車の窓から夜の景色が見える。
半年ぶりの夜景である。過ぎて行く景色は、もう何十年も見続けているものなのに、全く見知らぬ街の様であった。
耳は半分閉じ目は厚い透明な膜で遮られているような気がする。
それは異国の旅先で、夫の望んだ食べ物や小さな愛らしい品を求めて、全く知らぬ、言葉も分からぬ道を一人歩いた夕暮れ時に似ている。
時間の感覚やものの見え方が以前と変わった。
悲しみは、言葉と共にはない。
普通に過ごしている時に急に涙ぐむ。普通に動いている時に突然嗚咽する。
そして、そのあとに、それが悲しみだと知るのだ。
夫が死んで半年経った。
「一年は難しい」との余命宣告を受けて後、三年二か月、秋に逝った。強烈な意欲と体力で生き抜き、望み通り自宅で息を引き取った。
その時、私は眠っていた。
何かに引き上げられるように飛び起きた時には、すでに夫の息はなかった。
眼を見開き、口が、かっ!というように半分開いていて、それは死に驚いたようでもあり、抗っているようでもあった。
まだ充分に温かい身体は、それでもなお生きようとしている力を宿していた。
一人で、逝かせてしまったのだ。
荼毘にふし対面した瞬間は、真空の中に立ち何かの力で後ろに引きずられる気がした。
白い骨に目を戻す。
骨というのはその人を良く表す。
夫の骨は命に溢れたものだった。そして、膝を立てていていたのだ。見たことのないように太い脛骨は歩きだしそうであった。最後の最後まで、この人は、この人だ。
よう、、、生ききられましたな。見事でしたと、私は心の中で言った。
遺体と骨は、在と不在の間にある。
それが視界から消えてしまった時、真の在というものを問わねばならなくなる。何という、宿題を残してくれたのだ。
余命宣告を受け、普通ならば死ぬ準備を始めるところを夫は、「貯金を使い果たしてもいいかいな」と朗らかに言い、積極的に生きる計画をたて即実行した。それは、今までにも増して人生を楽しむということであった。終わりのない抗がん剤が毎日途切れることはない苦しみの中で、味覚が失われ車椅子での移動になり、旅先で寝ていることが多くなっても、最後まで楽しむことをあきらめなかった。
愛してやまなかった仕事も、動けなくなるまで全うし、それを、今までの人生に呼応するように、友人や子供達が支えてくれた。一方で病への怒りや、時として受ける周囲の人々からの不快感への苛立ちは、私が引き受けることになった。
私達は争いの無い夫婦であった。決して夫の言うことにNOと言わない様に言われていたし、日常生活で声を荒げて討論することは、そうあるものではなく、話せばよいと、私は思っていた。
ところが、死後のある時期どうしても辛いことばかりが思い出された。それまで封印していたのだろうか。次々と様々浮かんでは繰り返し、内臓がぐにゃりとする感覚が続いた。そうして決まってその後に、私は夫を一人で逝かせるような人間だと呟き打算的な平衡を保とうとした。読経と仕事と山積みの書類、日々の日常を繰り返しほとんど人と会わない日が長く続いた。
ある日、散歩途中の一歩を踏み出したその時に、脳裏にはっきりと「その場面」が映し出された。繰り返し思い出す幾つかの「嫌な辛いこと」を高い所から眺めていた。さらにそれを眺めるもう一人の自分がいる、静かで劇を見るような視点であった。そこには、不自然な人間がいた。その人間の頭には「今」が無かった。常に「次の今」の為に成すべきことに囚われている。「今」の無い人間は時を見据え得ず、心から楽しむことも出来ない。私は、うわべだけの会話を上手にこなしているだけであった。時々繰り返された夫の不快の原因はここにあったのではないか。
夫は我儘であった。しかしそれは、目的が明確で手段を持っている、ということでもある。生前、夫が入るとどんな場も明るく活き活きと動き出した。あれは夫が見事に「今」の人であり、大らかに人と場を愛し、自らも心から楽しんだからに他ならなかった。働いて働いて、楽しんで楽しんだその日々には迷いがなかった。
しばらくの間時々現れた、自分を他人として眺めるというその視点は、自己の姿を突き付けながら、静かに私を開放していった。
ある日、夢を見た。夫は再婚したという。私は若者のように「はやっ」と言って、私も癌だからかと訊ねた。夫は、癌だからじゃない、と答え、静かに目線を落とした。おめでとう、自分の声で目が覚めた。たかが夢の話である。笑い話になるような単なる夢の話ではあるが私は、ふわふわと力が入らなかった。早朝の、林に続く坂を歩きながら、一人になったな、と思った。勿論甘い相対的な孤独感で、笑ってしまうしかないものだった。
それでも若い頃の、エネルギー故の、甘えた、ともすればガラス質の空気で自分を傷つけるような、または、気が付いてしまえば一生背負うしかない孤独ではなく、鑿で身体を彫り込まれていくような、老いの孤独なのだった。しかし、この突然一人で投げ込まれたような孤独の暗闇を、ずっと見据え続けてみると、それは以外にも、なんとも気持ちの良いものであった。嘘も、曖昧さもないこの感覚は、おそらく死に近い明快さであるのだろう。
夫は、みごとに生きて生き切った。肉体の煙は循環し、その「時の輪」は閉じられた。それは、やがて閉じる私の「時の輪」に静かに重なり、溶け込んできた。
いきるものは、死ぬということ。そこに、「時」が重なり続けていく。