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 子供の頃から落語が好きだ。
 小学生の頃「大正テレビ寄席」が日曜日のお昼に放映されていて毎週楽しみに見ていた。
 牧伸二がウクレレ漫談で司会をしていて、漫才、切り絵や曲芸などがあり、最後が落語だった。林家三平の全盛でそれはそれで面白かったのだが、惹かれたのはあまりかからない古典落語だった。誰のを聞いたのかは記憶にない。
 だんだんとラジオなどで志ん生、文楽、圓生、正蔵(彦六)などを聞き、高校の頃は志ん朝、談志をよく聞いた。話し方は正蔵が好きだった。志ん生は言わずもがな、文楽は別格だが、実際に高座で見たかった。圓生は確かに名人だが、面白いことに体調の悪い時に聞く気がしない。
 落語の「おち」というのは大抵たいしたことではない。くすりと笑う程度でさらりと終わりそこが良い。談志は落語は「人間の業の肯定」といった。若い頃はこの言葉にぞっこんだった。歳をとってからもう少し軽い言い回しはないかと思うと、やはり天才バカボンのパパの「それでいいのだ」が頭に浮かぶ。
 面白く、笑い、しんみりとする。ほろりとし、欲を見、真心やゆずるに譲れぬ侍の世界を聞く。滑稽も闇もある。それを決して教訓のようには語りはしない。等身大の人間が繰り広げる。
 枕から噺に入るとそこに噺家は居ない。おかみさんがいて魚屋がいる。
 こましゃくれた子供がいる。長屋があり、大店の並ぶ表通りがあり、路地がある。
 あの強烈な個性の談志でさえ話し出すとそこに談志はいないのだった。
 ところがこの頃の落語は噺家が消えない。最近は新しい人をあまり聞かないので、たまたまだったのかもしれないが耳に障る。喉に力が入り会話がつながっていない。
 どうしたことだろう、と思う。
「船徳」という話がある。若旦那が船頭になりたくて船宿に入り、他の船頭が出払っていて漕ぐことになりのだが、上手くいくわけがない。息を切らしながら、ここで小唄のひとつもと「船に船頭」を唄いながら漕ぎながらの場面。元々遊び人の若旦那、唄はこなれているはずだがこの状況での一節、喘いで唄にならないのだ。しかしここは「本当は上手い」が、ベースになければほんの数秒とは言え、つや消しなのだ。そこが例えば志ん朝のは心地よい。それができる人が今は少ないように思う。
 志ん朝といえば、着物姿がきれいだった。随分昔明治生命ホールで席がかかったことがある。
 白地に薄い紫のよろけ縞で地味な茶献上の帯、半襟も紫だったように思う。ちょっと猫背に歩く姿が忘れられない。そういえば、今の正蔵が志ん朝から着物をもらった話をしていた。
 いい江戸小紋の縞で、それを見た時に古典をしっかりしなくてはと思ったと。
 昨今はさらに、独演会が盛んで、福岡にいてもたっぷりと高座を楽しめる。有難い。
 しかし寄席には又違った楽しみがある。
 曲芸、物まねなど色物といわれる芸はテレビで見るのとは趣が異なってみえる。
 この色物が良いと、その日の席の楽しさの厚みが増す。
 そして、とりの落語が良い出来ならもういうことはない。
 そんな日の寄席を出て外の風にあたると何とも幸せな心地がする。緩んだ頬のまま歩けばやはり一杯飲みたくもなる。
 もう随分と寄席にも行っていない。神田伯山という講釈師も出てきた。知らぬだけで若い噺家も育っているのだろう。
寄席通いをしても許される隠居の歳にもなった。
 寄席通い、始めようか。
 

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