今年最初の熱波で15歳犬のハッサンが熱中症になった。幸い2か月後の今では食欲を取り戻し大好きな早朝散歩も再開できた。家の中の自由散歩も許され朝一番に彼女の糞を点検するのも日課の一つになる。夜中の農場パトロールは重要だったがもう期待できない。昨年までは柵の隙間から侵入したアライグマを近所迷惑な吠え声で木のてっぺんまで追い詰めたこともあったが坂を上るのもゆっくりになった。それは私も一緒だ。

 最初にハッサンに威嚇された2歳雌猫のミーサは今でも警戒を怠らない。ちょうど2年前の夜中、弱弱しく透き通った声で鳴いているのでどうしても気になって見に行くと2か月くらいの仔猫だった。お隣の車の下にいて「おいで」といっても来ない。帰って中から家の前の坂を見るといた! 目やにがたっぷりで少し汚れて濡れている。抱くと全く抵抗はなくトラ次郎の餌を見つけて食べ始めた。毎日目薬と卵焼きをやっていたら1ヶ月で目もきれいになった。洗濯機の大音量も気にせず、水の流れをじっと観察、夫が薪ストーブを焚いている時や、麹つくりもそばにいて工程を観察していたそうだ。しばらく上の掘っ立て小屋をねぐらにしていたが11月ごろになって寒くなったせいか私について降りてきた。初めの出会いでとっさに逃げた16歳の雄猫トラ次郎は1か月後そろりそろりと近づき今では時折鼻を突き合わせたりして仲が良いようだ。ミーサの名前を呼んでしばらく探し回ってやっと見つけて連れてきたときは「心配かけたらいかんぞ」とばかりに迎えに来てくれた。ミーサが夜中に初めてネズミを私の枕元に持ってきたとき、そのネズミはトラ次郎の胃袋に入ったようだ。後日もっと大きなのを持ってきたがトラ次郎が2日にわたって食べていた。次の小さなネズミは飯台の下でミーサ自らが食べていた。

トラ次郎は私が天ぷらをしている時、その油でやけどをして半年入院していたことがある。腹部と右足に毛が生えないところがあってけがをしやすいのだがそれにもめげずすごいネズミハンターだった。年間300匹くらいは食べてきただろう。時に鳥の毛が部屋中に散らばっている時もあった。それが去年からぱったりと猫餌だけを食べてすっかり肥満になった。そこにミーサが下の今の家に現れたのだ。寝る前に必ず二匹運動会をやっていたがそのおかげでトラ次郎はスマートになった。この家は古いので天井が高い。ミーサはどこからか屋根裏に入ってあちらの部屋こちらの部屋と夜中に探索していた。挙句の果てに天井の板の隙間からおろしてくれとあのか細い声で泣くので仕方なく椅子に上がり、かごを用意して降りてくるのを待っていたのだが、こちらの身体がもたなくなって数回後、無視することにした。そして暑い夏が来て猫たちは外で寝るようになった。ハッサンもトラ次郎も昼間は寝るばかり。太陽の動きに沿って少しずつ移動しているが。

 私は暑くなっても外での畑仕事はすることにしている。雨と暑さのせいで草は伸び放題、そこに数種類の厄介なかずらが縦横に伸びて作物や果実を倒していく。しかし泥だらけになって終わるころには満足感がある。人間は動ける間は動いた方が気分がいいようにできているようだ。ミーサは私が外にいるときは必ず姿を現し、私の目の届く範囲にいる。日陰がない時は私の体の陰に入る。春の茶摘みのときはまだそう暑くなかったので暇を持て余したのかそばの高い木の上に上って注意を引いていた。夏のブルーベリー摘みのときは木の根元にじっとして私が動くたびに彼女も動いた。秋・冬のクルミ拾いの時も周りをうろちょろして元気を注入してくれていた。しかし猛暑が続く今、彼ら3匹の動向がなかなかつかめなくなってきた。以前は賢いペットの話など見る気もなかったが逆にこの世で生きづらい思いをしても生きなければならない犬や猫の映像が目に入るようになった。それらは皆、無責任な人間に起因している。年を取って捨てられたとか、妊娠したのでそのまま母仔ともども遺棄されたとか、障害を持って生まれたからとか、交通事故にあった後、瀕死の重傷なのにそのまま見捨てるとか、醜いからとか……。それを心優しい人が連れて帰って手当てしてそのまま家族になった、レスキュー隊に通報した後とても助からないと思えた命が救われる、そして人間に対する不信感の塊だった犬や猫たちが徐々に心を開いてゆく……国際ニュースの間にその映像を見ていると、人間もまだ希望があるんだ、と思わされてくる。問題は関係性なのだ。

 7月最後の日曜日の朝、私の呼ぶ声がハッサンには聞こえないようだ。散歩用バッグとリードを見せると喜び勇んで玄関の踏み台を降りてきた。帰り道、散歩中の若い柴犬の姉妹が通りに降りてきているのに気づき慌てて足を速めた。ところがどちらかの首輪が外れたのか猛烈な勢いで後ろから襲ってきた。こわかった。何度か毛をかまれたが大事には至らずにすんだ。直後ハッサンは時々後ろを振り返りながら逃げ足で家まで駆けこんだ。どこにそんなエネルギーがあったのか、私の方が緩く長い坂に息が切れた。地球も世の中も何が起こるかわからなくなっている。互いにいたわりあい残りの人(犬・猫)生を楽しく過ごしていきたいものだ。