抗がん剤の種類によっては、髪の毛が抜けることは良く知られている。多くの場合、髪だけでなく体毛という体毛が全て抜け去る。

 睫毛、眉毛がなくなってみると汗が目に入りやすくなり痛い。鼻毛が無くなると鼻水が下にストンと落ちて驚く。埃も入りやすくむずむずし喉もがらがらする。頭に毛がないと暑くて寒い。無くなってみるとどれもちゃんと役にたっていたのだなあと思う。

 私はホットフラシュに長年苦しんでいたがホルモン療法はできなくなったので、よりひどくなった。以前から頭の汗の量に辟易していたが髪がないと一気に流れる。はて、どのようにして出ているのかと、予兆を感じると鏡のまえに急いだ。すると、毛穴からプップッと玉になり出てくるのだ。「こうやって出るのか」と観察して、ティシュを一枚頭に広げる。臭ってもみるが臭くはない。吐き気やあまりの苦しさで動けぬときを除いてしばらくこの観察は続いた。

 髪と言えば、幼なじみで親友でもあるYは高校の時髪を伸ばして保護者が学校に呼び出されたことがあるらしい。まだ中高校生は丸刈りが規則という学校もあった時代である。その担任の教師の前で、彼の父上は「うちは代々ハゲです。せめて髪の在る間は伸ばさせてやってください」と言われたという。船医として世界を廻り後に開業医の傍ら力強く温かく祈りを感じさせる版画を彫っておられた方らしいと思う。

 だから、彼はすっかり抜けた私に「又生えてくるんだからいいじゃないですか。ぼくなんか、もう一生、生えないんですから」と言った。命の再生を下敷きにした彼らしい励ましで、じわっと嬉しかった記憶がある。もう20年以上も前のことだ。あれだけ大きくて転移もあったのによく生き延びているものだ。生かしてくださっているすべてに毎朝素直に手を合わせる。

 私は髪が抜けると聞いた時早々にバリカンで刈ってもらおうと思い病院の美容室に行った。しかし、美容師さんはやめた方が良いという。ある程度長さがあればまとめて捨てられるがバリカンで刈りこむと抜け毛が首や服の中に落ちてチクチクしてそれをとるのに労を要すらしいのだ。何事も先達はあらまほしき、である。

 病棟では多くの人がニットなどの帽子をかぶっている。すれ違うたびに何か違和感がある。何だろうかと首をひねってみて分かったことがある。

 みな同じように似て見えるのだ。

目鼻立ちという言葉があるが帽子の下、眼も鼻も口もしっかり見えているのに、である。 しかも、帽子を被っていない人もそうなのだった。そしてそれは、眉と睫毛がないからだと、気付いた。

 無いと人が似て見えるのは何故だろう。こうして私は時々眉のことを考えて過ごした。10か月近く続いた抗がん剤が終わり数か月して少しずつ眉が生え始めると顔の印象も変わってくる。何やら自分の顔に戻っていく気さえする。

 眉墨もつかいやすい。何もないところに描くのは意外と難しいのだ。

 人は、他人を見るとき目のあたりをまず見るらしい。最初に印象付けられる位置にあるというのが大きいだろうが、眉と髪は自分で変えることができる部位である。髪型の時代による変化は良く知られているけれど、眉も又変化してきた。思いつくままにあげてみても奈良時代の上の方にふんわりと描く「鳥毛立女屏風」のような唐の様式をまねたもの、平安の引き眉は白塗りの肌の眉を抜くか剃るかしてやはり上部に薄く丸く描く絵巻にみるようなもの、平家の公達、などは男女をとはず高貴な身分の証でもあった。これ等は美意識の他に感情を読み取られにくくする働きもあったらしい。能面の眉もそうだったとおもいあたる。室町のバサラ、戦国時代は大将首に見せる為、とった首の眉を引きお歯黒を施す仕事を女たちがしていたのを、昔読んだ記憶がある。そして江戸の女性の細眉や既婚者の眉剃りお歯黒。歌舞伎における眉を始めとした強調する化粧など、身分や社会的な立場を表すと同時にその時代の気風も反映されているのだろう。そういえば、子供の頃大人たちはスウーとひいたようなカーブのある眉をしていたし、若い頃はやたらと濃い太い眉が流行った時期もあった。

 同時に、眉は感情を表す。眉をひそめたり、寄せたり、開いたり。時には思いがけず感情が眉に先に出て思いを悟られることもあるのは不思議だ。そこから眉の演技も出てくるのだろうが、この動きを調べてみると、おもしろいことを知った。

 側頭葉下部から後頭葉にかけてある視覚情報の識別をする紡錘状回という領域にFusiform Face Areaという顔専門のエリアがあり顔を見た時に強く反応する。もし障害されると顔を見てもだれか分からぬ「相貌失認」になるのだという。又側頭葉内部深い所に、感情の処理と判断をする偏桃体がある。これが連携して対人理解をしているのだが、偏桃体が一瞬先に反応、特に眉への反応は強く自律神経や表情筋に信号を送り「意識」より先に眉が動いてしまい、ちらっと本音が出てしまう羽目になるらしい。

 では、なぜひとは眉をひそめるのかというと「眼が細くなり視野が絞られ光や刺激が減り、危険や不快な対象に集中するため」であり強い光を防ぐのはもちろんだが、嫌なもの怪しい相手にも無意識に「観る精度」を上げているのだそうだ。加えて社会的な機能として不快、近付くな等言葉でなくとも感情を伝えるメッセージとして進化的に取得したらしいのだ。実際逆に眉をひそめると偏桃体の活動が上がり不快感が強まることが分かっている。

 どうやら「似て見える」と私が感じたのは顔の大切な判断材料の不足という事らしい。

 試しにAIにも「似て見える」ということを聞いてみた。すると「人間らしい微細なノイズが減る」という表現があり目を引いた。確かに人間は「ノイズ」だらけだ。逆に言えばAIには「ノイズ」が「在る」ということは難しいのではないか。「ノイズ」これはこれからの私たち「ひと」を考える大切な言葉になるような気がした。

 抗がん剤の後、髪も眉も半分の量ながら生えたがほとんどの体毛は戻らなかった。

 これは処理の手間がなくなり、癌細胞をやっつけるほかにも、良い事もあるのだなと思った。

 そして子供の頃のことを思い出した。

 小学校高学年のころ、そのころは毛深いからといってからかわれることもなく自分でもまったく気にしていなかった。腕の毛を触っていると、それを暫く見ていた父が、おそらく私が気にしていると思ったのか「気にせんでよか」と言った。「うちは、大和朝廷に最後まで抵抗した熊襲の子孫で毛深い。誇っていい」

 何のことか分からなかったが、子供心に残ったのは、「大和朝廷に最後まで抵抗した熊襲」「誇っていい」だった。その後の人格形成に影響してしまった気がする。

 子供を励ます時は言葉をえらんだほうが、いい。

 

 

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