◇緊急避難
私ひとりで待合室に座る。老婦人同士の会話が聞こえた。「早かった……」「活動家じゃったが」「あっというまよのお」。長年ジイジの髪を切ってくれた山鉾理容店の八〇歳代のご主人が亡くなったという話である。あとでジイジに伝えるとジイジは既にデイケアで聞いていたとのこと。
看護師が私を呼びに来た。検査フロアに行く。ベッドに腰かけたジイジを丸上先生が見下ろす格好だ。先生は「利尿剤を処方しましょう」と一言。それでおしまいになりそうだったので私は食い下がった。
「年末年始に医療機関はお休みに入ります。体調を崩したまま休みに入るのはなんとしても不安です。入院して治療してくれるところはありませんか」
「うーん」と先生は考え込んだ。
「気管支炎は治りかけています。心不全の疑い濃厚とはいえ、酸素の取り込みは十分ですから、地域の基幹病院である徳島菊水病院は受け入れてくれないでしょう。もっと重症の方が待機しています。市立青雲病院なら受け入れてもらえることもあります」
「お願いします」と私はアタマを下げた。「紹介状を書きましょう」ということになった。クスリの処方はない。「市立青雲病院が受け入れてくれるようなら連絡します」と山法師が言う。けっきょく手ぶらで丸上医院をあとにした。
その後、丸上から電話があり、紹介状をもらって市立青雲病院に行く。事前に市立青雲病院に電話すると、「入院の準備をして来てください」と言う。市立青雲病院はジイジの家から東へクルマで約一五分の距離であった。
血液検査、心電図、レントゲンと一応の検査をし、主治医の溝上勝也先生の診察を受ける。先生は三〇代前半と思われる若さだ。
「大動脈弁狭窄症に加え、加齢による心臓の衰え、心不全、感染症による炎症が加わり、水分の排出が困難になったものと思われます。利尿剤を投与して心臓の負担を軽くしてあげましょう」
感染症による炎症が心臓の負担になったという診立ては丸上にないものだった。
ジイジが入院を受け入れるかどうかが問題だ。阿波白鷺病院でせん妄に苦しみ、追い出されるように退院した記憶が生々しい。入院担当の看護師は「距離の違いでしょう。徳島市までクルマで時間をかけて行って、迷路のような病院の一室に入るのと、生まれ故郷にちかい病院の一室に入るのでは精神的にかなりちがいます」と言う。そうだといいけどな。
ケアマネの南さんも来た。わざわざ来たのかと驚いたが、事業所は青雲病院のすぐ近くなのだ。「たいへんでしたね」と心配してくれている。
「入院したとして、退院後が問題です。もう一人暮らしは無理というレベルを超えて一人暮らしは危険というレベルに来ています」と私は訴えた。ショートステイとか名目は何でもいい。緊急避難的に入れる施設をリストアップしてもらっているところなのだ。
個室に入ったジイジはベッドに腰かけて穏やかである。阿波白鷺病院のときのように落ち着きなく室内を歩き回ったりしない。看護師の言ったとおり、比較的生まれ故郷に近い病院なので、土地との相性もいいのかもしれない。
入院二日目の二七日、ジイジとの面会を終えて、裏山近くをウォーキングしているとスマホが揺れる。市立青雲病院からである。「お父さんが帰ると言ってききません。すみませんが、もう一度、来ていただけませんか」と看護師が言うのである。
ウワーと思って駆けつけると、看護師に通せんぼされたジイジが個室入口で仁王立ちしていた。私を見て、看護師はほっとした様子で退散する。
「どうしたの」と私が言うと、ジイジはベッドに腰かけた。「カネで殺す」と物騒なことを言う。金銭がらみで病院に縛り付けられているという妄想を縷々述べる。困惑顔の私に「コウジは甘い。気を付けろ」と言うのだ。うなずいて落ち着かせる。
三〇日、スエコと共に見舞いに行く。部屋の入口で、帰り支度をしたジイジが看護師とモメている。「ミヤウチ、そうだミヤウチを呼んで来い。ミヤウチがこの局の人事と運営の統括者だ。ワシがじかに話す」と私に言う。入院中の青雲病院を長年勤めた郵便局だと思い込んでいる。こうなると理詰めでは無理だ。病院と郵便局の違いを私が述べ立ててみても、ジイジを説き伏せることができない。
聞くところでは、前日の夜も「帰りたい」と騒いで大変だったらしい。主治医は休みだが、当直の医師の判断により、退院することになった。
「えーっ、それはよかったです」とナースステーションから看護師らの歓声が聞こえた。ジイジの退院への反応である。正月を控え、認知症の年寄りをもうこれ以上構わずにすむというほっとした気持ちが素直に出ているように感じられた。
寒波に襲われた年末年始、緊急避難的に入院したジイジだが、入院五日にして自宅に舞い戻ることになった。私の運転するクルマの助手席にジイジ、後部座席に妹のスエコ。「退院」という希望のあるイメージとはほど遠い、なんとも消化不良、視界不良の退院である。
◇トイレはどこだ?
