それは餃を軸に遥か大陸へと向う壮大な紀行文だ……というよりこの骨太で美しい言葉の連なりは詩に近い。口にした餃から、アフガニスタンのチャイハナの葡萄棚に坐る老主人が、凍てつく北京の街で凧を売る老爺が、カシュガルの夜市で京劇の一説を唄いあげる通訳の声が、残留孤児の辿った人生が、幼少時に過ごした旧満洲大連の街の情景が、ざわめきが、匂いが、闇と光が、土地に染みついた歴史が、時系列を飛び越しつぎつぎに立ち現れる。あまりにリアルに五感に訴えられるので手で触れたかと思うと、次の瞬間、幻想のようにかき消えてゆく。ホワイトノイズが充満していた身体に、大陸の乾いた風が穴をあけ吹き抜けていくような読後感が得られよう。

  • 四六判上製241頁
  • 4-88344-034-6
  • 定価:本体価格1800円+税
  • 1998/11/30発行
空想観光 カボチャドキヤ トーナス 川原田徹 カボチャラダムス 石風社 王国 かぼちゃ 絵本
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空想観光 カボチャドキヤ
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空想観光 カボチャドキヤ

「王国のありかはゴビの砂漠でもなければインドシナ半島でもない。(中略)今ここの門司の町がカボチャラダムス殿下が魔法をかけている間だけカボチャドキヤ王国なのである。」(種村季弘氏)世にも不思議なカボチャのユートピアがあった! ページをめくれば、〈ビヤダル横町〉から〈関門夢遊霊園〉まで、カボチャドキヤの隅から隅まで、まるで迷宮の中をさまよい歩くよう。カボチャドキヤこそ最後の幻郷、カボチャの黙示録を見よ

  • B5判並製76頁、カラー画29点
  • 4-88344-111-3
  • 定価:本体価格2000円+税
  • 2004/08/20発行
 (30件中) 11〜20件目