今年の5月、美濃の鍾さん、妹尾さんそして私のグループLINEにその「お誘い」は飛び込んできた。いわく、「自分の妻がCEOをやっている基金会が台湾文化部の『台湾を歩いて本を読もう』プロジェクトに参加することになり、いくつかプランを練っている。そのうちの一つ、『同じ月の光を踏みながら、三毛の〔美濃狗碗〕を探しにいこう』というイベントに来てもらえないか」
鍾さんによれば、このイベントは6年前の二人の日本人(私たちのことです)の行動から着想を得たものなので、ぜひそのきっかけを作った二人に来てほしいのだという。10月か11月の開催で、旅費と食費・宿泊費は基金会持ちと言われ、妹尾さんと私は、ビビった。イベントそのものはとても楽しそうだ。美濃のまちを再訪して三毛がお碗を洗った場所が特定できるかもしれない(望みは薄いけれど)し、あの素敵な宿にもう一度泊まって美味しい朝食をいただけるのも魅力的だ。だが、ご招待される以上、ただ遊びに行くだけではすまない。案の定、鍾さんは、会場でスピーチしてほしい、中国語で、と言ってきた。しかもこう続いている。「お二人は日本における『三毛文学』の専門家である。よって我々はお二人を『作家』としてお招きする」とんでもない話である。
しばしの葛藤のあと、やはり好奇心に負けた私たちは、長い長い言い訳(まことに光栄なお誘いだが、私たちは作家でも専門家でもない、単なる三毛ファンの翻訳者だ、話せることは限られている、しかも中国語でスピーチするなら原稿を読み上げる形でしか対応できないが、それでもいいか、うんぬんかんぬん……)を送って、参加を表明した。
妹尾さんは台湾に毎年のように行かれているし、海外旅行の経験も豊富でとてもフットワークが軽いのだが、実はかなりの「方向音痴」である。かく言う私もまた道に迷う才能には事欠かない。前回の美濃行きでもいろいろ試行錯誤があった。そこで私は考えた。サポートメンバーを募集しよう。
幸い頼りになる友人二人が美濃行きに興味を示し、メンバーに加わってくれることになった。あとで述べることになるとは思うが、振り返ってみれば、これは我ながら周到な手配であった。
さて、ご承知のとおり、中国語には文章語(文言)と話し言葉(口語)の二系統があり、鍾さんのLINEの文章は大いに文言文の趣がある。すなわち、短く簡潔なのだ。それに慣れていない私たちは、その言葉の奥、あるいは行間にある「意図」を図りかね、とまどうことがしばしばだった。しかも送られてくる情報の量がそもそも少ない。
お誘いがあったのが5月末、具体的な日程の相談があったのが8月末。イベントのプログラムなど詳細を教えてほしいと頼んだところ、座談会か講演会をするという返事が来たのみで、いったいどんな話をしたらいいのかさっぱり分からない。主催者の基金会のこともこちらでググって調べるありさま(ふつうは簡単でもいいから企画書とか趣意書とかを送ってくるよね?)
しびれをきらして再度尋ねると、9月中旬になってようやくイベントは11月24日開催に決まったとLINEが来た。24日の午後、90分か120分で座談会をするから、「当時の三毛と日本の若い女性との違いについて」や「今の日本人はどんな本を読んでいるか、中高年と若い人では読書にどう違いがあるか」などについて話してほしい、という。
いやいやいや、それって私たちの手に負えないよ…
困った私たちは、ない知恵を絞り、妹尾さんは三毛の作品を翻訳することになったいきさつや当時の三毛とのやり取りについて話すことで、なんとか前半部分の責めを塞ぎ、私は仕方なく、後半部分についてできる範囲で紹介することにした。でもこれって、専門家でもない私がやっていいのだろうか、なんか違うよねと思いつつ。
それからが大変だった。手当たり次第に関連書籍を読み、ネットの情報を調べ、あげくは石風社にまで押しかけて、福元社長に日本の出版状況についてレクチャーを受けもした。またサポートメンバーの一人がアンケートを作ってくれたので、自分たちの身近な人に読書についてのアンケートをしたりした。そうやってなんとかかんとか、当日使う中国語のパワーポイントが完成した。
ギリ間に合った、とほっとしたそのとたん、鍾さんからLINEが来た。出発まであと一週間に迫った11月15日のことだ。鍾さんが送ってきてくれたイベントの参加申込みサイトは以下のようになっていた。
【踩著一樣的月光,我們去尋找三毛的<美濃狗碗>】
日本教授妹尾加代,和三毛的第一次<悸動>相遇。
│導讀及領路人│妹尾加代、間ふさ子(三毛日譯本翻譯作家)&鍾達榮(文字工作者)
│時間│ 11/23 (六) 15:00~18:30
│費用│ 500 元/人(含保險、講師費、咖啡等)
│行程表│
14:40-15:00│ 活動報到 -搖籃書店
15:00-16:00│ 行前講座:日本教授妹尾加代,和三毛的第一次<悸動>相遇
16:00-16:30│ 聽三毛說歌,聽齊豫、潘越雲唱三毛的歌 (主持人:鍾蔡瑛珠)
16:30-18:30│ 走讀 (步行)
美濃最老旅社‧美興旅社
百年水橋與水圳
最大的夥房聚落‧博愛街
美濃最老五金行-買狗碗
18:30 搖籃書店解散
妹尾さんも私もこれを見てひっくり返った。
妹尾さんが日本の教授になってるし、そもそも11月24日じゃなくて23日やし!鍾さんが言ってたテーマは影も形もないし!
とりあえず妹尾さんが用意した原稿はOK、むしろこの内容にぴったり合っている。問題は私だ。日本の出版状況とか、日本人の読書習慣とか、プログラムにそぐわない(そもそもプログラムには妹尾さんのスピーチしか書かれていない)未熟な報告をしてどうする。この際、私の報告はなしでもいいかと思ったが、妹尾さんにまるまる60分スピーチしてもらうのも心苦しい。
アンケートに協力してくれたみなさんには申し訳ないが、悩んだあげく、私は鍾さんに「行前講座では、妹尾さんが三毛との縁は台湾の同級生がもたらしてくれたものだということを30分ほど話した後に、間が美濃とのご縁や、三毛作品の日本語版の出版元である石風社のこと、そして作品を読んだ日本の学生の感想などを20分くらいで紹介しようと思うがどうか」とLINEを送り、半べそをかきながら新しいパワーポイント作りに着手した。
鍾さんからは折り返し「是的,當天的安排,就是如此(そうです、当日の計画はそのようになっています)」と一言。私は再び膝から崩れ落ちた。
妹尾さんも「私は教授ではないし、作家でもないので訂正してほしい」とLINEしたが、これに対して鍾さんは「台湾では作家や学者を大切にします。気になさらないでください」と返してきて、意に介するふうではなかった。私たちはここでも考えかたや気質の違いをしみじみ感じることになった。
イベントは私たちが最初に想像したものに近いプログラムが組まれていた。それは日本から来たゲストが初めにスピーチしたあと、かつて三毛が歩いたであろうルートを参加者全員で歩くというもの。「台湾を歩いて本を読む」にふさわしい内容だった。
それから数日間、鍾さんは私たちが福岡空港を飛び立つまで、気候のこととか、宿の部屋割とか、食事のこととか、生活上のことを頻繁にLINEしてきてくれ、11月22日夜、高雄国際空港のロビーで、私たち一行4名をにこやかに迎えてくれた。