宮城県栗原市の金成というエリアだけに伝わる、「ネジリボンニョ」と呼ばれる稲藁積みのことを知ったのは、ずいぶん前のこと。当時は、その明確な場所が特定できずに残念な思いをしたが、縁あって金成の末野、片馬合(かたませ)・反町の各地区を歩く機会を得た。
  普通、栗原の人たちは「稲鳰(ホニョ)」と呼ばれる稲藁積みをつくるのだが、これは稲と藁をきちんと乾燥させるため、途中で上下を逆さにして干し直す 「とっけし(動詞形は「とっけす」)という作業が必要なのだが、金成の「ネジリボンニョ」は、あらかじめ稲藁をネジってから杭にかけるため、この作業を必 要としないのだという。さらにこの「ネジリボンニョ」には気候・風向きに応じて左巻きと右巻きを使い分けるのだという仰天モノの話も伺い、筆者は傍観者か ら共感者へと一気にヒートアップしてしまった。

これが憧れのネジリボンニョ!(宮城県栗原市

 次に訪ねたのは金成町有壁本にある「有壁わら工品」の菅原さん。ここは、金沢兼六園の有名な「雪吊り」に使う縄や左官が使う木舞用の藁縄を作っているところだ。あまりに見事な「藁縄」の倉庫も見学させていただき、これまでの「ゆきずり」の関係を反省する。

山と積まれた藁縄(宮城県栗原市)

  次に出会ったのは玄昌石のウロコ庇。かつて、長野県茅野市の土蔵の横で役目を終えて横たわる玄昌石の瓦とスズメ踊りとセメント瓦がセットになった土蔵の鏝 絵を見たことがあるけれど、このウロコ庇の玄昌石の瓦は、通称スレートと呼ばれる硬質の黒色粘板岩で、神戸のウロコの館を思い出してくれるとわかりやすい だろう。

擬洋風煉瓦と黒磨きの土蔵(岩手県一関市花泉町)

 そしてここ宮城・気仙沼には伝説の左官・吉田春治の土蔵があることを忘れてはいけない。

 そもそも漆喰に海草糊や麻苆(すさ)を用いるのは、日本独自の工法で、外国では糊を使わず、時に膠(にかわ)を用い、苆には動物の毛を使う。
  余談はさておき、ぜひとも紹介したいのは、この気仙沼の左官・吉田春治が、明治10年(1877)、壁材として使うには高価な卵白と松煙で練り上げた黒い “のろ”を使用した黒磨きの土蔵。こうした土蔵は岩手県の花泉でも複数、確認しているのだが、さらに平成23年(2011)3月にも、栗原市薬師というと ころで吉田春治か藤代喜代蔵の仕事と思われる土蔵も確認することができた。
 お次に出会ったのは竈(かまど)の神サマ「竈神(かましん)」。
  関西以西では「荒神」、近畿中国地方は「土公神(うじどこ)さん」、関東では炉辺に祀られ「おかまさま」と呼ばれるが、ここ宮城は「竈神」。その分布の南 限は宮城県角田市、白石市、北限は岩手県石鳥谷町にかけて散在し、江戸時代の旧仙台藩領内の岩手県遠野市、石鳥谷町、花巻市、東和町、北上市金ヶ崎町、水 沢市、胆沢町、前沢町、衣川村平泉町、花泉町、陸前高田市でも見られる民俗だという。
 ちなみに中国やギリシアにも似たような竈神信仰があるそうだが、宮城にはそれこそ伝説の左官職人「はだかかべ」の逸話があって、この竈神はおよそ「はだかかべ」の手によるものなんだそうだ(登米郡豊里町にある「懐邑館」で見ることができます)。

竈神(宮城県栗原市)

  最後に辿り着いたのはご当地名物の「熊そば」。いつまでも冷めない熊そばの汁。それはこれまでの旅に似て、いつまでも冷めない興奮のよう。ありがたく「熊 そば」をすすっていると、「放射能パウダーが降りかかっているかも知れませんから……」と天然マイタケのてんぷらの注文を申し訳なさそうに断る女将に「死 んでも食べたい!」と懇願する初老の女性に出くわし、何とも複雑な気分だった(熊そばの写真は撮りませんでした。あまりのうまさに!)。

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