10月になり気温が20度を切った日、手が白くなり一日中しびれた。急な寒さで咳がまた出だした。漢方外来では極度の冷えということで体が温まり腎臓の働きをよくする漢方薬を処方されているのだが、近くの嘉麻赤十字病院に行って診てもらった。これといった病気ではなかった。咳止めの西洋薬が三日分出た。寝る前にだけ飲むことにして9日間だ。産後死にかけた時、西洋薬は一生分使ったと思ったのでどうしても飲まなければならなくなった時以外は飲まないようにしている。漢方外来に通うようになって7年、腎盂炎・膀胱炎にはかからなくなった。結局咳は3か月ほど経っても完全には治っておらず、もう一度日赤に行ったがアレルギーかもという話になった。老人性疾患の一種なのだろうと思うことにした。あまりにも咳がひどい夜、夫に心配かけるのが嫌だなあと思っていたら、猫のトラ次郎(15歳雄)が「僕の出番」とばかりにやってきて朝までずっと私を守るようにくっついて寝てくれた。彼は昼間は外で一匹猫で悠然と横たわっているのだが、寝始めは「寂しかったんだよ」と言わんばかりに私に抱き着いてくる。私が寝てしまう頃には自分の寝場所にいる。

 ハッサン(15歳雌)は散歩のとき首輪が取れた若い犬2匹に襲われて以降、犬恐怖症になり門の外には出るがなかなかそれ以上は足が進まない。ジャーキーを見せたりして峠の上までは何とか引っ張っていくが、強制するのが嫌になって散歩に出るのも億劫になった。こうなるとお互い足が弱くなるばかりだ。ハッサンは仔犬のころから育ての母犬について私と散歩をしているので足腰は丈夫だ。車で目的地まで夫に乗せて行ってもらい、帰りに歩いて帰ってくることを思いついた。しばらくはうまくいきそう。

 山じゅう雑草は伸び放題、木々も不必要なくらいに茂って、鶏小屋は冬に向け木陰に隠れてしまいそうになってきた。なぜか福岡県のこのあたりだけが雨が降らないので種まきも遅れた。コロナの流行は続いているが若い力を借りようとウーファーさんを募集したら、早速フランス人の若い夫婦が申し込んできた。奥さんは8歳までマダガスカルで生まれ育ったのだという。南アフリカの東にある島で、中国が農業指導と医療活動をしているということだけは知っていたが、日本の1.6倍の面積があるとは知らなかった。彼女と話すのが楽しみだったし、午後、着いてからもすぐに気が合って、夫が用意していた栗のいがむきをしてもらった。夕飯は栗ご飯、枝豆、知人からもらった鹿の肉を焼いた。おいしそうに食べてくれた。早朝、思いもかけず彼女がリュックを背負って私を起しに来た。「昨夜、夫がトイレに行き、大きな蜘蛛を見て眠れなくなり、ここでは生活できないと言うので、今から博多に帰ります」という。蜘蛛が苦手で出ていく外人は3例目なので、蜘蛛がトラウマになっている、と言われればそれ以上引き止められそうになく、嘉麻市福祉バスの折り返し点、熊ヶ畑の停留所まで送った。次々と外国人のウーファーから申し込みがあったが一人は沖縄に変更し、アメリカ人夫妻は名古屋から来られなくなったという。香港出身で国籍はイギリス、住まいはシンガポールの医師志望の男性は、11月のどこかで1週間ウーフをさせてほしいと送ってくれたがあてにできそうにない。

 フランス人夫婦が来る前からアライグマ・アナグマ等の侵入が相次いでいて、人参・ほうれん草・大根・春菊の畑が荒らされていた。鶏糞・枯草・ぬか・籾殻などの有機物をふんだんに畑に入れたり積んだりする自然農法、有機農法は、畑がふかふかになりミミズが湧く。彼らのもっとも好むところなのだ。栗が落ち始めるのを皮切りに、それを狙って猪までもが柵を壊して侵入しあちらこちらを掘りくりかえした。夫は夜中に山に登り荒らされた畑を見回し呆然、その夜は眠れなくなった。この春まではハッサンが夜じゅうでも猛烈に吠えて追いかけまわしていたので、今回のようなことにはならずにすんでいたのだ。ウーファーさんの雨の日用に用意していた大豆も、私が全部引っこ抜いたままの状態で残ったので、1週間はその始末にかかりきりになった。冷凍して保存できるほどの大量の枝豆に感謝しながら。50年に独りと言われる癒し系歌手・周深の歌をたっぷり聞きながらだったので、私の苦手な長時間の単調な仕事も何とか終ることができた。後は野菜と花の種まきのやり直しだ。

 日曜日の午後は以前から楽しみにしていた、中村哲さんともっとも付き合いが長く、現在もペシャワール会のPMS支援室室長としてアフガニスタンと日本を往復して実践活動をしておられる藤田千代子さんの講演を田川に聞きに行った。医療従事者というだけでなく生活者としての彼女の話は具体的で腑に落ちた。農業体験もあって、自然の中で生きること、植物の成長を見守ることができる幸福を語られた時は、とても身近に感じた。夫も私も疲労困憊していたが大いに元気をもらって帰ってきた。タリバンの国造りは少しずつであるが着実に前に進んでいるそうだ。目が合うほど低空飛行で飛ぶ米軍の爆撃機など今はなく静かで平和そのもの。戦争中、世界の媒体は何でアフガニスタンの旱魃・飢えに苦しむ人々の状況を伝えてくれないのか、それがとても悔しかったと言われた。強者(日本もこちらのグループに入っている)にとって都合の悪いことはなかなか報道されない。日本が対中国を念頭に防衛力を強化し続けている中身は国民には後で知らされる。国内ニュースでは報じられないことを国際ニュースで日本のことを知って驚くことが何回もあった。2024/5/8の英国際法学者「中国の南中国海諸島主権は西側(米英仏)の公文書が証明」という記事もすぐにネットから消えた。(何度も“お気に入り”から消されたので印刷している)

ノーベル平和賞を弾みに、さんざん傷つけられてきた日本国憲法を、今こそ私たちは取り戻さなければならないのでは!    

                                             2024.10.19