この世の中で不思議なことに時に出会う。
三毛はサハラ砂漠で自分の身に起こった不思議な出来事を『サハラの歳月』の中の「死を呼ぶペンダント」に書いている。説明がつかないが実際起こった命にかかわるような出来事だ。
三毛に関することだが、私たちも不思議な体験をした。
2017年11月、私たち四人は台湾の三毛のお墓がある霊園「金寶山」へ向かっていた。あいださん、昨年美濃へ同行したKさん、もう一人の若い同学Tさん。みな三毛の愛読者だ。この霊園は台北市から北上した海辺の山の上にあって、テレサ・テンのピアノを模した墓もある。
台北市内からタクシーで1時間ほど走って、まもなく霊園に着くという山の中まで行くと、一天にわかにかき曇り大風が起こり篠突く雨が降りだした。前も見えないようなありさまの中を車がゆっくり進んで霊園の入口に着いたときには、風雨はぴたりとやんで青空が見えてきた。
思いも寄らぬこの現象を四人は「三毛が私たちを呼んだのだ」と言い合った。私はそれまでに二度ほど行ったことがあったがその日のようなことはなかった。これは三毛が私たちを歓迎してくれたのだと思った。少し手荒な方法だがきっとそうだと思った。
その後2019年に石風社さんから『サハラの歳月』を出版していただいた。ほぼあきらめていたことで、私にとって三毛の二冊目の本だ。またその後2022年、あいださんと共訳の三毛の作品集『三つの名を持つ少女』も出版された。
『三つの名を持つ少女』には「雨禅台北」というとても不思議な味わいのある作品が収められている。これを読むと雨はホセを亡くしたあとの彼女にとって、あの世とこの世をつなぐものであることがわかる。
また三毛の初期の習作「雨季不再来」(雨の季節はもう来ない)は雨の描写から始まり雨で終わる。実ることのなかった三毛の初恋に降りしきる雨は、ここでは三毛の内側の世界と外の世界を隔てる存在であった。これらのことを考えると、あのときの雨は、やはり三毛が私たちに呼びかけてくれたものに違いないと思えてくる。
今年2月16日にまた不思議なことに出会った。
20数年来、福岡で一か月に一度3時間開かれる中国の近現代文学を読む勉強会に私も参加している。あいださんたちが立ち上げた会でもう30年近く続いている。
最初は日帰りで通っていたが、この十数年は勉強会がすんだあと、みんなと一緒に夕食とおしゃべりを楽しみ福岡で一泊する。
その宿は小さな民宿で部屋は6つほど。長期滞在の大学関係の研究者やリュックを担いだ旅行者が泊まる。みな外国人だ。
2月16日(日)の朝、私はダイニングキッチンで一人で朝食をとり始めた。宿のオーナーのマダムと向かい合っていた。そこへ白髪の婦人が入ってきた。日本でなら後期高齢者と思われる年頃で穏やかな振舞い。互いに「おはようございます」とあいさつをした。片言のような日本語だった。
それで食事をしながら私はおぼつかない英語で話しはじめた。
「どちらからいらっしゃったの?」
「スイスから。スイスにもう40年以上住んでいるの」
「日本は初めて?」
「いいえ、以前も来たことがあって、日本が好きになったの」
などなど話しているうちに、私はもどかしい英語に詰まって思わず中国語がでてしまったようだ。瞬時に中国語がかえってきた。「私は中国人よ」
この民宿で中国人に会ったことがなかったし、雰囲気もよく見かける中国人とは違っていたので彼女を中国人とは思わなかった。
彼女は中国の浙江省出身だと言い、台湾にも住んでいたと話した。それで私は年格好から彼女を三毛と同じ世代の人のように思い、海外にいた中国人が三毛のことを知っているのか興味を感じ尋ねてみた。
「台湾の作家、三毛という名前の作家をご存じ?」
彼女はすぐ答えた。
「私は三毛の従妹です」
どんなにびっくりしたことか、たしか思わず彼女をハグした……。この広い世界、82億以上を数える人口、それにこのようなめぐり逢いがあるのか!
私は三毛の本を翻訳したことを話した。彼女もひどく驚き、互いにこの不思議な縁を喜び合った。
三毛一家の本籍は浙江省の舟山市にある。そこには先祖の墓があり、三毛の記念館もできている。
1948年12月、三毛の父親は家族や妹たちを連れて南京から台湾に渡った。続いて翌年、南京で同居していた伯父一家も台湾に渡った。
父親の妹、三毛の叔母さんが台湾に渡った後に生まれたのがその女性メイさんなのだ。
メイさんは前日台湾から福岡へやってきたのだと言った。台湾で親類に会ったそうで彼女の台北在住のお姉さんたちといっしょに撮った写真を見せてくれた。その中には、私もなんどか会ったことのある三毛のお姉さんも写っていた。
メイさんは以前台湾からの帰途、福岡を経過したとき福岡が好きになったそうだ。日本の文化にも興味を持って日本語の勉強も始めた。今回はそのため二週間、福岡の日本語学校に通うそうだ。それでその民宿に泊まっていた。
メイさんが何歳だったか聞いたがメモをしなかったので忘れた。70歳代だったことは確かだ。
二人いっしょの写真をその場に居合わせた宿のマダムがびっくりしたまま撮ってくれた。
三毛が生きていれば今年は82歳。どんな物語が生まれていたのだろう。
翌月この民宿に泊まったとき、メイさんはご主人が迎えにきて、二人でもう少し日本を観光してから帰国すると言って宿を後にされたと聞いた。とても優しそうなご主人だったそうだ。
摩訶不思議というあまり使ったこともない言葉を思い出させた二つの出来事である。