シェフ・亭主
お品書き・豚骨と根菜の煮込み、甘エビ、フランスパン、水餃子、もやしの特別ラー油あえ、焼きちゃんぽん、たかなチャーハン、ニラの卵とじ
『佐藤慶太郎伝』の増刷が決まり、挟み込みの小冊子「石風」の件で著者の斎藤泰嘉センセイと連絡がとりたかったのだけどなかなかとれず。亭主から携帯の番号を教えてもらってようやく連絡がとれた。筑波大学の先生。研究室がめちゃくちゃになってしまってメールも電話もファクスも使えないのだと。お元気そうな声にほっとしていたら、
「ふるほんや」の兄貴登場。××のフジムラ氏ということで、うちのフジムラと呼び間違えないように候補作を出していて、本人は「フリーター」でいいよ、とか言っていたんだけど、一応主業である「古書店」をそれじゃいいにくいので「ふるほんや」ということに決定。びじん文子姉登場。地震時は台北にいたという。
今日はビール系統がないので、わたしは芋のお湯割り。亭主はロック。先週は美味しい日本酒が持ち込まれたり赤ワインがやってきてビールもあったので酩酊してしまったのが、今日は大丈夫そう。
カオリちゃんがやってきたので先週の詫びを入れる。いやいやほんまにスマヌことをしてしまったことよ。きちんと叱られてシュンとする。わたちゃんも登場。
話題は、やはり地震。そして、それだけではなく原発にも。このまま地震が西にやってきて、また福岡が揺れることになったら……。このまえの福岡の大地震のときは、二度にわたって小社の本棚(返品などの倉庫のようなもの)が大崩れを起こし、足の踏み場はなく、亭主は自分の机に近づけず、それはそれは大変だったらしいのだ。鉛筆ビルなんで揺れがひどかったらしい。その後大工の源ちゃんがしっかりと本棚の固定をやってくれたので、とりあえず大丈夫になった。でもマグニチュード9となかったら、たぶんこのビル、壊れるな。その福岡の大地震のとき、わたしは入院中で、震源地に近い病院だったんで病室の壁にも亀裂が入り、非難させられた。しかしその壁の亀裂、看護師さんたちがガムテープでとめていたんで「おいおい」なんて思っていたりしたのだった。
やってきたノチさんやイノウエさんが、かなり情報通。たとえ福島であったとしてもチェルノブイリ並のことが起これば、日本のどこにいても無事ではない、などと。イノウエ氏はとても詳しい。なんと昔K電の広報室の仕事もしていたらしい。玄海原発も古いやつはそうとう危ないと。
やっぱり沖縄かなあ。あったかいし、原発ないし、と思ったりして。
わたしらはテレビ・ラジオによってしか現地情報を得られないので、いつもは音楽をつけている石風亭だけれども、今日はニュースにしたまま、「マスコミ、言論統制しすぎていてちっとも信用でいないよね」みたいな会話。だよね、ほら「生きてるうちが花なのよ」っていう映画があってさあ、というと、ふるほんやとイノウエ氏が観ていたらしく、「良い映画だよな」と原発ジプシーへの思いがゆく。
だからさー、生きているうちに美味しい酒飲んで美味しいもの食べて(亭主はどんどん旨いものをテーブルに持ってきてくれている)、などと言っていたら、「まいふな」なる一升瓶が出てきた。なんと60度! そうかそうか60度の酒が呑めるのも、ここでみんながおしゃべりしながら集えるのも、まだここに地震が来てないからで、明日はもうわからないんだよな、ということで、「まいふな」を呑んだ。旨い。とりあえず、石風亭のみんなはいま生きている。亭主は「まいふな」で火吹き。おー、久しぶり。パチパチ。
エザキくんにつづいてびぢんが二人登場。ビールも来た! しかし先週の反省となんやかやがあるので、わたしは23時過ぎに退亭。バスに間に合った。タクシー代650円なり。(先週は酔いにまかせタクシーの運ちゃんを説き伏せ3500円くらいのところを3100円に値切って帰宅。これは、別に反省はしていない。)