モモとの散歩が2か月を超えた。これは私にとっては快挙だ。何しろこちらに来た昨年12月時点で雌のモモは2歳。純朴でやさしい顔だが厚い肉の塊を背負い、こげ茶色に黒の縞、毛は短く隙間がない。甲斐犬のようだ、と言われたりもする。初めてモモと顔を合わせた時はモモは太い鎖につながれていた。良く吠えるということだったがハッサンとの対面は穏やかだったので、すぐにいただくことに決めた。力が強すぎて丸太小屋の柱も駄目にされ木にしかつなげない。住まいは丈夫な硝子戸の玄関になった。それからの2か月、夫は徹底的に自分の言うことを聞くように訓練していた。するとモモはまるで夫の家来のように山中をついて回っていた。門に近づく人がいれば猛スピードで駆け下りて吠えるので、家の裏側にいる私は確認に行く。しかし最も期待されるのは猪や鹿、アナグマが侵入し畑等を荒らされないようにすることだ。半年後、24時間自由の身になった。
外の散歩をするようになったのは私の個人的な理由からだ。買い物などにもほとんど行かないので,犬との散歩が何よりの下界の空気を吸うチャンスでもあり極度の冷え性にとって足の裏を温めることは必須だ。一大決心をして出かけた。そして門を出たとたん現実に直面した。前後にジグザグに歩き、草の匂いをずっと嗅いでいたり、急に走り出したり。そうするとこちらは止められない。ハッサンといつも対面しては吠えあって両方とも出会うのを避けていた柴犬の姉妹と出会ったときはパニックになった。最後はリードを放してしまったが、モモは1メートル手前でストップし、事なきを得た。独り暮らしのお年寄りが幼いモモを飼っていた時は近所の人からはかわいがられていたそうなので人間大好きと聞いた。がその女性が亡くなり大きくなった今では散歩をさせるのも大変だったろう。いろいろと経験して私なりの対処法を考えた。リードを両手で持ち、常にモモを360度の視界内に置いておく。非常時はガードレール等の鉄柱に素早くつなぐこと。ストレスがたまるばかりなので周深zhou shen(中国の全能型、50年に独りと言われる癒し系国民的歌手)の歌を聴きながら散歩すること。気分が上向きになる。
ところがモモに対する世間の反応は厳しい。早朝散歩で出会う人は多くはないが、モモはうれしさのあまりすぐに寄っていこうとする。しかし半分以上があからさまにモモを避けている。登校中の小学生はもちろんだ。ハッサンと歩いたコースで、上の方から吠えてくる犬がいた。「大丈夫よ」と私が言うと、その飼い主が出てきて「何が大丈夫なもんですか、子供からも嫌われてるやろ、あんたも引っ張られとる、そのうちこかされてあぶないやないか」とけんか腰。年寄りの女は大型犬と散歩すべきではないという趣旨だった。(あなたのことは)「わかりました」と立ち去ってきたのだが、悔しくてモモのために取って返し、こちらの事情を話し始めたが聞く気はないようだった。同じような色と模様の犬を飼っていたと言って撫でてくれる奇特なおばあさんがいてとてもうれしかった。毎朝モモの散歩が終わると半日分の仕事をしたような気がする。
モモのしつけと1ヘクタールの農場の柵の修理を頑張ってきた夫の体調は今でもパッとしない。草と雑木は茂り放題、栗拾いに秋冬野菜の種まきはどうなることかと内心穏やかではなかったのだが、9月5日から21日までドイツ・ミュンヘンから27歳のファビアンがウーファーとして来てくれ大助かりだった。今回ほどWWOOFのシステムをありがたく思ったことはない。まだ来て間もない時に私が「あなたの身長が165cmとは思っていなかった。」その時161cmの周深の映像を流していたので、言いやすかったのだが、「アメリカ人ですごいスーパースターがいてその人も小さいです」という答えが返ってきて、事前にメールで通じ合える関係だったことを再認識した。彼はこちらの生活にすぐに順応した。国際ニュースやドキュメンタリーを追うことが好きなのも日常を一緒に過ごせる仲間として心地よかった。彼の日課は漢字習得だった。ワーキングホリデーで札幌、北海道で長く働き食事は自炊していたというから私の野菜の多い手料理をとても喜んでくれた。もっとも感心したのは、老齢で犬歯を除いて歯を全部抜かれよだれが多くなっている雄猫トラ次郎を喜んで受け入れていたことだ。17歳の猫を最後まで世話した経験があるからということだったが。トラ次郎は幼い時から多くの外国人と接触してきた。一方、ファビアンが腰を低くしてモモをなでようとするのだがモモは吠えて後ずさりするばかりだった。日曜日、2人と一匹でいつもとは反対方向の熊ヶ畑方面に散歩に行った。大都会のミュンヘンから来ているファビアンはこれぞ田ら舎の風景、晴れた空、山々に、小川、終点の熊ヶ畑バス停、スマホにこれらの風景をたくさん収めていた。ちょうど終点に福祉バスが止まっていて運転手さんと雑談ができた。
ファビアンは草刈り、雑木伐採、種をまく畑を整地し、鶏糞を袋に詰めて畑に運び、懸案だった南東側のマキの木の大きな枝を切ってくれた。それで縁側に日が差すようになった。彼が準備した畑に今は玉ねぎ等の苗が育っている。
発つ前日、私は寿司、夫は自慢のケーキを焼いた。彼は今までのウーファーで一番一挙にたくさんケーキを食べた。双方すべてにおいて大満足だった。
鹿の発情期の声が山に響く。今朝、猪の仔うり坊が山から降りてくるのが見えた。モモはその音に後ずさった。先日、大きな鹿が小川に水を飲みに来ていてすぐに立ち去ったのだがモモの反応は鈍かった。ハッサンならばすぐに追いかけただろう。家に帰って夫に報告すると『かえっていいんじゃない、追いかけて行って大騒ぎになったり猪やクマと間違えられて殺されたりしても困るから」という。栗も終わろうとしていて今のところ畑にも侵入されていない。あの姿を見るだけで効果は十分なのかもしれない。
2025年10月15日