外国航路石炭夫日記
世界恐慌下を最底辺で生きる

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葉山嘉樹「これはきみの傑作だ。たいせつにとっておきたまい」。

1928年(昭和3)から4年にわたり、インド/欧州航路の石炭夫として大恐慌下を生き抜いたひとりの労働者が、華氏140度の船底で最底辺の世界を克明に記した記録。葉山嘉樹が「これはきみの傑作だ。大切にとっておきたまい」と評した、プロレタリア文学、もうひとつの金字塔。

目次

第1章 出航(1928年11月-12月)
第2章 離散(1929年1月-6月)
第3章 暗雲(1929年7月-12月)
第4章 転船(1930年1月-4月)
第5章 血潮(1930年4月-6月)
第6章 搾取(1930年7月-9月)
第7章 激浪(1930年10月-12月)
第8章 抵抗(1931年1月-2月)
第9章 航跡(1931年3月-6月)
 旧版あとがき、解説、船舶・海員用語、著者年譜

著者略歴
広野八郎
[ひろの・はちろう]

1907年(明40)長崎県東彼杵郡萱瀬村(現在長崎県大村市)生まれ。高等小学校を出て農業を手伝い、木炭を運ぶ馬方を始める。
1926年(大正15)原因不明の熱病にかかり馬方をやめ長崎電鉄の車掌となり、組合活動に加わる。翌年退職。1928年日本海員掖済会大阪海員養成所に入る。10月に卒業し、日本郵船インド(カルカッタ)航路貨物船の秋田丸に火夫見習いとして乗船。11月より海上労働日記をつけ始める。1929年石炭夫に昇格。12月、東京高円寺に葉山嘉樹を訪ねる。1930年3月、「文芸戦線」に田中逸雄の筆名で詩やレポートを寄稿する。……その後、土木・建設作業員、炭坑夫などの労働を46年間続けた。その間プロレタリア文学運動に参加。小説、詩、記録などを数多く発表した。
著書に『葉山嘉樹・私史』(たいまつ社)、『地むしの唄』(青磁社)、『華氏一四〇度の船底から 外国航路の下級船員日記』上下巻(太平出版社)、『昭和三方人生』(弦書房)を刊行。1996年11月、福岡市で死去。享年89歳。

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