石風社、初めてのクラウドファンディング 応援する

認知症者に学んだ、人の不思議 ――私と認知症者との巡り合い

高松淳一
2025/01/21

プロローグ

 高齢社会となった国々では、認知症が最大の医療課題となっており、2025年にはわが国の認知症者並びに軽度認知障害者は1千万人以上になると指摘されている。

 代表的なアルツハイマー病は、A.アルツハイマー博士が1906年に発表して100年を超え、同病に対する研究と治療薬の開発が行われてきた。1999年11月には、認知機能に作用する神経科学物質の低下を防止する抗コリンエステラー剤が日本で発売され、現在、広く使用されている。しかし、同薬はアルツハイマー病の原因を取り除くものではなく、数年間、認知機能低下を抑制するが病理の進行を防止する効果はなかった。そして、2023年12月、アルツハイマー病の原因として有力なアミロイド仮説に基づいた、画期的な「アルツハイマー病抗体治療薬」が発売され、関連学会や講演会のみならず市場でのトピックになっている。しかし、新薬の対象はアルツハイマー病の早期ないし軽度認知障害(MCI)とされ、現時点では進行した認知症に対する有効性は確認されておらず、認知症研究のフロントランナーの言葉“too late:(遅過ぎる)”では済まない、進行したアルツハイマー型認知症者やアルツハイマー型認知症以外の認知症者は取り残されることになる。

 2024年1月に施行された「共生社会の実現を推進する認知症基本法」には認知症者の個性と能力の尊重が挙げられており、社会の中で、認知症者が認知症というスティグマから解放され、認知症であることが「もう一つの生き方」として受け入れられることを望んでいる。

 私は20年以上認知症医療に携わって、認知症者から自分なりに学んだ「人の不思議」を伝えるために語り部としてエッセイに書き留めておくことにした。語り部という言葉にはどこか弱者や被害者や少数派の側に立って時代の不条理を語る者といったイメージも私にはある。私が語り部として認知症者について語ろうと思ったのは、20年以上前、認知症の治療にはEBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づく医療)と共にNBM(Narrative Based Medicine:物語による医療)が注目されており、私が認知症から認知症者に視点を移した頃にあたる。中南米の文学に興味を持ちペルーのノーベル賞受賞作家であるバルガス・リョサの著「密林の語り部」を知ったことにもよる。その中の語り部青年はペルーの最高学府に学びながら、未開の民族が住む密林の生活に身を投じることになる。彼らの生き方に現代社会が失くした人間本来の姿を見出し、密林の生活に転生する物語である。その青年の顔には顔半分に紅い痣があり、周囲の人々は彼をマスカリータ(仮面)と呼んでいた。その痣は、私が医学部の授業で学んだスタージ・ウェーバー病(現在、症候群)のそれかと思っている。

認知症者との出会い

 私の認知症者との意識的な出会いは、熊本大学医学部神経精神科に入局した1973年。当時入院者にアルツハイマー病の患者は少なく、辻褄の合わない話をして病棟内を徘徊する老人性痴呆者(当時アルツハイマー病とは区別されていた)が、医師として初めて痴呆(現在、認知症)と診断された人を見た時である。それから52年間曲がりなりにも医師を続けてきた。私が認知症という疾病よりも認知症の人々に関心が移ったのは、1994年に国立療養所菊池病院(2001年4月から独立行政法人国立病院機構・菊池病院:以下、菊池病院)に赴任して2014年までの20年間勤務したことが大きい。菊池病院では、1977年に着任した室伏君士初代院長(後に名誉院長)が痴呆性老人に対するメンタルケアにおける「なじみの関係」の重要性を提唱して、日本における痴呆診療のリーダーシップ的存在となっていた。室伏医師は、老年期痴呆に関する厚生労働省班研究や書物の出版を行い全国から研修生が訪れていた。今日でも、「なじみの関係」という言葉は認知症の治療論におけるキーワードとして使われている。

 私自身が認知症医療におけるメンタルケアの有用性と重要性を自分なりに理解するようになったのは、菊池病院に在籍して既に10年程経っていた。視点を認知症自体から認知症者にシフトすることは疾病の医学的解明という医学の正道からの逸脱であったが、以来20年間臨床の場で実践してきた。

 私見について考える契機となったのは、2015年10月九州医事新報社の編集責任者・川本由紀夫さんから「認知症、もう一つの生き方」というタイトルでインタビューを受けた時に遡る。

記事の内容は次のようなものであった。

川本 : 認知症という言葉に漠然とした不安を感じます。

髙松 : もの忘れをして自分がわからない人は、はじめは「不安で怖いだろう」と思いますが、認知症が進んでいくと「間違って分かる」ようになります。自分が分からなくなったお年寄りがタイムスリップして「私は40だ」と自分を「分かる」のです。そして間違って分かれば、分からないという不安が消えます。認知症の方はそうして自分なりの生き方をされているように見えます。私は、それを「もう一つの生き方」とみなしています。しかも、その方にはかつて40歳だった時もありましたから、今だけを見て間違いだとは言えません。その方が「自分は40」と言えば、私は「そうですね」と応じます。

