コロナ感染を恐れて3年余りウーフ(住居・食事を提供して1日6時間以内こちらで必要な作業をしてもらう国際的な組織)を休んでいたのだが、ハッサン15歳雌犬)も衰えこの農場を維持することが困難になってきたので厳しい夏も終わるころ、他の人たちの力を借りようと募集を再開した。次々にメイルで申し込みがあり毎晩その返事に追われた。大半は外国人で英語・中国語で答えねばならないものだった。再開後初めてのウーファーは日本人のマキさんで、そのやり取りは実に楽だった。
うーん、日本に来るのに何で英語で返さなくてはならんの? えーいこの際全部日本語で書いちゃえ、と15年目にして開き直った。この3年間、建築から観光に目標を変えた東京に住む中国人留学生のSさんと、彼は中国語でこちらは日本語でメイルの交換が続き、中国語の長文に慣れ始めていた。でも読み書くことと、相手を前にして聞くこと、しゃべることとはえらい違いだ。それを補うために、以前はドラマを見たり中国人歌手周深に関する番組をYouTubeで字幕を頼りに視聴していた。マキさんが周深と同い年なのに気づき、一緒に彼女と作業をすることはなかったが、私にも半分くらいしかわからない中国語を2人で楽しんだ。言葉少ない彼女がリラックスする方向に少しでも動いたと思う。周深の泣き所を見て笑っていたからだ。今年になってやっとふた月後れで、アナグマにやられて植え直した畑に生えた草を取り、彼女が運んでくれていた鶏小屋の堆肥を畑にまくことができた。20キロを超すほどの鶏糞を10袋ほど詰め一輪車で下の畑の脇まで黙々と運んでくれたのは大変なことだったろう。
さて次に来てくれたのは40歳と30歳の中国人夫婦だ。結婚して7年目だというがとても仲がいい。いつも一緒だ。メールのやり取りでは初めから互いにとても積極的にできた。彼らは将来福岡市に住んで起業する予定だという。それで日本語習得にも熱心だった。驚いたのはこちらに着く前にインターネットで夫の「山羊と暮らした」と私の「雑草園から」を読んでいたことだった。そして飛行機で持ってこれる範囲の加工食品や調味料をどっさり持参していた。起毛の長靴、頑丈な軍手も装備して。
まず私たちが彼らにお願いしたのは200メートルほど行った道路に沿ったところにある、柵の支柱にする太い竹を切ってきてもらうことだった。なにせ彼らは大学は大連、そして上海に住んでいて大工仕事・畑仕事は皆無だった。しかし彼らは何のその、重い竹を2本ずつ引きずって持って帰るようになった。次に大きくなっても実をつけず日当たりも悪くしている栗の木を切ってもらうことにした。部分的には椎茸のほだ木にもなるような太いもので、さすがにこれは2人で3日ほどはかかったがのこぎりを使うことには自信がついたことだろう。寒くなると外の活動は休止してクルミを割ってその中身を出してもらうことにした。この作業のスピードは私と変わらないくらいだった。
もっとも彼女に期待したのはやはり彼らが持ってきてくれた中国の食糧を使って料理をしてもらうことだ。ほとんど毎日一品何かを作ってもらった。お正月近くでもあるので夫に鶏を3羽潰してもらった。その現場にも彼らは立ち会った。足は私もスープに使うが頭の脳みそがおいしいのだと教えてくれた。そして彼女は内臓も肉のついた骨も一つの料理の中に使った。うちの鶏を夫が潰すのは3年ぶりと言ったら彼らは「僕らはラッキーだ」と言いながら圧力鍋で煮た硬めの鶏肉をおいしそうに食べていた。火鍋もリクエストした。そのたれがポイントのようだった。高粱から作られた味わい深い酢・豆鼓入りラー油・ウニのようなアミノ酸の結晶入りの醤油など。鶏肉・白菜・キノコ・春菊・豆腐を入れたのだが意外に野菜がおいしく山盛りの野菜がすぐになくなった。
こちらは初日はおでんで迎え、途中ブリ大根も作った。大みそかは筑前煮、酢モノ、マサメというこのあたりでだけとれる豆を黒豆の代わりに甘く煮た。是非ということで中国式に水餃子を作ってもらった。彼女は午前中から大量の皮をこね、それを午後まで寝かせておいて3時ころから一人で150個以上はあったろう、中身を詰めて皿に盛った。意外だったのはゆでながら食べるのではなく一気にゆでて皆がテーブルに着き例の酢を使ったたれをつけて食べるのだ。おいしかった。私も餃子はよく作るが焼き餃子で、彼女のは全く違う風味と舌ざわりだった。みんな「ああ幸福だ」言いながら心ゆくまで食べた。
彼女に自分で野菜を取ってきていいと言った時、まだ植えて2か月ばかりの細い玉ねぎを切ってきたときは唖然とした。大都会に住んで広い庭や一戸建ての家にあこがれてきた彼ら、日本人でも同じことをしたのではないかと思う。畑の草取りをやってもらうとき、種をまくのが遅れたのでこの細いのがネギだということを教えたのだが。すぐ横に間隔をあけてはいるがネギの様なものがあるのだから無理もなかったかもしれない。ネギは中華料理に必須なのだ。
私が周深のファンだというと「中国人はみんな彼が好き」と返ってきてからは一気に彼らとの距離が縮まった。12月16日彼らの飛行機が遅れて、迎えに行った夫が「もう30分も待っているのにまだ来ない。俺はもう限界だ」と電話してきた。そうだろう、マキさんが去った後、孤軍奮闘していたのだから。しかも車で迎えに行った時間は彼の就寝時間に近い。朝、5時から動いているのだ。日本語・中国語・英語を交えての私の初めての中国語会話実践は彼らが去る年明け2日まではらはらすることもあり、得るものも大きかったが、新しく家族に加わった、馬力のすごい2歳の雌犬モモとの関係を作っていこうと24時間モモにかかわり続けていた夫は疲れが毎日ピークに達していたのだろう。私を大声で叱責することもあった。後で年甲斐もなく申し訳なかったと反省しやさしくなったが。
2025年1月13日