無敵の男5

作家(「評伝 石牟礼道子 渚に立つひと」で読売文学賞 評論伝記賞受賞)
米本浩二
2025/11/14

◇待つ

 丸上医院を受診したのが五月一九日。その二日後の二一日午前九時、デイケアにジイジを送り出した。その直後、丸上医院から電話があった。受付の女性の声だ。

「本日午前十一時までに菊水病院を受診してください。行く前にウチに来てもらっていいですか? 紹介状をお渡しします」

 なぜ当日に言う? 昨日のうちに菊水病院から連絡があったのではないのか?

「オヤジはもうデイケアに行きました。午前中はまずお風呂に入るんだ。そのあと昼食があるし、十一時とか言われても、すぐには行けませんよ」私は不機嫌な声を出した。すると山法師が電話に出た。

「迎えに行けばいいでしょう、デイケア。お風呂の前に。間に合いますよ」

 男のオレになら文句は言うまいとでも言いたげな横着な調子である。

「けさ、菊水から連絡があったのです。時間を割いてもらいましたので、ぜひ」

 山法師が言う。私はジイジを迎えに軽自動車を走らせた。約一〇分で、山の中腹にあるデイケア施設に着く。年寄りが横一列に座って順番に血圧など健康状態を調べてもらっている。ジイジは真ん中あたりにいた。私は施設の職員に事情を説明し、ジイジをクルマに乗せて西に向かう。三〇分くらいで旧池田町の徳島菊水病院についた。徳島西部地区をカバーする総合病院である。

 私の誕生日は一月一日だ。元日だ。「珍しい」「めでたい」などと言われてきたが、「ホントは別の日に生まれたのに〝一月一日〟と届けたのではないか」と言う人もたまにいる。母に確かめると、「……雪の日じゃった。菊水病院でオマエは生まれた。一月一日で間違いないよ」と言うのであった。その母は二〇一九年、菊水病院八階の緩和病棟に入った。私は母の病室に泊まり込んだ。「父ちゃんを頼むでよ」と言いのこして母は死んだ。

 徳島西部地域の人が開業医に紹介状をもらう場合、たいていの人は菊水病院に行く。菊水病院は「待つ」ことで有名である。なにしろ地域医療の最後のトリデなのだ。待ち時間が長くなろうと、じっと待っている。腹を立てて帰っても、困るのは自分なのだ。「菊水でダメならあきらめる」という人が多い。長年の信頼があるのだ。しかし、きょう見かけた婦人のように、「わたし、朝の九時から待っていますが、もう正午です。おそすぎませんか」とたまりかねて声を上げる人もたまにいる。

 ジイジも認知症がすすむまでは菊水病院に月一回通院していた。数年前からばったり行かなくなった。私が母校の県立池田高校の開校記念日に講演することになった際、ジイジは菊水病院通院を口実に「池高には行かない」と言った。母は亡くなっている。妹のスエコは憤慨した。菊水病院に連絡して通院日を変えてもらい、ジイジは私の講演を聴いたのだ。行った甲斐があり、校長から、池高野球部の甲子園優勝旗を見せてもらった。ジイジも池高(旧制池田中学)OBなのである。

 丸上医院の紹介状を持参して到着したいま、「菊水に初めて来た」とジイジは目を丸くするが、実際は昔から散々来ているのである。「どんな病気を治療するため通っていたん?」と私はジイジに聞くのであるが、「わからん」とジイジは困惑顔である。

 受付に紹介状を出すと、直接、診療科の窓口に出せという。循環器内科の受付に紹介状を出すと、看護師がくいいるように読んで、「はい、お名前を呼ぶまでお待ちください」と言う。一〇分が過ぎた。「長いのぉ」とジイジが言う。名前を呼ばれ、血液検査、胸部レントゲン、心電図、ABI(動脈硬化の程度を調べる検査)などの検査を受けた。普段は杖もなく自力で歩くジイジだが、検査場は一階の各所に広がっている。あとで後悔したことだが、入口で車椅子を借りればよかったのだ。よちよち歩くジイジを連れて各所を回ると時間も労力もかかって大変である。

 内科の受付に検査満了の書類を提出。これで埒があいたと思ったが、肝心の診察がまだである。「長いのぉ」とジイジが言う。「ホンマやなぁ」と私は応じる。相手にしてやらないと「長いのぉ」を延々と繰り返す。午後一時を過ぎた。「先生は救急車の患者さんの対応をしています。時間がかかります。お昼を食べていらしたらどうでしょうか」と看護師が言う。心臓の専門医は限られているのだろう。待つしかない。

