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原三信と日本最古の翻訳解剖書
杉田玄白の『解体新書』に先立つこと87年
――日本最古の翻訳解剖書があった
1686年、筑前藩医・六代原三信が長崎・出島にて蘭方外科医の免状を受けた。その翌年、ヨハン・レメリン著『小宇宙鑑』の翻訳解剖書(本木庄太夫訳)の筆写を終える。1774年刊行の『解体新書』に先立つこと87年。日本最古の翻訳解剖書写本である。
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黒田長政が福岡城主となったあと、原三信は藩医として仕え、外科医として医療活動に従事しました。六代三信がオランダ外科術を学び、日本最初の解剖書訳本の写本を残しておりますが、これを一切外に出さず一子相伝として子孫に伝えました。
なぜ、一子相伝としたのでしょうか。私は、こう考えています。
六代三信が長崎でオランダ医学を学んだころは、キリスト教禁制の厳しい時代でした。ところが、当時の解剖書は、聖書の文言が数多く入っていて、当然、幕府の禁制にふれるものでした。また、幕閣や大名など特別な人びとはともかく、一般には洋書を持つこと自体が禁じられていました。かろうじて漢訳のフィルターをかける形で洋書輸入が認められるのは、六代三信の長崎修業から三十年以上あとの一七二〇年です。(「本文」より)
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はじめに
第一章――解剖書
出島 長崎警備 六代三信と貝原益軒 パレの外科術式図譜絵巻
商館医オベー 外科免状 密貿易事件 豪商の罪
レメリンの解剖書 ヴェサリウスの解剖書
第二章――持二十九石六人扶
島原の乱 分限帳 十二代の「医師会名簿」
筑前初の解剖 立願文 筑前勤王党
第三章――私立原病院
外科医開業 佐賀の乱そして西南戦争 十三代襲名
軍医の結婚 日清戦争 大浜に開院
第四章――義兄弟
書生志免太郎 ホタル博士 實、ドイツへ
福岡大空襲 十四代の遺稿 本居宣長絵巻
古希の祝宴
第五章――医のこころ
過去帳 メイヨークリニック 十五代の決断
歴史案内の電柱パネル 医業四百年と一子相伝の解剖書
あとがき
原三信年譜
参考文献
1932年福岡市に生まれる。 福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。 九大精神神経科入局、医学博士号修得(九州大学医学研究院 生理学)。 1967年原土井病院を開設、同病院理事長。 1976年原看護専門学校を設立。 日本慢性期医療協会、全国公私病院連盟などの理事。多々良福祉会、能古博物館の理事長を務める。著書に『新老人のすすめ』、『博多に生きた藩医 原三 信の四百年』『養生学』他。