高雄市美濃区の美濃国民小学の視聴覚室が講演会の会場でした。

同校は1900年創立。当初の校名は瀰濃公学校。(地名の「瀰濃」も日本植民地時代に「美濃」と改められたもの)

講演会とイベントの主催団体である「財団法人 薛伯輝基金会(※)」の事務局(喫茶店併設)は、この学校に隣接しており、参加人数に見合う広さの会場が必要となったことから学校に白羽の矢が立ったもののようでした。

(写真は会場に向かう途中、教室入り口を撮影したもの。「三年忠組」:クラス名称が数字ではなく漢字であるところが珍しく感じられました。)

  ※薛伯輝:1929年生。台湾の実業家。江蘇省海門縣三陽鎮出身。三毛の父であり弁護士であった陳嗣慶氏とは旧知の間柄であったという。

会場に足を踏み入れるとすぐに目に入ったのが、硝子の花瓶にたっぷりと活けられた白い花と、形・サイズ・色合いも様々な陶器の茶碗。写真の白い花は三毛が好んだという「野薑花(White Ginger Lily)」。(三毛ファンなら誰もが知っているらしいのですが、私たちは初めて知りました。)

三毛にゆかりの花とイベントのテーマ「狗碗」が入り口で参加者を迎えるという趣向のようでした。

これらの茶碗は講演会終了後、後援者と聴衆全員が一人一つずつ碗を持って記念撮影をしました。

客席からプレゼンエリアに向かって右側には妹尾さん訳の「サハラの歳月」と間さん・妹尾さん訳の「三つの名を持つ少女」も展示されていました。

主催者からイベント開催の経緯が説明され、講演開始となりました。

最初は妹尾さんです。

三毛の著作を日本で初めて翻訳した妹尾さん。三毛作品との出会いはどのようにもたらされたのか。60年前の台湾留学とそこで出会った友。帰国後長い年月を経ての文通開始と再会。その友人が送ってくれた『リーダーズダイジェスト』に三毛と作品紹介が掲載されていたこと。その後、妹尾さんが三毛と『撒哈拉的故事』に魅せられ、作品の翻訳へと一直線に突き進んだという経緯が語られました。

聴衆は皆、一気に話に引き寄せられていく様子でした。集まった人々はみな三毛ファンです。遠く離れた外国で三毛とその作品が日本人の心を掴んだことをうれしく思わないはずはありません。

妹尾さんが『撒哈拉的故事』の翻訳を決意し、三毛に直接手紙を書いて依頼するくだりでは相槌を打ちながら感心の表情を浮かべる人もいて、全員が話に聴き入っていました。


次に、間さんが登壇しました。

イベントに講師として招聘された経緯を説明し、狗碗を契機とした鍾さんとの出会いが紹介されました。

三毛作品の日本語翻訳版『サハラの歳月』、『三つの名を持つ少女』と出版社石風社を紹介したあと、日本語版のタイトルにもなっている三毛の三つの名前(本名:陳平、英語名:エコー・チェン、ペンネーム:三毛)が、それぞれどのような意味を持つのかについて説明がありました。

最後に日本の大学生が三毛をどのようにとらえたのかが紹介されて報告は終わりました。

客席の様子

イベントは事前に告知され、参加登録した人たちにはコーヒーとケーキが饗されました。

参加者の年齢層もさまざまです。

コーヒー

講演終了後は、全員がステージ(前方)に集合。各自好みのお碗を持って記念撮影。

講演が終了して、外に出るとまだ明るい。美濃の街を散策するイベントが始まりました。

ハンドマイクを手にした鍾さんを先頭に参加者が列を作って続きます。

散策途中、要所で鍾さんが説明。住宅街を抜け、水路に沿って30~40分の行程。

三毛が泊まったと推測される旅館の横も通りました。

狗碗のエッセイには町中を通る水路が書かれています。

歴史を遡り、地域の水害の話、日本の植民地時代に整えられたインフラの堅固であること、今も人々の生活に影響していることが説明されました。

地域住民の多くが客家の家系であるとのこと、家々の造りや、神様の祀り方について、台湾の他の地域との比較は難しいですが、台北の住宅地とはずいぶん異なっていました。

民家正面の聯や扁額に記された漢字から、その家の住人の姓がわかり、中国大陸のどの地域の出身かもおおよその推測がつくとのことでした。

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