 診察室前の長椅子にふたり座る。「長いのぉ」とジイジがつぶやく。病院スタッフが入れ替わり立ち代わり目の前を過ぎてゆく。看護師、薬剤師、介護福祉士……。名札を見るともなしに見ていると、フルネーム、苗字、K.Yなどアルファベット、「スタッフ」という表記など、いろいろだ。病院が個人情報に配慮しているのが感じられた。

◇謎のふたり

 よく通る二人組がいた。白衣の若い男が、手術着(?)のようなぶくぶくした服の中年の男を従えている。若い男がスマートな長身で、中年男がずんぐりとした体躯なので、このコンビは目立つのだ。ふたりとも医師のようである。診察室に入ったかと思うと、すぐ出てきて、エレベーターで上階に向かうなど、あわただしい。

 長身の若い男は俳優の岡田将生に似ている。エリートの美形。高畑充希のような妻がいそうな感じである。偶然にも「岡田大将」という名札。さすがに「たいしょう」とは読まないだろう。なんと読むのだろうか。若くして部下がいるとは院長の息子か何かだろうか。

 中年男の方は元B&Bのお笑い芸人、島田洋七にどこか似ている。名は体をあらわすかのような「猪熊元一」という名前である。岡田とは対照的にたたきあげという感じ。白い巨塔の人事や施術の修羅場をオレはくぐりぬけてきたんだぜ、といわんばかりの精悍な面構えである。

 やっと名前が呼ばれ、ジイジと一緒に診察室に入る。もう午後二時を過ぎている。午前中の診療のラストであろう。診察室にコンビがいた。若い男が主で、中年男が従、というのは私の早とちりであった。白衣の若い岡田大将は研修医であり、ベテランの猪熊元一医師の指導を仰いでいるのだった。猪熊先生がジイジの主治医だ。

 さきほどまでは遠い存在だったふたりがたちまち身近になる。猪熊先生が浅黒い顔に満面の笑みで「丸上先生から紹介状をいただきました。ふたりで診察します。まず研修医の岡田先生、それから私、猪熊が診ます」と言う。医師の育成も病院の仕事なのだ。研修医の「練習」に付き合わざるを得ない。緊張気味の岡田医師にジイジは一礼する。

 岡田「お酒は飲みますか?」。ジイジ「そうじゃなぁ、小さいコップに一杯くらい呑むなぁ。日本酒じゃ。ビールも、時々飲むなぁ。フフ、酒は飲まんことないなぁ」。岡田医師は白くて柔らかそうな長い指でバシバシカルテをうつ。岡田「いままで大きな病気をしたことは?」。ジイジ「ないなぁ、コレ(私のこと)がこまいとき、コレが腹をこわして、入院したことがありましたなぁ。フフ、ワシは入院したことありまっせん」。バシバシ。岡田「好きな食べ物は何ですか?」。ジイジ「この頃だと南蛮漬け、筑前煮など煮物、刺身も食べます。焼き鳥はカラダによくないですか? よくないこともない? フフ。揚げ出し豆腐やキスのフライにあんかけっちゅうのも気に入っとります」。岡田「肉より魚なんですね」。「食欲はあります。私より食べます」と私が補足する。バシバシ。「お口をあけて、アーと言ってみてください」ジイジは口をあけ、アー、と言う。「はい、もっと、アーと言って」と岡田医師はペンライトで奥をのぞきこむ。ジイジが、アー、と声を出す。岡田はジイジの瞼をめくりあげる。首の周囲に手を当てる。「ところで、きょうは当院になぜ?」。改まった口調で岡田医師が聞いてくる。「丸上医院に紹介状をもらい、心臓をくわしく調べてもらうため、循環器内科の受診に来たのです」と私が答える。

「あーっ、そうでした」と岡田は恥ずかしそうに身をすくめる。失敗したと思うのか、黙り込んでしまった。困った私は猪熊先生の姿を探すが、先生は他の患者を同時並行で診ていて、まだしばらくかかりそうである。私は息子のような年齢の岡田医師に「ご出身は?」などと尋ねる。猪熊先生が来るまで場を保たねばならない。岡田医師は、北海道出身。東京で成長し、医師になった。「だんだん西に来ている。夏目漱石と同じじゃないスか。漱石は愛媛・松山、熊本をへてイギリスに行ったのでした」と私は軽口をとばす。「はっ、ナツメ……ソウセキ、作家さんですか、そうですか」と岡田は天を仰ぐ。

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