ハッサンへ  あなたがあの世に旅立ってから1ヶ月ほどになりますね。何しろあなたは人間が好きで、いつも自分がいい感じにみられていると思ったら、 あなたの方から近づいて行って頭をなでてもらったりしていました。ただミーサ(現在2歳の雌猫)が初めてあなたと出会ったとき、あなたはちょっと脅かしたので最後までミーサは警戒を解きませんでした。あなたの初めての散歩はまだごく小さい時で、育ての母親クロと私が散歩に出かけるとき、あなたは「ひとりにしないで」とばかりに激しく泣くので仕方なくつながずにつれて行ったのでしたね。あなただけ罠にかかってしまい、近くの牧場の御主人に頼んで助けてもらったこともあります。あの時のクロは必死でした。鹿を見かけ一目散に追いかけて行ったり、スペインのガロ君と熊ヶ畑を散歩していて、あるおばあさんが私たちに頼みごとをし、その間あなたを放っておいたので、あなたは産業廃棄物処理場の森の中に入っていってしまい、ガロ君はあなたを探して1時間ほどさまよいました。その後、無事に自分でここまで帰ってきました。

 昨年5月あなたが10日ほど何も食べず水もろくに飲まず、よだれを垂らし、目はうつろでふらふらと歩いていた時は、最期が近いかと思いましたが、ほんの少し目の光が違ってきたとき病気の原因がわかるのではないかと動物病院に連れて行きましたが、血液検査等をしても病気は見つかりません。脱水症にはなっているので点滴を打たれて帰ってきました。朝の散歩はいつも6時半前後であの時点で熱中症になっていたとは考えにくかったのですが、後から考えれば熱中症で胃をやられていたのでしょう。夕飯にお父さんがちくわを食べている時にほしそうにしていたのでやったら食べたということ、それから少しずつ食欲が出てきました。散歩を再開するのに1ヶ月くらいかかったでしょうか。そのころあなたの耳は聞こえなくなっていました。もう15歳、人間でいうとちょうど私たち2人と同じ74歳くらいです。晩年になって雷雨の時あなたは雨の中をさまようばかりでしたから耳が聞こえなくなったのは良かったのかもしれません。でも私にとってはあなたが別の世界に行ったようで寂しくなったのは確かです。呼んでも来てくれないのはしようがないことだけど、私が手でこちらに来てというような合図をすると来てくれていましたからまだお互いの会話は成り立っていました。サンマやサバを焼く匂いがするとテーブルの下で待っていましたね。

 逝ってしまう1か月前まで熊ヶ畑への老老散歩は続き、行きの登り200メートルの坂がいやのようなのでやめました。5月になると寝転がることが多くなりましたが、モモちゃん相手に威厳を保ち決して気持ちで負けることはありませんでした。5日間食べなくなったので訪問獣医さんに診てもらったらそれほど重症ではないとのこと、脱水症ではあるのでその対処法を聞きすぐに実行に移しましたが、その鳥のスープは結局飲まないままでした。夜、玄関先でモモと何か話していました。夜中にもそうだったので家の中に入れて体を支えて水を飲ませるとたくさん飲んでくれました。早朝お父さんが、モモちゃんを散歩させようと外に出ると玄関先で横たわっているあなたを見つけました。きっとモモちゃんに「お母さんたちとこの農場を頼むね」と言い聞かせて逝ったのですね。後日獣医さんが「あの時ハッサンは体温が低く心拍も弱かった。あちらに行く準備を僕が邪魔したのかもしれない」と言われ、そういえば動物は自分の死期を感じ取ると何も食べないということを思い出しました。

 ハッサンは8人兄弟で最後まで親元に残った仔なので一番親の愛情は受けていたと思う。こちらに来てからは猫のトラ次郎を半年間育てた4歳の雌犬クロに3年間はたっぷりとかわいがられ、泳ぎ方、取っ組み合いなどさまざまな訓練を受けた。ハッサンが来た12月末ごろから、イングランドのアダムが滞在した。いつもテーブルで物を書いていたが必ず彼の膝の上にはハッサンがいた。彼の名前がアダム・ハッサン……というのでそのハッサンを彼女の名前にしたのだった。アダムに「ハッサンは大人になったらつなぐのですか」と聞かれた。生涯、外の散歩のときだけ首輪をしてつなぐことになったが、農場の柵が完成した後は全く放し飼いだった。柵の外の猪や鹿は別として、侵入したアナグマ、アライグマ等を吠えながら徹底的に追い詰め猟犬としての重責を立派に果たしていた。ちいさい時は柵もいい加減だったので、このあたりをうろつきまわりいつも私は彼女を連れ戻しに行かなければならなかったが、散歩のとき、「お宅の犬でしたか、よくうちに遊びに来てましたよ」という人たちが数人いた。ラブラドルとビーグルの雑種で耳が垂れ足は短く目と鼻がくっきりと黒かったのでいつまでも若く見えた。保健所に連れていかれたことがあったが、食べ物につられてすぐにつかまったと思う。

 昨年熱中症が治って住宅地の方へ散歩に行ったとき、後ろから2匹の柴犬に襲われ、それからはどんな犬も怖がるようになり、散歩コースを熊ヶ畑のほうに変えた。小川が流れていて水飲み場もあったので良かったのだが、一度おり損ねて滑り落ちてからはそこにも行かなくなった。2月に足をくじき散歩のときはカニ歩きで、夜の介護も大変だったが、それを乗り越えてまた普通に散歩ができるようになったときは、これで長生きするだろうと思ったものだ。

 ハッサンへ  耳が聞こえないのは猟犬として致命的なので、昨年12月か2歳のモモちゃんが加わりました。あなたとのお見合いでどちらも反応は穏やかだったので後継者に決めました。秋になって栗が落ち始めた時、果たしてモモちゃんがハッサンの業績を担えるかどうかは未知数ですが。そのモモちゃんと散歩に行き始めて10日がたちます。あの巨体はとても私の手に負えないと思い先延ばしにしていましたが私の足が弱ってきたのと意外にモモちゃんはこちらの言うことを聞いてくれます。あなたと散歩をして15年、おかげで私は年を取っていくほどに健康になった気がします。ハッサンは歩く人の歩幅とリズムに合わせて歩いてくれていたのでとても楽でしたが、モモちゃんは事情があって散歩に慣れていません。まるでクマの仔と散歩しているようです。大型トラックにも慣れていませんので今は住宅地のほうに行っています。全神経を集中していましたが歩くことよりもあまりにも道草が多いのでリラックスするためにまた周深(中国の癒し系歌手)の歌をきいています。するとハッサンと周りの風景と周深の歌が一体となっていたときの不思議な感覚が戻ってきます。15年間私やウーファーさん、近所の人たちに温かさと明るさを振りまいてくれてありがとう。お父さんの話し方がきつくなるとあなたはすぐに私たちのそばから離れて行ってましたね。今年になって車の荷台にも上がれなくなり、留守番役になりましたがあなたはどこへ行くにも一緒でしたね、お父さんの卵の配達、福岡市や熊本にも泊りがけで行きました。この数か月はこの家の中でもウンチやおしっこをして困らせましたが、私たちもそうなっていくのですね。生き方、死に方まで教えられた気がします。あなたの墓標の周りに永吉さんからもらった菊の苗を植えました。昨日から雨が続いていて苗も落ち着き、しばらくは猛暑から一息つけそうです。

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