書評

医は国境を越えて

医は国境を越えて 中村哲 国際化 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン らい ハンセン NGO 中村 哲
355頁四六判上製
4-88344-049-4
定価:本体価格2000円+税
1999/12発行
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医は国境を越えて
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アジア太平洋賞〈特別賞〉受賞


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医は国境を越えて
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貧困・戦争・民族の対立・近代化──世界のあらゆる矛盾が噴き出す文明の十字路で、ハンセン病の治療と、峻険な山岳地帯の無医村診療を15年にわたって続ける一人の日本人医師の苦闘の記録。

書評

国際化とは、日本とは、人間とは。

 一九九三年、アフガニスタンの山岳地帯、ダラエ・ヌール渓谷一帯で悪性マラリアが大流行した。駆けつけた日本人チームは村民から大歓迎された。
 キニーネを点滴すると劇的に回復する。一人分二二〇円。資金が底をついた。これを報じた日本の新聞の「人の命が二二〇円」の見出しが波紋を広げ、五年分のマラリア・流行病予算ができたと中村哲さんは喜んだ。パキスタン北西部ペシャワルを拠点に医療活動を続ける人だ。
 渓谷に朝の薄明かりがさしはじめるころ、祈りの朗唱が響き、一日がはじまる。村によっては小学校もあるが、大半の村には一種の寺子屋があって、コーランを通じて読み書きを覚える。親が農業や牧畜で忙しいとき、子どもは放牧や水くみを手伝い、学校には行かない。
 ある団体が日本と協力して「恵まれない子どもたちのため」村に学校を建設する案を携えて相談にきた。中村さんは答えた。子どもたちは「哀れだ」とは思っていない。ヒツジを追い、たきぎを背負う労働も、家族のきずなを強め、共同体の中で必要な協力や生活の技術を学ぶ教育ではないだろうか。
 もちろん、暮らしをよくするための技術や、広く日本や世界を知る知恵を受けることは大切だろう。しかし、あの子どもたちを哀れと見る彼らは、学校にはない、日々の生活を通して自然に教えられる「教育」に気づいているとは言えないと思う。「私はこのての『国際協力』にある種の不信感を抱いている」と中村さんは『医は国境を越えて』に書いている。
 八四年にペシャワルの病院に赴任してから十六年、中村さんはパキスタンの辺境から日本を見続けてきた。国際化とは、日本とは、人間とは。その一言一言が重い。きょう、『医は国境を越えて』の中村さんに第十二回「アジア・太平洋賞」特別賞が贈られる。

目次紹介- 抜粋 -

序章 民族と国境を越え
1 らいの専門医に
2 アフガン難民
3 悪性マラリアとの闘い
4 アフガンの奥地へ
5 らい診療の危機
6 衝  突
7 激  動
8 統合病院建設
9 十五年の総決算
終章 再び辺境にて

中村哲

なかむら・てつ

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中村哲
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なかむら・てつ

ペシャワール会現地代表、PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。
1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒業。
国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来ハンセン病コントロール計画を柱にした、アフガン難民の診療に携わる。1986年からはアフガン難民のための事業を開始、現在アフガン北東山岳部に診療所を設立、診療にあたっている。98年には基地病院PMS(70床)をペシャワールに建設。また病院・診療所で患者を待つだけでなく、パキスタン北部山岳地帯の診療所を拠点に巡回診療も行っている。
2001年以降は、アフガニスタンを襲った大旱魃対策のための水源確保事業(井戸掘り・カレーズの復旧。作業地1500ヶ所以上)を実践。
2001年10月には「アフガンいのちの基金」を設立、空爆下国内避難民への食糧配給事業を実践。さらに2002年からアフガン東部山村での長期的復興計画「緑の大地計画」を継続、2003年春からはその一環として全長30キロに及ぶ灌漑用水路計画に着手。年間診療数約8万人(2007年度)。
■著書『ペシャワールにて』『医は国境を越えて』『辺境で診る辺境から見る』『医者井戸を掘る』『空爆と「復興」』『丸腰のボランティア』『医者、用水路を拓く』(以上石風社)、『ほんとうのアフガニスタン』(光文社)、『アフガニスタンの診療所から』(筑摩書房)、『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』(澤地久枝氏との共著・岩波書店)など。