*(川本)自分はだれなのか。名前を忘れてもいいではないかと髙松院長は言う。「周囲の人が知っていればすむことをなぜ当人にも求めて苦しめるのでしょう」。さらに、「自分の名前を答えられない女性に色白ですねと言ったら、私をずっと覚えているんです。彼女にとってはそちらが大事なんです」とも言われた。そして「認知症になれば現実が分からないから楽だろうという人がいます。それは半分正しく、でも半分は間違いです。現実が分からないという言い方よりも、本人の分かり方になったと言うべきかもしれません」と話された。

川本 : この話は私のこころに残りそうです。

髙松 : 一般的には忘れたり分からなくなったりすることは全否定されますね。でも、当事者はけっこう健気で、周囲からどう見られようとなんとか必死に生きておられる。その姿を診療場面では感じます。それは、社会や家庭では否定されますから、なかなか出せない姿かもしれません。

 認知症者は力が足りなくて一人では生きていけませんが、認知症者同士の集団では心地良さも感じられるようです。しかし、現実には、住みなれた居場所でしっかり生きていかなければならないので、私から見れば、認知症者の間違いも少しは大目に見てほしいと思います。

川本 : 認知症者の前では私のほうが揺らぎそうです。

髙松 : 違和感はあるでしょうね。でも、患者さん同士はそうではないようです。人は自分に似たものに対して親和性を感じますからね。一般の人も出身地や学校、職業や持病が同じというだけでつながるようなものです。認知症者との出会いでは、初対面でも、何回会っていても、先ず、言葉や挨拶によりコミュニケーションのスイッチを入れ、本人の気持ちや認識に同調(チューニング)しています。ほとんど無意識的な認知症の方とのコミュニケーションの手段として、認知症の症候として知られている仮性対話も用いながら、言葉の断片から心理を窺っていきます。対話の中で繰り返される言葉や感情反応が診療開始のための本人との“パスワード”にもなってきます。

川本 : 入院された方の気持ちは如何でしょうか

高松 : 社会的にも精神科というのはいろんなことが複雑にからみ合って否定的に見られがちですから、ご家族や関係する方々から入院に対しては批判や非難もあります。しかし、認知症の方は入院しているとの認識がなくても、居心地の良いところが自分の居場所となり、病院にいるのに病院じゃなく、「ここは良いかところ」にもなります。心のアットホームというのは決められた場所だけではなく、人との関係が大事なのでしょう。人とつながって勝手な話をしながら過ごしたいようです。

川本 : 今の仕事で得るものは多いのではないですか。

髙松:診察の時は、認知症の方とほとんど境がなくなりました。家族でもないのになにか一体化して、すごく身近に感じるんです。先ほど「間違って分かる」と言いましたが、家族すら分からなくなった人でも、知らない人に会って気に入ったり、相性が良いと思うと、疑似家族にしてくれるんですよ。だから「どこかでお会いしましたか」と声をかけると、「そうですね」と返してくれて、そこでつながるんです。「初めまして」ではいつまでも距離が縮まりません。

 人はなじみの中で生きていて、認知症になってもそれがなければ不安ですから、よく周囲の人を知り合い=なじみの人にされます。特に、入院されている方は相手を幼なじみやいとこだと誤認されるんです。でも本人にとっては誤認じゃないのです。私に初めて会ったのに「高校の先輩」と呼ばれることもありますが、その時は私よりも若いと思っておられます。そうやって面目を保っておられるのでしょうからご本人の気持ちとして受け止めています。

 受診される時も、「病気だから病院に行きましょう」という言葉は通じません。それで、自覚できる症状があったり、家族の受診に同伴したりして病院に来られることになります。そして診察を受けながら私と話をして、終わりには「今日は、来て良かった」と言って帰られ、診察を意識したり、疑われることはほとんどありません。 

川本 : 認知症と死について話してください。

高松 : 認知症になると自分の体験が浄化され、生と死のグレーゾーンみたいなところに行って、80歳なのにお母さんと一緒にいたりする。死のほうがこっちに寄って来る。そうすると安心なんでしょうね。お父さんは亡くなったままが多いですけど、「お母さんは仕事に行っています」などと言われます。一般的にがんや余命の告知を受けた場合、現実の中でいろいろな苦悩があると思います。認知症の方ががんになった場合、その分かり方は知的ではありませんが実存的にがんを生きていかれるように見えます。認知症者では痛みも鈍くなるとも報告されています。認知症者の場合、死というよりフェードアウトの仕方とも見なせます。

 認知症になって自分が分からなくなると過去に戻り、フィナーレになると黒澤明監督の映画「夢」のようにオムニバスでいろんなものが出てくるようです。「認知症は怖い」と言われる方が多くおられます。それも一般的な心理ですが認知症になっていないのになぜ怖いと判かるのでしょうか。「死ぬのが怖い」とも言いますが、死んで帰ってきた人は一人もいません。どちらも、だれからかそう思い込まされているのではないでしょうか。

(続く)

拡散して応援
  • URLをコピーしました!
石風社より発行の関連書籍
関連ジャンルの書籍