シェフ・亭主
お品書き・あん肝のカラシ菜添え、タコとトマトの辛サラダ、手羽元と根菜しいたけの煮物、イカの丸ごと塩からカラシ菜添え、水餃子、黒糖焼酎
『佐藤慶太郎伝』の増刷が決まって、嬉しい夜を迎えた。初刷りのころに樋口伸子さんが「西日本新聞」に書いてくださった書評などを入力していると、古書店の兄貴が登場(いまだに「某明林堂の藤村氏」と言ってしまってすまぬ。うちにもフジムラがいるし、兄貴は手広く仕事やっているからね、これがわかりやすいんだよ)。
続いて、わたしはお初のお櫛田さんの近くでうどん居酒屋「あかちょこべ」の仕切人・井上氏登場。おおう、これまでお噂はかねがねだったのだがすれ違いが続き、ようやくお会いできた。
しょっぱなから山笠と博多のディープな話題に盛り上がる。福神流れの明治38年の雷事件についても、「あ、それ『明治博多往来図会』(小社刊)に載ってる!」と明治の話が現在にまで続いてきている。さすがは山笠、いろんな伝統、時代の変遷、そしてこれからどう変わって行くか、興味深い。福岡人はあまり山笠に興味を持たない人が多いんだけど、博多んもんは、どうしても好きですたい。さて、福神流れはどうなっていくのでしょう。
玄風館の「ドブ」や、大津町商店街、千代の長屋集落などなど、博多んもん同志(しかも怪しげで楽しげで美味し気な話が好きな二人)で話はつきないところに、カオリちゃん登場、某西日本新聞のびじんM嬢登場。やや、ひさしぶりにわたちゃんも登場。春になって少し元気になったみたい、嬉しい。
つづく話題も歴史もの。享保の大飢饉のときの飢人地蔵さんの話や、亭主の元マンションに「出る」のは「誰だ」とか、カオリちゃんは「足がない」人やそういうのを「見る目」を持っているという。持ちたくないけど、わたしも一度「女の子」を見たことあるし……、と、ちょっと怖い話になっていっていたら、突然明林堂の藤村氏がM嬢に、
「それで、いまおいくつですか?」
おいおい兄貴よ(笑)。一瞬、天使がお通りになったじゃないか。
しかし優しい兄貴は、ビール党のわたしのために、そして焼酎呑みのみなのために、ビールと氷を買いに行ってくれたのだった。照れていたのかなあ。ありがとう。
ひじょうに良い具合に盛り上がっていたのだけど、わたしは、春はなんとなく苦手なので、本日は酔い沈んでしまう前に後ろ髪をひかれながら退亭。バスに乗った。博多のバスのどこがいいって、夏は山笠の長法被の男衆が乗ってくるし、冬は鬢付け脂の香りをふりまくお相撲さんたちが乗ってくることだ。へへん、福岡部じゃあ、滅多にないだろう(福岡人はこだわっていないが、博多んもんは結構こだわっていたりする「福岡と博多」)。
というわけで、無事に普通の人々が乗っているバスに乗り(カオリちゃんが見えるモノは乗っていなかったと信じたい)、自宅近くまでゆき、あとはタクシー代600円なり。
それにしても、参加人数6、7人のなかで親が「P」だったのが3人もいるって、そういう時代だったというか、ちょっと唖然としておかしかった。