職業としての「国語」教育
方法的視点から

著者:
工藤信彦
判型・頁 四六判上製267頁
ISBN 978-4-88344-290-4
定価 1980円(本体1800円)
発行日 2019/09/30

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こんなに濃密で知的刺激に充ちた「国語の授業」があったのだ
 
国語の力とは書く力のことである。
日本語という文字を言葉として記すことのできる力である。

毛利一枝 装幀

「学校国語」について ――序にかえて

「国語教育」――「学校」が「教えるプロと教わるプロが、同時間・同空間で言葉によってパフォーマンスし合う生活空間」である以上、共に読むという共同作業が前提であると共に、試験という学力評価を必要とする制度である。テストを抜きにしては学校国語は存在しない。個性育成、主体性重視を、生徒にのみ求める概念論は論外と考えている。教材としての一つの文章を、一人の教師と不特定多数の生徒たちとが、共有する論理で〈文章〉を読み解く方法の会得。その理解の検証がテストの結果となる。思ったり考えたりすることが重要なのではなく、それらを言葉にして書くことで初めて〈国語力〉となる。書くことによって初めて国語が人間力となる。同音異義を挙げるまでもなく、日本語は文字言語である。読み手に応じて相応の分量で記される時、国語は国語になる。「学校」が出来ることを念頭にしての〈国語力〉の育成――。振り返って整理するとこんな風に。教えることで私もまた育てられた。

中山智香子(東京外国語大学・教授)

 国語の科学的ハウ・トゥとは、あらゆるジャンルの文章のパーツを整理、分類しつつ読み、一冊の本の章や節を構造的に読むことによって、世界を言葉で理解することとなる。ここに、国語が一教科であること、つまり学校という制度空間で教師と生徒によって行われる共同パフォーマンスであるという視点が接合される。したがって、各々が理解したことを書いて表現することが必須となるのである。試験をこのように位置づける視点はユニークであり、またこの学校論は、学校制度に向けた根本的な問題提起と読むことができる。(全文はこちら)

松田晃(NTTデータ・システム運用)

読みとは作業であり、作業とは〈方法〉として可約なものである――授業の衝撃を経て、十五歳の日々にかく「読み」に自覚的たり得たことはいま、社会人としての私自身の方法論の基礎となっている。

 

目次

 解説 「国語教育」の方法と原理を問う

 「学校国語」について ――序にかえて

第一章 高校「国語」教師の仕事

  方法としての「国語」
  私言 ――学校のできること
  「国語」の領分 ――〈方法としての国語教育〉観
  職業としての「国語」教育 ――教師論の視点から
  国語の力について ――感覚は教えられる
  言葉で読む人
  短歌教育の功罪 ――高校国語教師のノートから

第二章 「国語」の授業から

  『伊勢物語』を読むためのノート ――「古典」入門
  古代和歌を読む
  『徒然草』第四十五段
  『徒然草』第百四十一段
  『伊勢物語』第二十四段
  『源氏物語』冒頭文を読むために
  志賀直哉『暗夜行路』序詞を読む
  中原中也「北の海」を授業で読む
  芥川龍之介『羅生門』の読み方

第三章 文化としての「国語」

  「作文」の思想 ――その現代的意義
  言語のマトリックス ――新・文法 入門学
  「国語力」回想
  工藤信彦のCHALK TALK 「『わたし』ってだあれ?」
  日常性の解読 ――「FORUM–7」シンポジウム(二〇〇二年度版)

痕跡 点・点

  私の17才 ――遅れてきた少年
  郷愁と格闘 アルザス日本校 ――創立の一年体験、若い国際人に期待

あとがき ――さらば「国語」
インサイド・アウト

謝辞
初出一覧

著者略歴
工藤信彦
[くどう・のぶひこ]

 1930年、樺太大泊町生まれ。
 北海道大学文学部国文科卒。北海道立札幌南高等学校、藤女子高等学校、成城学園高等学校、アルザス成城学園で教鞭を執り、成城学園教育研究所長で定年退職。社団法人全国樺太連盟理事を経て、現在に至る。
 著書『日本文学研究資料叢書・高村光太郎・宮沢賢治』(有精堂)、『明解日本文学史』(三省堂)、『書く力をつけよう』(岩波ジュニア新書)、『現代文研究法』(共著、有精堂)、『講座日本現代詩史』(共著、右文書院)、『現代詩の教え方』(共著、右文書院)、『現代詩の解釈と鑑賞事典』(共著、旺文社)、『わが内なる樺太 外地であり内地であった「植民地」をめぐって』(石風社)その他多数。

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