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デフォルメ鏡
認知症者のもう一つの生き方
認知症者の中に自分を発見する――私は一介の臨床家として認知症者や共に生きる人々の触媒のような存在でありたい
認知症に対しては、科学的・医学的に究明する立場と、人間主義やノーマライゼイションの立場が主流であり、そこには、なお、認知症者と非認知症者という対立的関係が潜在している。著者は、認知症者と非認知症者の間の差異ではなく、その共通性の認識から認知症者を理解することによって、対立関係を最小化する第3の視点を模索してきた。このような視点から認知症者の言動に接すると、人間の埋もれている、生きる原理さえ垣間見えるようでもある。この視点には、認知症を患いながらも生きる人である〝認知症者〟を通して、人間のもうひとつの姿が映し出されている。
プロローグ
認知症のもう一つの理解
生き方としての認知症/認知症を生きるとは/認知症の人の分かり方/認知症の人のなじみ
症状を活かす
仮性対話/鏡現象
症状の意味
もの盗られ妄想/帰宅言動/代表的な事例――〝誤認〟により安心と拠り処を得る/なじみの関係/代表的な事例――〝なじみ感〟で安心と居場所を得る
認知症者による集団力動
認知症の病型を活かす *4つの病型からのヒント
アルツハイマー型認知症の場合/レビー小体型認知症の場合/前頭側頭型認知症の場合/血管性認知症の場合
認知症者から学ぶもの
集まる力(動物性)/選ぶ力(生物性)/変化する力(生存性)
認知症者による表現
認知症者の道理/認知症者の哀れ/時間と自己の存在感/意識しない生き方/認知症による実存の表現
認知症の治療イメージ
流水と平衡関係/治療における現実の意義――カオスと均衡/認知症と医療
私の認知症高齢者への態度
科学的視点/人間的視点/対立関係を最小化する第3の視点
インタビュー ありのままに生きる認知症者
追録 災害と認知症者
エピローグ
謝辞
一九四七年熊本市生まれ。一九七三年、熊本大学医学部卒業後、同神経精神科の立津清順教授 の下で精神医学を、一九七六年から京都大学医学部老年科の亀山正邦教授の下で老年医学と神経 内科学を、一九八二年から米国アインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院神経病理部門の 平野朝雄教授の下で神経病理学をそれぞれ学ぶ。主な臨床の場として、一九七八年から国立熊本 病院、一九八六年から国立肥前療養所、一九九四年から国立療養所菊池病院(二〇〇四年、独立 行政法人国立病院機構菊池病院に移行)に勤務(二〇〇三年から十一年間、同病院院長、二〇一 五年から同名誉院長)。二〇一五年から杏和会城南病院にて新室伏理論の再現に取り組む。 医学博士、精神保健指定医、日本老年精神医学会専門医・指導医、日本認知症学会評議員/専 門医・指導医、日本精神神経学会専門医・指導医