四日ぶりに家に入ったジイジは電気ストーブに密着し、「うー、寒い、寒い」と震えている。入院には、隙間風が跋扈するボロ家から逃れるという意味もあったのだ。年末年始の厳冬の折、病院にいればいいものを、無理やりゴネて帰ってしまったのである。
「トイレはどこだ?」とジイジは私とスエコに聞く。私もスエコも黙っている。長年住み慣れた家である。トイレの場所が分からなくなることなどあるのだろうか。
「上の畑で小便してくる」と家から出ようとする。ホントにトイレが分からんようだ。「トイレ、こっちだ」と私はジイジをトイレに連れて行く。「思い出した?」と訊くと、「さあ」と首を振る。トイレに足を踏み入れても、「小便はどうやってする? ワシにはわからんのだ」と途方に暮れたように言う。「ズボンをおろして、そのままおしっこすればよい。ウンコするときみたいに座ってしてもいいよ」と私は言う。
「それがワシには分からんのじゃ」とジイジは言う。ズボンと紙オムツ(市立青雲病院への入院以来、紙オムツをはいている。入院まではずっとトランクス型のパンツをはいていた。オムツとは無縁だったのだ)をおろしてやる。
ジイジがトイレに行っているあいだ、「認知症が悪化したなあ。トイレも分からんなんて。急に来たなあ」とスエコがつぶやく。
私は通販で買っておいたポータブルトイレをジイジの寝室に置く。ジイジは入院中、ポータブルトイレで用を足した。体から水分がどれくらい抜けたか調べねばならないので、蓄尿の必要があったのだ。「これ、持って帰ろうか」とジイジはポータブルトイレが気に入った様子だったので、家でも新規で購入した。トイレに行く手間が省けて、寒冷対策にもなると思ったのだ。
ジイジはポータブルトイレを見た途端ふとんをたたみ始める。病室ではポータブルトイレを愛用したジイジだが自宅寝室ではトイレとふとんが共存するのがイヤなのだ。イヤとなれば説得しても無駄だ。私はポータブルトイレを片づけた。今後、また使うときもあるだろう。
夜は三人ですき焼きを食べた。ジイジはモリモリ食べた。しかし、翌日の夕方以後、(おそらく体調悪化による)食欲不振に見舞われることになる。
大晦日である。
午前七時に私が起きると、ジイジは既に起きて、裏庭の柿などを剥いて食べていた。スエコのつくったみそ汁、かぶの漬物、イワシの甘煮の朝食をジイジはうまそうに食べた。快調……と思った矢先、ジイジがトイレに行く。
「ウンチが出ないんじゃ」と悲痛な声がする。
聞けば、もう何日も便が出ていないという。出る出ないで延々と悩むのはイヤだった。浣腸が適当であろう。
「スエコー」と私はスエコを呼ぶ。この際、妹に手伝わせて、当事者意識の薄い妹にジイジのおかれた状況を理解させる。衣類やオムツを膝まで下したジイジを中腰に立たせる。
「オレが支えとくから、コレ(浣腸)をケツにぶすっと挿せ!」
嫌がるかと思ったが、スエコは「挿せばエエんやな」と平然としている。
「支えとって」とスエコは上体をかがめると、ためらいもなくジイジの尻に浣腸を挿した。
えっ、ホントに入ったのか? そんなにうまく行くものだろうか。スエコが示す容器はカラになっている。ホントだ、うまいこと一回で入ったものだ。
「しばらく我慢。一分は辛抱して」と私はジイジを便器に座らせる。
一分立ち、二分たったが、変化がない。便が出ないでも、浣腸液くらい出そうなものだが、それもない。浣腸液がうまく体内に入らなかったのか。体内に注入したつもりで便器に漏れてしまった、というようなことはないか。
私はクスリ箱から別の浣腸液を取りだした。「オーイ」とスエコを呼び、「もう一回トライする」と浣腸液を渡した。先ほどのよりも強力なヤツである。
「ジイジにはもう一回、立ってもらうからな。もう一回浣腸する。まちがいなく、ぶすっと挿せ」
「もう一回な、ハイハイ。挿しますよ。さっきのもうまくできたんよ」
中腰のジイジを私は支えた。しわしわの尻の奥の黒点にねらいを定めよ。「いまだ!」。スエコは思い切りよくお尻に挿した。
「まちがいない。一滴のこらず入った」と自信ありげに容器を示す。うなだれているジイジを私は「しばらく我慢。一分、いや三分は我慢して。そうしたらウンチがたっぷり出るから」と励ました。
「よーし、よし。座って待っていたらいいんだな」と気を取り直したジイジが覚悟を定めるように便器に座り直した。
一分、二分、三分……。全然何も出ない。なにかの液体が数滴出たような気がするが、ウンチ関係の気配はない。「出ないなー」「おかしいな。液は一滴のこらず入れたんよ」。私もスエコも首をひねる。「もうええ」とジイジが立ち上がった。
私はキツネにつつまれた気分だった。二回も浣腸して何も出ないというのはおかしい。便意は心因性だったとしても、二回分の浣腸液はどうなってしまったのか。液くらいブーと出てくれないといつまでも完結しない気がする。浣腸液の行方はナゾのままとなった。
その夜はスエコが注文しておいた京都おせちの三段セットを三人で食べた。「おせちは正月になってから」と私は主張したが、大阪在住のスエコは「食べたいときに食べたらええねん」という立場である。去年のおせちは「天皇さまのお食事のようなご馳走じゃ」と喜んで食べたジイジだったが、今年は箸が動かない。午後八時半には寝室に入ったが、ベッドに腰かけていつまでも寝ない。調子がおかしい。ジイジにも私にもそれがなぜなのか分からない。








