書評

生命の風物語

生命の風物語 シルクロードをめぐる12の短篇 甲斐大策 シャリマール 灼熱 太陽 屈辱 報復 復讐 エロス 流転 無常 画 シルクロード アフガン アフガニスタン 甲斐 大策 中上 健次 小説 生命 ペシャワール エロス 死 神 泥
270頁 四六判上製
4-88344-038-9
定価:本体価格1800円+税
1999/03発行
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生命の風物語
zeikomi
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シルクロードをめぐる12の短篇

中上健次氏絶賛!


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生命の風物語
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苛烈なアフガニスタンの大地に生きる人々、生と死、神と人が灼熱に融和する世界を描き切る神話的短編小説集。「読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか」(中上健次氏)

書評

物語を読む歓び

樋口伸子
詩人

 暑い夏に熱い本を読み、知らずに負った火傷の跡が秋風の頃になってひりひりとする。
 画家として知られる甲斐大策氏が、シルクロードをめぐる本を出した。『生命の風物語』『シャリマール』という愛の物語集。いずれにも、本来〈物語〉が持つべき活力(マナ)が溢れている。生命だけでなく、死にさえも。
 舞台はアフガニスタンを中心とするイスラム圏。根強く残る内外の紛争に加えて、その風土は苛酷なまでに熱く乾き、人々の営みは私達の日常から大きく隔たっている。
「ドゥシュマンダール」という一篇は、パシュトゥン部族社会の掟の一つである報復を背景にする。ある夏の宿場町で妻をからかわれた夫が手斧を二人の男に叩き込んだ。
 白い埃に覆われた並木の街道筋、驟雨前のよどんだ空気と不穏な空模様の変化、苛立った心理が招いた一瞬の惨劇まで、駒落としの画面を見るようだ。血しぶきのあと、「泥色の街は完全に雨脚の中に煙ってしまった」。簡潔で引き締まった文体に魅了される。
 この事件は、以後三十年の間に双方から十八人ずつの死者を出して決着したかに見えたが、さらに二十年経ち、別の事件を機に報復が蒸し返され、五人の若者たちの仇討ちの物語が始まる。非情な事件にもかかわらず、清涼感が流れるのは著者の繊細な眼差しが背後の民族性や風土、義や掟に拠る心の揺らぎにまでいき渡っているからだろう。とまれ、このようなドゥシュマンダール(仇討ち)の話が一九七〇年代末のことと聞けば血が逆流する。
 さて、風は坩堝の中に渦巻くだけでなく、地を掃き、谷から谷へたゆたい流れる。「パシャイ」は寄るべなき心に添う風のような話である。厳しいヒンドゥクシ山脈の谷々にパシャイと呼ばれる男達がいる。蚊のようなという意味で、「妻も子もなく、盗まず乞わず、五、六人の群れとなってパシャイ達は谷から街道、間道から尾根筋へと漂って歩く」。
 山岳事故で自分の名前さえ忘れたジャミールは、叔父に誘われ初めて下界に降りた。十日目、叔父は少年にたっぷり食わせ、必要最小の物を身につけてやると、カーブル河の対岸を見ながら怒鳴るようにいって去った。「お前はパシャイになったのだ。パシャイ達に会ったら従いて行くんだ。神のお恵みを!」
 少年は雪を被った山に向かって歩いた。子供達にはやされ犬に吠えられ、怯えながらもパシャイと呼ばれると心が安らぎ、自分でもそうだと信じた。四日目の夜明け、五人の男達が太陽とともにゆっくり丘の上に現われ、横に並んでしゃがんだ。近くに寄ると皆がジャミールに微笑んだ。男達は金髪と肩衣をなびかせ滑るように丘を下り始め、少年も後に従った。悲哀を超越して輝く光景である。
 この短編に限らず、境遇の転変や厳しい出自のせいで小さな社会からずり落ちていく人々が出てくる。それを悲惨と言い不幸と見るのは私たちの脆弱な精神であり、彼らはむしろ自ら下降することで、解き放たれた魂の安堵を得ようとしている感がある。私の好きな「髭婆」、寒山拾得のの拾得を彷彿とさせる「大地を掃く男」など揺れ止まぬ陽炎のような余韻を残している。
 運命や死に対する彼らの恬淡さともみえるものを、諦観という私達の感覚に置き換えることはできない。愛や悲しみ、幸も不幸も私達の湿り気を帯びた感度で測るのは危険だ。一切が脱水され天火に乾かされ砂よりも細かな粒子となり、漂彷と風の舞い去っていく。
そのほか、騎馬民族らしい勇猛果敢な男達やはかない女達を描いたこの巻を〈熱風・千夜一夜物語〉と呼ぶなら『シャリマール』は、白銀の月光にふさわしい愛の物語集である。
 戦火の街での清清しい少年「ナフディ・ジャンの恋」を別にすれば、いずれも禁欲と官能と聖性の境で神秘的に冴え渡る。
 癩に怯えながらの超俗の愛を描いた「花園」の終章は息を呑むほどに美しい。一度も肌を重ねることなく成就する逃避行の果て水中に崩れ落ちる女を、すでに同じ病に侵された男は救うこともできない。水辺に漂う花々と仰向けに浮かぶ女はまさに数々の〈水底の女〉の一人であり、ラファエル前派の絵画〈オフェーリア〉に勝イメージを与える。
 無駄のない文で風景がくっきりと浮かぶのは、画家である著者の眼の確かさによるものか。そうして、富貴であれ貧者であれ、漂う品格は彼の地の民に寄せる思いの深さに負う。氏はシルクロード各地を歴訪して滞在、回教徒でもある。読み返したくなるのは、この二巻が単なる異国趣味に彩られた現代の奇譚集ではないからだ。アフガンの聖戦士(ムジャヒディン)にも似た氏の風格の奥にあるものを想う時、その精神の膂力(りょりょく)に感嘆せざるをえない。
 本を閉じ一夜明ければ、私達の世界は底の浅い豊かさの中で卑小な優劣の差と意地や見栄、薄っぺらな自尊と気落ちに満ちている。目覚めてもどる場所がそこだとは、よく解っている。だからこそ、幾夜もこの本に手がのびる。これを、物語を読む歓びといわずに何といえようか。

