今年のwwooferさんは上海からの30代の夫婦から始まる。昨年からの滞在で大みそかには奥さんが一日がかりで餃子を作ってくれたので本格的な水餃子を満喫することができた。2番目はカンナさん、彼女がまだフランスにいる時から長電話のお付き合いは始まったが今にして思えば50代の彼女はYOUTUBEで日本の政治状況を丹念に拾い集めていたのだ。高市発言があってからやっと彼女が口にしていた日本の若手の学者、評論家、政治家の名前となじみになった。75歳になる私は、同年代か、私たちの上の団塊の世代以上の有名な学者や作家等しか注意を向けてこなかったので、知己や仲間がぐっと増えた気がして心強い。毎日少しずつ近現代史を学んでいる。
中国問題グローバル研究所所長の遠藤誉さんの1000以上の記事を、3年ほど前に気付いて1週間ほどかかってやっと読んだのだが、中国に関して目が覚める思いだった。彼女はすでに84歳、長生きしてくれるようにいつも祈っている。アメリカ・日本・中国に関しては彼女以上の情報を素早く多く入手、判断できる人は世界でもあまりいないのではなかろうか。何しろ戦争中の中国で生まれ内戦を経験し、日本の大学教授時代は台湾を含めた中国人留学生の面倒を見てその卒業生は世界中に散らばっている。中国社会科学院にも客員教授で在籍していた。しかも理科系なので半導体などその方面の事情にも詳しい。
カンナさんの次はフランス人レオ君、23歳だが、まずオーストラリアで英語を身に付け、そのあと社会人としていろいろな経験を積んだようだ。食事のときおかずを全部食べてしまった後にご飯を食べるのがフランス流だという。魚の骨はフォークで小骨まで徹底的に取って食べたのが印象的だった。
3月にはタイからスパチャさん(31歳)が1週間と短かったが来てくれた。日本語がしゃべれるので畑の草取りや種まきを一緒にやった。この頃から私はメールで外国人とやり取りするときも日本語で書いた方がこちらの本音を書けると思い、即実行に移すことにした。今は翻訳機能が付いているのであまり問題はないと思う。そして語学を中国語と英会話だけに絞った。ドイツ人、フランス人、アジア人等、みなこちらに来てからは英語で話すことが普通になっているし、NHKのテキストが1冊600円はする、年間だと1言語が8000円を超すのだ。また国際ニュースを見ていると感じることだが、だんだんと欧米のアジア人に対する価値観の押し付けが嫌になってきた。特に中東、ガザ、西岸地区への思い入れはウクライナに対することの数分の一に思われる。人間を人間とも思っていない。植民地を収奪し、ロシアの安いエネルギーで生活してきたのがそうはいかなくなってきた欧米の現代文明の行きつくところか・・
4月は右目が見えにくくなってきていたので片目だけ白内障の手術を受けた。ちょうど歯槽膿漏の痛みで食べることも水を飲むこともできなくなっていたトラ次郎の抜歯手術と同じ日になった。獣医さんに16歳にしては十分に手術に耐えられる体力がある(これも毎晩ネズミの刺身を食べていたお陰)といわれた。私たちの1ヶ月の生活費と同じくらいの費用がかかると聞いて熟慮したが、このまま盟友トラ次郎を失ってしまったら私の精神が持たないと思った。あれから半年を過ぎ、トラ次郎は犬歯2本だけだが猫餌を上手に呑み込めるようになって、がりがりのやせた状態からちょっと肉がついてきた。毎日日向ぼっこなどでどうにか日々を送っている。私の1晩だけの入院は、(この数年近辺の犬の散歩以外はどこにも行ったことがなく買い物も夫に任せていたので)他の患者さんとおしゃべりしたりして楽しもうかなと考えていたのだが、6人部屋でそれぞれカーテンがかかっていて、とても見知らぬ人に話しかけられるような雰囲気ではなく、ちょっぴり孤独感を感じながら出てきた。
7月ハッサンが亡くなった。昨年5月夫が白内障の手術をし、長女野枝が夫の代わりに働いてくれたとき、丸太小屋の床下でにアナグマが巣を作って赤ん坊が数匹いることを発見。もうあの頃はハッサンは猟犬としては全く役に立てない状況だったのだ。その前にはトラ次郎が替わりに戦ったようで頭と首に負傷した。この頃から夫の体調が悪くなった。最低限の仕事をやっとこなしたびたび横になっていた。朝は早いので夕方にはひどく不機嫌になった。夕食が終わると6時ころから床に就くのが常になった。ちょうど9月初めから3週間ほどドイツ人のファビアン(27歳)が来てくれて本当に助かった。日本語の猛勉強中で3人で良く話した。11月初めには日本人の絃太君(28歳)が来てくれた。ただ彼は小麦粉・植物性油・砂糖・乳製品にアレルギーがあるので前もって夫と献立を考えた。米を製粉機で粉にし、油はラードを使った。私はウーフホストを始めてから本格的に料理に目覚めたほうなので確かな蓄積がない。夫は小学生の時からだから対処法を思いつく。また絃太君も本格派のインドカレーを作ってくれたりしたので10日間ほどは何とかなった。
12月になってモモの散歩をやめた。私の犬の散歩の想定を超えていた。何しろ圧倒的な力だ。そこまで危険を冒す必要はないと判断した。私に何かあったらそのあとモモを引き受けてくれる人は誰もいない。現在モモは雑草園の坂を駆け降りて門のところで大きく吠え番犬の役割は十分に果たしているが、あとは猫犬よろしくネズミがいそうなところをかき回し、時には食べたりしているそうだ。臆病なモモだが周りの猪・鹿・アナグマ等からは圧倒的な存在感に見えるのだと思う。畑を荒らすような小動物が入ってきた形跡はまったく見られなくなった。夫は蕁麻疹にも苦しめられ夜寝るのも楽ではなさそうだったが、消風散という漢方薬が効いて今ではだいぶ楽になったとか。栗・柿(熟し柿を朝鮮漬けに)・一年分のクルミの収穫、そして秋冬野菜が思ったより順調に育ち、穏やかな毎日に戻った。
2025年12月30日
