1915年熊本県生まれ。
1928年私立九州学院(熊本市)に入学。1929年青山学院中等部(東京)へ転校。
1932年上野の音楽学校夜間部補修科入学、チェロを専攻。この頃から放埒がひどくなる。放浪の生活に入る。
1935年胸部疾患のため熊大付属病院に入院。のち結核性股関節炎発病。短歌・俳句に出会う。
1939年「九州文学」の原田種夫と文通が始まり、初めての詩作品「金魚」が「九州文学」に掲載。以後詩集『誕生』をはじめ創作にはげむ。1947年には古川嘉一と二人で同人誌「始終」発刊。
1949年から病状悪化。翌50年死去。絶句「貸し借りの片道さへも十万億土」
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