高校生になった頃から、父が夜中に起きることを知った。

 深夜放送を聞いたり本や漫画を読んだりしていて、夜中も起きていたからだ。

 当時1960年の後半から70年くらいだったが、福岡市ではまだ夜間診療や休日診療の制度が整っておらず、救急搬送されるまでもない急患は開業医が診ることが多かった。

 勿論、現在でも夜中の急変や看取りに対応している開業医は私の知る限り、かなりおられるがあの頃は頻度が違った。患者さんの方も診療時間という感覚は今より鈍いところがあったように思う。幼いころから、 休みの日も親と旅行をしたり出かけたりする事は殆どなく、それが当たり前だと思っていた。

 夜間に往診に行くのが一晩に2回、たまには3回になると父も眠れず、少し酒を飲む。すると、ちょっとつまみたいらしく、起きている私に声が掛かる。

 海苔を炙れという。

「勉強しているのに」と少し膨れるが、実際はしていないのでしぶしぶ炙る。そうすると、「そんな炙り方があるか」と言う。「ツルツルした方を合わせて持って煽るようにするんだ」 火が近いだの手首を使えなどうるさい。

 三年生になる前の春休みのことだった。

 仕事中の父が、よく自宅のトイレに行く。私の部屋の前を通るので、すりガラスを影が通っていく。結構頻繁に行くなと、ふと思う。ちょうど患者さんを待たせていなかったのか、ノックして入って来た。誕生日にくれた本を見にきたのかも知れなかった。本棚に目をやって机の上を見た。テキストの向こうに文庫本があって、それを暫く見ていた。

「資本論」か。父はそう言って又少し黙った。おそらく、この馬鹿な娘はニュースやら何やらに影響されて学生運動に入り込もうとしているのではないかと、思ったに違いなかった。どうだったかと感想を聞く。どうだったかと言われてもちょっと拾い読みして、解らん、とそのままにしていたのだ。けれど何か言わなくてはならない気もして、貧しい感想を伝えた。

「拾い読みしかしてないので、ちゃんと読んだら感想を言うけど、ただ思ったより若かった」

 父は「はぁ」という顔をした。「若かったって、、何が」

「労働を真っな仕組みにしようって一生懸命な気がした。そこが、その、、、写真より若い感じがした」

 父は気が抜けたような顔をして、あのな、と言った。「医者はホワイトカラーじゃないと思っている。労働者だ。だからその家族が自分たちは上のクラスだと思っているのがいるとしたら、恥ずかしい事だ」 そこで私はカチンときた。当たり前ではないか。

 父は続けた。「ただな、医者ってのは5時になったらその日の労働は終わりというわけにはいかないんだ。診療所は閉める。労働時間というのは一応終わる。ただ、医者はずっと医者としての時間を生きなきゃいかんのだ。うまく言えんな。町医者の『時』ってやつかな、誇りみたいなもんか」

 私は、心がざわざわと動いていた。何かを考えようとしていたが分からず又生意気盛りでそれを表すこともできなかった。

 それから父は照れ隠しのように、何故「資本論」を買ったのかを聞いた。私も正直に答えなければならなくなった。

「マルクス主義だの時々聞くし、共産主義ってどんなものか知りたかった、それに」

 話の途中で父が小さく言った。「それなら、この本じゃないな」

「マルクスの髭がかっこよかった。髪と同じ質で」

「はぁ」と又父は言った。「昼飯にしよう」

 私はいつかこのことを話す時がくるだろうと感じていた。そして幼い頃父に叱られたことを想い出していた。

 小学校で古切手を集めて送るというのが盛んだった。それが困っている国の人の役に立つという事だった。封筒から切手を切り離しているのを見て、父が何をしているのか訊ねた。

 私は学校に持っていくのだと説明した。すると父はそれはどういうことかと聞く。どういう仕組みになっているのかとも聞いた。私は知らないけれど助けになるらしいと答えた。

 それを聞いて父は私から封筒の束と切り取った切手を取り上げた。

「ちゃんと調べてきなさい。良いらしいからみんなでしている、そういうのを付和雷同というんだ」

 私は多分憤慨したのだと思う。調べて報告し返してもらった。

 今、再び想い出して気が付いた。私はずっと切手事件は付和雷同という言葉を教えられたことと対にして記憶していた。しかし、切手を手渡す時父はこう言ったのだった。

「良い事をするときは気を付けないかん」

 マルクスの話を再びする時は二度と来なかった。

 父の本棚の隅にある「プラトン全集」の二冊や「善の研究」といった、今思えばいかにも旧制高校出身らしい本のことも聞く機会は失われた。

 あれから二か月後、父はあっけなく死んだ。

 母校の手術室での術中死であった。手術中、私は一人で病室の父のベッドに座り外を見ていた。速度のある小雨が降っていて大きな木の周りが白く囲まれ、そこだけ光っているようにも見えた。サイドテーブルのバウムクーヘンを少し口に入れて、むせた。

 呼ばれて手術室の前に行くと、母や周りの大人がお辞儀をしていた。一瞬音が消え影絵を見ている気がした。それからは、あなたがしっかりしなくてはの声に囲まれて、私は、泣き損ねた。

 大学病院は、学生運動只中であった影響もあるのか、診療も事務手続きも何か落ち着かぬ、ぎくしゃくした様子だった。未成年者の私が父の解剖手続きにサインをした。

 妹と二人、控室に居た記憶は火葬の時だったのだと後から気付いた。中学に入ったばかりの妹は、新しいセーラー服を着ていて、袖も少しだぶついていた。ぽつんと立っているその姿を見て、「小さいな、、」と私は思った。父が死んで初めて少し泣いた。

 残酷だというので骨を拾わせなかったというのも随分あとになって知った。記憶違いだと思うのだが、大学病院の近くに火葬場があった気もする。

 それから暫くして私は高熱を出して数日意識がなかった。この間の記憶はない。

 そして、その時以来、私は父の声を失った。

 沢山の会話を覚えている。しかしそれを父の声で思い出すことがどうしてもできない。失った人たちとのことを想い出す時は、いつもその声が共にある。それなのに、父の声だけを思い出せないのだ。

 私は、自分が死ぬ時、父の声を思い出すことができて、その声が耳の奥に甦るのではないかと、微かに期待している。

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