7月26日、17歳の雄猫トラ次郎が他界した。息を引き取る寸前まで長女野枝の膝の上にいた。私はその日のお昼寝のとき声にならない声と動きで訴えかけてきたのでいつもそうしていたように胸の上に抱いて寝た。5年前に一家が下の古家に降りてくるとネズミを捕ることもなくなった。キャットフードだけになり一時は肥満になったが昨年歯槽膿漏の手術をした後は加齢も重なり痩せる一方だった。トラ次郎はミーサに遠慮して、私と寝るのは控えているようだったが、今年になって自分の死期を感じるのか時々布団に入ってきた。そのとき私は彼の身体をなでながらどうしようもなく涙が落ちた。死んでひと月ほど経つができることはやりつくしたと思っているので後悔はない。しかし蚊帳を張るときなどトラ次郎の存在を感じる。猫にとって蚊帳の出入りは難儀なことだった。そのためにあちらこちらに穴が開いて残っている。

 トラ次郎の一生は我が家のウーフの歴史とも重なる。トラ次郎は農村地帯の嘉穂町でうまれた。世界でもっとも普通に多く飼われている猫らしい。歩く姿はまさに虎のようで色もあの色だが「えらく鼻が高いね」と言われたことがある。ウーフを始めた年、アメリカ人のジョシュが「my cat」と言って見せてくれた写真はトラ次郎そっくりの猫だった。獣医さんに言わせると「とても飼いやすいから広がったのでしょう」ということだった。

 トラ次郎が来る前には長毛主の雌猫がいたのでまだ2か月ほどのトラ次郎の面倒を見てくれるだろうと期待していたのだが、そのおばちゃん猫はトラ次郎がそばに行っても追い払うばかりだった。そのうち元野良犬だった3歳半ほどの雌犬のクロがトラ次郎のお尻をなめて排せつを助けてやっている姿が見られた。その後赤ん坊犬のハッサンがうちに来る半年後まで犬のクロがトラ次郎の面倒を見てくれていた。1時間ほどのクロの散歩をするときは2度熊ヶ畑までついてきた。いつ頃から私の布団にもぐって寝るようになったのかはよく覚えていないが、ハッサンが来たときは12月だったので多分その頃からだ。

 ウーフホストを初めて2年目の9月、私が夕飯にカボチャのてんぷらをしていた時、後ろから何かが素早く飛んできた。そしてトラ次郎が油の中に足をつきそのまま窓の外に跳んで出た。一瞬のことだったので止めようがなかった。しばらく行方不明で心配していたのだが翌晩、おなかのあたりにケロイドのようなものをぶら下げて私たちの前に現れた。自分ではどうしようもなかったのだろう。日曜日で入院はできず、結局やけどから2日たって翌年3月まで檻の中の生活となった。1週間に1回はお見舞いに行き30分ほど抱いた。動物病院では伝説的な猫と言われて「何もなくても時には連れてきてね」と看護婦さんに言われるのだが何が伝説的なのかはわからずじまいだ。退院してからは夜はネズミ捕りに集中し、年間300匹くらい食べていた。野鳥をくわえてきて部屋には羽根だけが残っていることもあった。私が寝ている横で食べるのだが初めのうちは気分が悪くなったがそのうち慣れた。体の4分の1ほどもやけどをしたのに17年間も長生きできたのはねずみを食べていたからだと獣医さんは言う。

 トラ次郎は優秀なハンターである一方で温和な性格だったのでウーファーさんたちにも愛されて育った。彼らの住まいである丸太小屋を訪問し、時には一緒に寝ることもあったようだ。彼らが後に送ってくれた写真にあどけない表情のトラ次郎がいる。私が見たことのない表情だ。

 トラ次郎の晩年、捨てられた生後2か月くらいの雌の三毛猫ミーサを飼うようになったときハッサンは脅かしたのだがトラ次郎は後ろにのけぞった。2回目にはそっと寄っていった。やんちゃのミーサがマムシにちょっかいを出し足がはれ上がって夜中に泣いていた時は心配そうにそばで見守っていた。そのあとミーサが小さいネズミかもぐら?をトラ次郎に取ってきたのを見た。ミーサが夜中に屋根裏で騒ぎ、わたしたちを寝せなかったときもあとで何かを言い聞かせていた。彼らの関係はおじいちゃんと孫娘のようだったのだろうが一時は走り回って運動会の様相を呈していた時もあった。ハッサンに衰えが見えた時、夜アナグマか何かが来てそれに対峙し、敢然と戦ったようで首に深い傷があり病院で抗生物質の注射をしてもらった。頭にも傷があったのを後で気が付き私が手当てした。そのころからか元気に動き回ることもなくなったが家の外に出て十分に周囲を見渡せるところに横になって何かの番をしているようだった。

