西部劇風の小さな町
米国モンタナ州、レッドロッジという人口2000人の小さな町に来て40日が過ぎました。此の地に住むデイビッドと州都ヘレナのジョージと私の3人がヘレナのホルター美術館とレッドロッジのギャラリーの二ヶ所で開催する展覧会のためにここに来ています。私は日本から送ったものとデイビッドが運営するスタジオで作ったものを加えて出すことになったのです。
町は400メートルくらいの街並みで、20世紀前半、石炭と金の鉱山で栄えた名残りの建物がある、まるで西部劇の舞台のような通りです。一時は欧州からの移住者で町の人口は5000人まで膨らみ、30軒のサロンを抱えた粗暴な町として知られたようです。今や夏はイエローストーンへの入口、冬はスキーリゾート地と観光の町に変わりました。
30代で12万坪の土地を取得
デイビッドはカンザス州の出身ですが釣りや狩猟、スキー好きが高じてここにレジデンス(滞在型工房)を作ったようです。宿舎となる住宅を町中に三つ持ち、郊外にスタジオ。そこに長期(2年)レジデントが6人、短期の私たちと2週間前に来た学生を含め8人。広々としていて、土に関するものは勿論、木工、鉄工、塗装と必要なものが潤沢に揃い、しかも彼の方針で、この種のスタジオには珍しく清掃が行き届いている。
彼は10年前の30代にこの地に12万坪を取得し、幅15メートルの川のそばに豪華な自宅、林の向こうに(自宅からは見えない)スタジオを建設。採算が取れないのは明白なのに、それを個人の力で作るところにこの国の底力を感じてしまい、詳しく聞きたいのですが到底こちらの語学力では無理なのであとは想像するしかありません。本人は陽気でパワフル、妻子を愛し、カントリーとブルースを愛し、釣りと狩猟が趣味。
怒濤のひと月
到着した4月半ばの風景は一面灰色でした。町を一歩出ると牧場が続き、合間にコットンツリーとアスペンの林が広がり、それが一週間後には芽吹き、今は美しい緑の世界に変わりました。牧場には特産の黒いアンガス牛と乗馬用ということですが馬も放たれています。町並みを挟むように似たような丘が平行して走っているのがずっと気になっていましたが、着いていきなり休み無しの製作に入ってしまい、部屋から見える真横に走る丘の上を通る車を眺めるばかりでした。
一ヶ月後、やっと歩いて丘の上に立ちました。予想通り一面の平原です。東西にそっくりの丘が見えたのは、元が一つであり、雪解け水が川を作り侵食によって川沿いに低地が生まれ、人々は風を避け、水を求めて住み始めたのが容易に想像できます。鉱山跡も見絵、雪が残る山々を背に広がる標高1700メートルの平原は美しいものでした。
夕食は一品料理
私の相棒はジョージという二度の来日歴を持つ同年68才。ひと言で言えばカウボーイ(ジョージア出身ですが)。短躯でパワフル、カウボーイハットにブーツ、ベジタリアン、仕事大好き、女性も大好きで独身。宿舎とスタジオ間、車で10分は彼に頼るしかない私は毎朝6時起きで、朝食を済ませ、昼食の準備をして8時丁度に赤の古フォード、ピックアップバンに乗り込み、カントリーを聴きながら通います。窯焚きの日程が決まっていて、大袈裟に言えば毎日が怒涛の日々で夕方には全くのガス欠状態。
こんな生活、我が人生初なので当然ながら夕食は一品料理が続きました(今は二、三品と向上)。夕食も朝から考えておく必要も知りました。町で唯一のスーパー、その名もベアトゥース(熊の歯、気に入ってます)にも3日に一度は出かけ、買い物の無駄も随分減りましたが、この国のワンパックの量の多さには閉口します。腐る前に胃袋に納められるかどうかが勝負。まあ、言語不交流の為、日米バトルも多々、それでもより良き展覧会に向かうという一点が共有できたら他はどうでもいいのです。
女性の腕力とモノの重さ
今、トレインキルン(機関車にそっくり)の焼成を終え、何もすることがないという幸せなひと時を過ごしています。天気が目まぐるしく変わるこの2週間、相変わらず住宅地には鹿や野生の七面鳥が平気でいます。スタジオの下の水場にはムースの親子が現れたり、今はその中洲では、サンドヒルクレーンが抱卵中。間も無く雛にも出会えるでしょう。
短い期間ですが、最初に驚いたのはタトゥー(入れ墨)の多いこと。ファッションなのでしょうが老若男女を問わずやっておりまして、さすがにもう見慣れました。観光立国を目指すというなら、日本の温泉地から例の文言が消えるのは時間の問題でしょう。
もう一つの驚きは、この国の女性の腕力の強さ。身体のサイズは関係なく、二の腕が強い。先日大量の材料がスタジオに届き、総出で20キロ前後の袋を次々と移動したのですが、我が人生で初めて若い女性から「どけー、私が替わる。」と言われ、終ったあとに「よくやった、ヤマコー!」と肩を叩かれたのにはいささかショックでした。
短期の滞在で言うことはできないのですが、この国のモノは全てとは言わないが、おおよそ重い。ワンパックの量、椅子、机、掃除機、ピックアップバンの扉、塵取りまで。仕事の領域で言えば食器がまず重い。スタジオで使っている多くの皿やボウルは重くて日本では誰も使わないだろうと指摘すると、皆さん怪訝そうな顔になる。二の腕が強いというか、衰えていない。先日行ったヘレナの立食パーティーの皿の重かったこと。私は腕が引きつり、とうとう食べるのを諦め、飲むだけにした(ホントの話)。
最近、私の30年前の皿が昔の知人から送られて来たが、やはり重い。技術が未熟だったせいもあるが、これでも世間は許してくれていた。この30年ぐらいの間に日本では「軽くて使いやすい」「軽くて便利」というキャッチコピーで、モノはどんどん軽い方へ向かい、それはそれで結構なことなのだが、同時に腕の筋力も落ちる羽目になった、という妄想が浮かびました。これも慣れない状態に身を置いてるせいでしょうか。お許し下さい。今の若き陶芸家たちの器はさらに軽くなっています。この国の女性大統領候補の二の腕を見ながら、この間米国民が筋力を落とさなかったことに敬意を表します。「軽くないけど、ヨロシイ!」