「眩暈」に陥るが如き魅力

中上健次
作家

 アフガニスタンのカブール、カンダハル、さらに昔から蓮の花の都とされたパキスタンのペシャワール、この近辺に近代国家が定めた国境を国境と認めないように幾多の遊牧の部族が住んでいる。宗派は色々あるが、何れも敬虔なイスラム教徒であり、敵には勇猛果敢な聖戦士(ムジャヒディン)である。当然のことながら友情厚く誇り高い。農耕定住の日本から旅すれば、ことごとくが違い、たちまち眩暈(げんうん)に陥る。
 甲斐大策『千夜一夜物語』の趣のある短編小説集は、この眩暈の魅力を伝えて余りある。無駄のない文体が遊牧の若者の武器を持つ肉体に似て、力がみなぎり、古代と中世、現代が混交した部族に生きる若者を現出させる。若者の昂り。屈辱。肉体。歓喜。エロス。これらどれをとってみても、日本の近代、現代小説から失せたものである。農耕定住の日本の若者は「心理」「気分」しかないのである。
 読者はこの短編小説集に興奮する私をわかってくれるだろうか。乾いた土を乾いた土として描くこと、太陽を太陽として描くことは生半可な経験や修練でできるものではない。だがこの乾いた土がある。太陽がある。ペシャワールのものとものがぶつかって立ち上がる音があり、匂いがあり、何よりも今、この今、生きている聖戦士でもある、若者らが在る。
 この短編集の第2巻目を、さらに長編小説集を続けて読みたい、と衝動にかられる1冊である。

目次紹介- 抜粋 -

大地を掃く男
パクティアの楽師
髭婆
パシャイ〈蚊のような〉
ドゥシュマンダール
クチュナイ・ホル
ハイバル峠のペペ・ル・モコ
パイルーチ
パハリワーン〈力士〉
パミールの夜鳴鶯
バズィンガル
馬丁グラジャン
 眩暈に陥るが如き魅力……中上健次
 *著者による手描きの地図、挿絵入り

甲斐大策

かい・だいさく

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甲斐大策
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かい・だいさく

画家・作家。1937年、中国大連市生まれ。早稲田大学文学部卒業。
青年期より民族音楽・楽器の制作・演奏に親しむ。1969年以降、今日までアフガニスタンとその周辺に通い続ける。対ソ戦、内乱期にはムジャヒディン・グループに加わり、地雷探索等に従事、現地アフガンとの親交を深め、イスラムに入信。主にアフガニスタン・パキスタンやアジア内陸を題材に、油彩・ガラス絵等、全絵画表現を水墨画へ収斂せんと努める。イッセイ・ミヤケ、コムデギャルソンのショーにも出演し脚光を浴びる。一方、1988年より文筆活動を開始、その文学的個性は五木寛之氏、中上健次氏らの絶賛を浴びる。著書に『ペシャーワルの猫』(トレヴィル)、『生命の風物語』『シャリマール』『神・泥・人』『餃子ロード』『アジア回廊』(父巳八郎と共著)『聖愚者の物語』(以上石風社)がある。