 この1年は足のやけどの跡の皮膚が薄くなりだんだんと筋肉が露わになっていた。自分で舐めてなおそうとするので余計にその範囲が広がった。冬は良かったが夏になるとそこに銀ハエが集まってくるようになってこちらの方がたまらなくなり、嫌がるエリザベスカラーをつけ舐めないようにした。また一日に何度も傷の周りのサポーターをしなおした。ちょうどその傷はテープや包帯をしても固定できないところだった。最大の理由は歩きにくくなるだろうということで放っておいたのだ。猫は死ぬときいなくなるというから私はどこにいるかを常に把握するようにしていた。若い時からトラ次郎はいったんいなくなるとどこにいるのか皆目わからなかった。1週間ほど帰らないことがあったので近所中に聞いて回ったが、どうやら罠にかかって解放されて帰ってきたようだった。ミーサのように呼んだら返事をしてくれる猫もいるのだが、トラ次郎が元気な時の居所は結局わからずじまいで夕方帰ってくるのを待つしかなかった。昨年から異常にノミが多くなったので晴れて毛がすぐに乾きそうなときはノミ退治のシャンプーをした。初めは嫌がっていたがそのうちすんなりと受け入れてくれるようになった。夫は小さい時からマッサージを続けた。自分からしてもらいに行き、あとは満足顔だった。そのことも長生きできた大きな要因だ。

 トラ次郎の最晩年は素晴らしい出会いがあった。世界を旅してきたアメリカ人のジェイムスとスペイン、バスク出身のアマイユールとの出会いだ。30歳前後の彼らの人間観は「その国に行ってみないとわからない、メディアが伝える情報など全くあてにならない」というものだった。2人ともまだ中国に行ったことはないが彼らが滞在している期間、毎日現在の中国のドキュメンタリーを見て驚き、(特にアマイユールはアメリカのトランプ大統領を批判し4度目の中国訪問をしていたサンチェス大統領を擁するスペインのエンジニアだったので事情を把握していた)今や世界に羽ばたいて多くの人々をいやしている周深(Chou Shen)の歌声を聞くのが日課になっていた。ジェイムスは周深の曲を鼻歌にしていた。2人とも痩せさらばえて大きな傷が露わになっているトラ次郎にやさしく接した。人見知りの強いミーサも2人のそばに来た。5月連休明けに来た日本人のともさんは両親が獣医ということで傷は洗うだけでもいいということを教えてくれた。私たちが全く気が付かない虫や自然現象をいち早く指摘する特殊能力を持っていた。

 5月10日に長女野枝が帰ってきた。トラ次郎は自然の中で育ったので排せつは家庭猫のようにはうまくできなかった。そこで新聞紙やぼろ布を畳の上に敷いてするがままにさせていたのだが野枝の枕近くでするようになり野枝の横で寝たがるようになった。トラ次郎は恋をしているようだった。自分のお風呂上りをじっと待っているトラ次郎を不憫に思ったのか毎晩彼女の膝を喜んで提供してくれた。彼は最高に幸せのような様子でいた。紀州犬のようだといわれる雌の大型犬のモモは、鶏用に置かれている飼料、米ぬかの周りのネズミを狙ってダイビングする姿が目立った。トラ次郎は最初からモモに対しては優位に立っていたのだが、亡くなる前、モモの住まいの玄関の前で横たわり何かを言い聞かせているように見えた。

 猫というのは昼間は寝ていることが多く夜活動し、朝は早くから起きている。私がハッサンと散歩するのは6時半ごろだったが私が体操をするのを見守り、門のところで私たちが出ていくのを見送るのが常だった。今年になってモモとの散歩を打ち切りにしてからは早朝から見張り番に徹していた。亡くなる前日までそうだった。夫は「トラ次郎は猫の中の猫でやけどさえしなければ玉を入院中に取られることもなく近所中にトラ次郎のような猫がたくさんいただろう、しかし闘って短命だったかもしれない」と言う。残された3歳のミーサはこのところ情緒不安定なようだったが、早朝の草取りやブルーベリー採りが始まるとその間は私の周りにいて私を元気にさせてくれている。新しい日常が始まっているのを感じる。        

2026年7月24日

  

 

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