湾岸戦争のときと同じように、地上の目標物に命中する米軍ミサイルの映像が、テレビで放映されている。
テレビゲームのように、それを見ていても何の感情もおぼえないが、確実に人間が殺されている。そればかりか、空爆から逃れようと、何千何万にのぼる難民が国境に殺到している。
アフガニスタンで十七年間、医療活動をつづけてきた著者のこの克明な報告を読んだあとだけに、負傷、病気、飢餓など、家族を抱えた人々の恐怖と不安、これから厳冬を迎える中での生死を想像すると、胸ふたがる思いにさせられる。
昨年の夏からはじまったのが、中央アジアの大旱魃だった。著者の中村さんは、非政府組織(NGO)である、ペシャワール会医療サービス(PMS)の医者として、パキスタン北部とアフガニスタンの山岳地帯で、医療体制の確立とハンセン病根絶の運動をつづけていた。
ところが、旱魃による砂漠化は、ききんによる栄養失調、赤痢や疫痢の発生ばかりか、挙家離村の膨大な難民を生み出した。そこでは治療よりも、生命の泉としての井戸掘りが必至の課題になった。
それは荒廃地を沃野にもどし、生命を支える大事業だった。が、旱魃の被害にはまったく無関心で、援助の手を差し伸べることなどなかった大国が、今度は空爆によって大量の死者と難民を生み出している。
この本は、自衛隊の参戦決定前に書かれたものだが、「平和憲法は世界の範たる理想である。それをあえて壊つはタリバンに百倍する蛮行にほかならない」とある。日本はアフガニスタンの人たちにとって、戦争をしない国として尊敬されていた、という、その「名誉ある地位」が、泥沼に落ちかかっている。
ひとりでも多くの生命を救おうとして体を張ってきた医者と、ひとりでも多くを殺そうとする軍人や政治指導者とは、絶対相いれない存在である。この時期、きわめて明快になった真理である。
「京都新聞」2001年11月4日