先日、八女市の古い町家の一つで個展を開いた。かつては商店であったという白壁と古い瓦の家並。その中の一つ、明治時代に建てられたという家の土間、板の間、座敷、中庭が今回の展示スペースで、かなり広い。そこにオブジェから器まで空間を分けて並べてみたのだが、落ち着いた床の間や古色を帯びた嫁入り道具の箪笥の前ではこちらのヤキモノは甚だ心許ない。展示はしたものの馴染んでいるのか反撥しているのかよく分からぬまま毎日通い続けた。
この会場の土間は手強い空間だった。かつては金物屋であり、呉服屋、銀行の支店、そして最後は塗料屋であろうか、通りに面したガラス戸にはまだその屋号が残る。入って右手の壁一面に塗料缶が並んでいたであろう大きな木製の棚、その下方には横一列に十個ほどの錆びの出た一斗缶が並ぶ。なぜ何年もここにあるのか分からぬが、どうも一部は床に貼り付いているらしい。この古い棚と塗料缶の広い壁はなかなかの迫力ですでに作品と化している。
こんな会場は初めてで、どうしたものか下見以来ずっと考えていた。結局、棚や缶という過去の名残りの中に知らん顔して陶板と小さなオブジェ「泥のかたち」をたっぷり空間をとって並べてみた。つまりすでにある作品の中にポツンポツンと置かせていただいたということ。そしてもっとも広い土間には大きめの「泥のかたち」を集合的に置いた。知人がこの空間はとても面白いと言ってくれたが話半分に拝聴した。毎日見ていて分かったのはこの側面はヤキモノがあっても無くても面白いということだ。また反対側面にはギャラリーの若き女主人の作る人形がよけて置いてある。柔らかく、雲を連ねたようでユーモラスな魅力ある人形だ。そんな中にわたしのオブジェ「泥のかたち」を配したら、なにやら混然とした不思議な土間となった。
そこへジャズピアニストの山下洋輔氏がひょいと現れた。お互い「いやいや奇遇だね、ここで会うとは」と笑顔で握手。目と鼻の先にある市民ホールで現代作曲家の一柳慧氏とピアノデユオのコンサートをやるという。リハーサルのあとだといいながら、彼はじっくりとヤキモノと町家の中を見て回った。「ところでオマエいつから人形作るようになった?」「エッ?あれは違う、ここ『ビワニジ』の主人の作です。ワタシに作れるわけない無いでしょう。」「そうだよなー、暫く会わないうちにオマエが人形まで作るようになったかと思ったよ。」と大笑いになった。
一柳慧氏とのデユオは彼の言う通りこれまでにない緊張感があった。互いのオリジナル曲の他にベートーヴェンのクロイツエルソナタやガーシュィンのラプソデイ・イン・ブルーを二人が追いつ追われつ、ずれ、重なり、といった風で、走り続ける姿は今も変わっていない。
山下洋輔氏と出会ったのは四十年ほど前の学生の頃、石風社の福元君と閉鎖されていた学生会館をこじ開け、切られていた電源を入れ、洋輔トリオのライブを主催した。二百人ほどの客は熱気に包まれ、そしてその夜に洋輔氏に子息が誕生した。また私たちがギャラを即金で支払ったら、学生にしては珍しいと褒められ、一年で三回も彼らのライブやってしまった。無茶をやったことはお互い忘れない。
洋輔氏と握手をしたとき、本番前のせいか彼の手は全く脱力していて、グニャリと餅のように柔らかく、ワタシの手は驚いた。